Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

あるスキャンダルの覚え書き

2007-06-30 | 外国映画(あ行)
★★★★☆ 2006年/イギリス 監督/リチャード・エアー
<OS名画座にて鑑賞>

「日記という物語の中に住む女」


美しい美術教師と、彼女に執拗な関心を抱くオールドミスの教師とのスキャンダラスな関係を描く心理スリラー。アメリカで実際に起こった女教師の事件を基に作られた小説がベースになっている。ケイト・ブランシェット、ジュディ・デンチ、二大女優の演技合戦が実に面白く、密度の濃い映画。92分という長さもいい。最近の映画は、尺が無意味に長すぎるもんね。

さて、孤独な中年女バーバラのシーバに対する異常な執着ぶり。これをストーカーを引き合いに出して語る人もいるようだけど、私はストーカー心理とは少々異なるような気がする。むしろ、シーバは、バーバラが作り上げる物語の登場人物に過ぎないように感じた。つまり、「私の脚本通り演じなさいよ」という監督と俳優の関係のよう。もちろん、そこには監督の俳優に対する圧力、優越感のような様々な感情が渦巻いている。

私が最もそう感じたのは、何もかもが露呈されてシーバと夫が大喧嘩を始め、それをバーバラが見守るシーン。バーバラはそこでこう言うのだ「天井桟敷から眺めるオペラはすでに最終幕を迎えていた」と。(ちょっとうろ覚え)このシーンから感じられるのは、シーバへの実に冷ややかなスタンス。で、振り返ると最初にシーバが現れた時のバーバラの態度はまるで、自分が書いた脚本にぴったりの新人役者を見つけたような口ぶり。

シーバに対する強烈な執着はバーバラが思い描く「私と親友の親密な関係」という物語(それは実に異常なる依存関係なのだが)を何としても完遂させたいという思い。結局シーバが好きなのではなく、自分のことが一番好きなのよ、バーバラって人は。私のことを一番に思ってくれる親友が私にはいます、っていう甘美な思いに浸りたいんだね。

相手の秘密を知った日の日記に金星のマークをつけるなんて、こんなイヤな女はそうそういないんだけど、ジュディ・デンチの熱演によって、私はだんだんこの人が哀れに見えてきた。バスルームでひとりむなしさを吐露しながらタバコを吸うシーン、何とか親身になりたい妹の申し出に思いやりを感じ取れない状況、何もかもが哀れだった。

シーバをかくまった時にパパラッチが「ババアの方が出てきた!」みたいな口ぶりだったでしょ。中年の独身女への偏見や社会の圧力が積もり積もって、バーバラはあんな性格になってしまったのかも知れない。生徒も教師たちも、みんなバーバラには心を開かないもんね。まあ、そういうバリアを自分から出しているわけだから、ますます孤立してしまうのも当然なんだけど。

ケイト・ブランシェットに関して言えば、終盤のキレ具合がすごかった。それまでいい母親を演じ続けてきた大人しそうな性格ばかりクローズアップされていたから、あの変わりっぷりは面白かった。92分、ただならぬ緊張感に満ち満ちていました。

それにしても、この映画女性の友人同士で見に行くのは避けた方がいい。もしかして、「この人…」なんて疑心暗鬼になってしまうかも知れないです。