太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

夏至と父の日

2020-06-21 12:38:27 | 日記
ハワイは今日が夏至で、父の日。
今朝も、いつもの日曜日と同じように、ビーチに行った。



いつもは、泳いだあとにファーマーズマーケットに寄っていくのだけれど、
今日は先にマーケットに行った。
限られた人数しか1度に買い物ができないので、普段なら20分以上待つところを
早く行った甲斐があって5分ぐらいの待ち時間で済んだ。



海に浸かって、空を見上げる。

「オトウサンがいない、初めての父の日だね」

夫がそう言った。
そうだ。
私の人生で初めて迎える、父がいない父の日だ。
そう思ったら、急に悲しくなってきた。

「お父さん、どこにいるのかな」

「どこにでもいるさ」

父は73の時に手術をした跡を見せたくないと言って、温泉にも入らなかった。
私が強く父に意識を合わせたら、父はここに来てくれるのだろうか。
海で泳ぐ感覚を、楽しめるだろうか。
去年の父の日の、半年後に父は逝った。

両親が75を過ぎたあたりからは、誕生日や父の日、母の日などに書く手紙に、
『今年もこうして元気にこの日を迎えてくれてありがとう』
と書くようにしてきた。
いつか、それが最後になるときがくるのだとわかっていたけれど、
その時点ではいつも元気でいてくれたから、やはりまた来年も書けるのだと高をくくっていた。
そしてとうとう、書く相手がいない父の日がやってきてしまった。
それは3月の、父の誕生日にも感じた寂しさだったのに、私は初めて感じたことのように悲しくなってしまう。


今夜は、家族でBBQをする。
義父には、ブルーのポロシャツをプレゼントした。

義父は昔から早起きで、5時には起きて新聞を読む。
義両親とは互いに気配を感じるだけで、とりたてて訪問しあったりはしないが、
最近、夫は朝、義両親側の家に行って、義父に声をかけることが多くなった。

「Hey 、Pa!!」

呼びかけるときには、DADではなくてPaだ。
その感覚の違いは、私にはよくわからないのだけど、「オトウチャン」に近いんじゃないか、と勝手に思っている。
口に出しては言わないが、元気な両親と過ごせる残された時間のことを、
夫は思っているのではないだろうか。


今日は夏至で、父の日だ。
私のおとうさん、ありがとう。
夫のおとうさん、ありがとう。







休みの日の過ごし方

2020-06-20 16:55:11 | 日記
週末の休みは、ビーチに行くことで始まる。
ゆっくり7時ぐらいに起きて、コーヒーだけ作って何も食べずに出かける。
泳いで帰ってきても、まだ朝9時にもなっていない。
軽く朝食を食べたら、さあ、今日は何をしよう、となる。

先週、日本食スーパーに行ったから、今は欲しいものはないし。

こんなとき、日本にいたら、選択肢はたくさんある。
電車に乗って遠くに行ってみようとか、東京でおもしろそうな催しがあるから行くとか、
伊豆をドライブとか、静岡市の繁華街まで行ってみようとか。

ハワイにいると、極端に選択肢は少ない。
特に今はコロナウィルスの影響で、ウィンドウショッピングなど楽しくない。
私は欲しいものがなければ、そういう買い物にも行かないので関係ないけど。
ランチやディナーを、好きなお店で、ということも今はできない。
レストランで楽しみな生演奏も、今は禁止されている。
美術館だって1つか2つで、そんなに展示が変わるわけでもない。

人々は、キャンプをしたり、ビーチに大きなテントをセットして、家族で1日中、BBQしたりしながら過ごすのだけれど、
そうやって1か所で長くのんびり過ごすこともキャンプも苦手な私たちは、
3、40分ぐらい泳いだら充分で、パッと帰ってしまう。


今日もお天気がいいので、ドライブに行くことにした。
といっても、ノースショアに行くか、ホノルルに行くか、ぐらいしかない。
ノースショアには先週出かけたので、今日はホノルルに、東海岸沿いを走ってゆくことにする。

うさぎじま

カイルアからずっと、東海岸の海は青というよりグリーン。


ココヘッドを右手に見ながら下る。


私が住む地域は涼しいけれど、このあたりはずいぶん暑くなっているようで
ダイアモンドヘッドも緑色から赤茶けた色に変わっている。


途中でかき氷を食べた。
この夏初めてのかき氷。
その近くで、おじさんがピックルマンゴーを売っていたので一つ買う。
若いマンゴーを漬物にしたもので、味はナマスの味。
こりこりしていて、冷たく冷やして食べるとおいしい。
ダイアモンドヘッドの下の海でサーフィンしている人たちをしばらく眺める。

友人が働くお店に寄って、軽く立ち話。
そのあと、インディアンマーケットに寄る。
ここはインディアン料理の材料を売るお店で、スパイス類がすごく安いのだ。
ここでスパイス以外に買うのは、ローズウォーター。



250mlぐらい入っていて、500円ぐらい。
料理に使うそうなのだが、私は化粧水として使う。
何回か重ねてつけると、肌がプルっとしてくるのでお気に入り。



旅行で来れば、、いろんなアクティビティをするのも楽しいけれど、
普段の週末に、乗馬したりクジラを見に行ったり、イルカと泳いだり、などしない。
たまにトレッキングに行ったり、友人と会ったりするぐらいで、
結局、1年中、海に行って泳いで、食料品を買い出しして、
あとは家でのんびり、というのが休日の過ごし方になる。

なーんにもないもんなァー。
夫と出会った頃、
「日本はいいよー。行く場所が限りなくあるんだから」
と、しきりに言い、実際夫は、鈍行で片道2時間ぐらいかけてコンサートに行ったり、
それは貪欲にいろんなことを楽しんでいた。
私は今のこの生活が、けっこう気に入ってはいるんだけれど、
あの時の夫の気持ちが、今になって「なるほどな」と思うようになった。







びんぼうくじ

2020-06-19 08:32:36 | 日記
庭にイノシシ🐗が出た話を書いたが(その記事はコチラ)、やつらはどうも家族らしい。
家族会議をしたが、隣のお寺のお墓(お墓といっても芝生の公園みたいになっている)にお供えしてある花や食べ物を狙ったイノシシが
近隣の家の庭を荒らすので苦情がでている、だとか、
イノシシは頭がいいので、食べ物があった場所を忘れずに何度も来るとかいう話ばっかりで、
じゃ、うちの庭のイノシシどうするのさ、という解決策は何も出てこなかった。

毎晩というのではないが、今でもイノシシは夜陰にまぎれてやってくる。
彼らが来るのはジャングルからと決まっていて、
ジャングルに1番近いところの2階に寝ている私たち(夫は気づかないけど)が第一発見者となる。

昨夜、枝を踏むようなかすかな音で目が覚めた。
私はガバっ!と起きあがり、
枕元のテーブルに置いてある、イノシシ用の懐中電灯をひっつかんで窓に走った。
いる!
初めて見る柄の、固太りの犬みたいなやつがいる。
懐中電灯ビームで狙いを定め、「シュー!!シュー!!」と大声で言うとあわててジャングルに逃げ込んだ。

そのまま1階に駆け下りて、庭側のテラスの照明をつけ、
庭を照らすライトを、ディスコのようにつけたり消したりして、まだ他にいないかチェックした。
シュートメが起きてきて、ガレージをあけ、外に出てみたが、物音ひとつしない暗闇が広がっているだけ。

爆竹を置くとか、紐に音がするものを吊ったのを張り巡らすとか、
BB弾で狙い撃ちするとか、とにかくなにか手立てをしなけりゃイタチごっこ、ならぬイノシシごっこ。

「もういないわねぇ」
シュートメはそう言って寝室に戻った。
そりゃいないさ、私が追い払ったんだから。
寝室に戻ると夫が、
「なにしてんのーーー」
と言うのでカチンときた。
「イノシシが出たんじゃないか!」
「えー、そうなのー」

眠りが浅いのか、なぜか私だけが物音に気付き、
夜中に走り回ったあとは、興奮していてなかなか眠りにつけない。
翌朝になって、花壇のレタスを食べられちゃっただの、芝生が掘られていただの言う話をのどかにする。
暗黙のうちに、
『イノシシはシロが追い払ってくれるからよかったわねー』
的なところに落ち着いているんじゃなかろうか。
貧乏くじって、英語でなんていうんだろう。





練習問題

2020-06-18 14:40:19 | 日記
私は長い間、自己肯定感が低かった。
自己肯定感が低いと、ずっとそれを証明するような現実が繰り広げられる。
私のその思い込みは、母からもらったものだ。

・我慢をすれば褒められる。
・自分さえ我慢していればまるくおさまる。
・どんな仕打ちをした人にも砂をかけるようなことをしてはいけない。

それらは40年もの間、私を縛り続けてきた。
母から受け継いだ、負の思い込みはまだあって、40を過ぎてからというもの、
それらを手放すことに取り組み、今もなおそれは続いている。

ずいぶん回り道をしてきたし、とんでもないこともあったけど、今ならわかる。
私はこれらのことを手放すために、わざわざ初期設定として、そういうものをくれる母を選んできたということに。
そして、手放して書き換えるまで、ずっと同じような練習問題に直面し続けるということにも。





前の結婚時代、嫌なことがあるたびに、私は心のどこかで
『幸せになれなくてもしかたがない』と思っていた。
我慢して、我慢して、そのうち、こんなことができるのは私だけ、というほうにベクトルが向いていき、
私は嬉々として「こーんなことに我慢できるすばらしい私♬」に酔っていた。11年も。

あるとき突然、ふっとなにもかもがあほらしくなって家出をし、
そのとき彗星のように現れた若い恋人とやり直したい一心で、
離婚をしたがらない相手なんかもうどうでもよくなって、ゴリ押しするように離婚した。
その時は、女ヤクザになった気分だった。
今夜こそ離婚届に判を押させてやるんだと意気込んだ私に、親友が、刃傷沙汰になったら困るからついていって外で待ってる、と言ったほどだ。


そうやって離婚し、今度こそ新しい相手と幸せになるはずが、楽しかったのは3か月。
相手はよそよそしくなり、私は相手の顔色をうかがい、尽くし、冷たい仕打ちに我慢し、それは強引に終わらせた結婚生活とまったく同じだった。
前の結婚生活では、1度も(!)肉体関係がなかったのだけど、それすら同じになった。
女性として自信を失って、してください、と土下座したことだってあった。

結局、私の自己肯定感が低いままだったので、
相手変わって状況変わらず、だったのは当然といえばそうである。
でもそのことに気づいたのはしばらく後になってからで、
私はそのみじめな恋愛を2年も続けていたのだから、愚かさもここに極まれり。


スピリチュアルに目覚め(そうせざるを得なかったといっていい)
自己肯定感を少しずつ高め、古いやりかたを手放しはじめたとき、若い恋人にあっさり振られた。
「もっと不幸な人がいたから」という、笑っちゃうような理由で。
(単に、不幸な人が若くてかわいかっただけだ)
スピリチュアルな力で私が手に入れたかったのは、まだなお、その若い相手との恋愛成就であったから、気分は奈落の底。

1+1=3 と書いて、今度は 2+2= という練習問題が出されて、また間違った答えを書いた私の、そこからの反動がすごかった。


失恋から、2か月もしないうちに私は今の夫に出会った。
そうなって、ようやく腑に落ちる。
若い恋人は、私が最短最速で離婚できるためだけに現れた救世主だった。
彼がいなかったら、情にほだされてズルズルしていたに違いないと思う。


理想の男性像をありったけ書き出し、まさにその通りの人に出会って再婚し、
ハッピーエンドかと思いきや、
その先も練習問題は形を変え、私が正解を書けるまでしつこく出され続けている。
結局、これが私が生まれてきたひとつの理由なのだと思う。






後悔しないのを見破られた話

2020-06-18 12:00:01 | 日記
朝、グレープフルーツを食べながら、
グレープフルーツという名前の由来の話になった。
グレープフルーツは、ブドウのように房になって実がなることから名前がついたのだけれど、
改めて考えてみたら、ひどくいい加減な名前をつけられた果物が、とても気の毒になってきた。
他の果物は、リンゴだとか桃だとか、ちゃんとした名前がついているのに、
ブドウにフルーツをくっつけて、本家のブドウと区別しました、みたいなのって
あんまりグレープフルーツに失礼じゃないだろうか。


失礼といえば。


regret,regret♬と繰り返す、暗い歌がラジオから流れてきて
「振り返ってみて後悔すること、なにかある?」
と夫に聞いてみた。
少しだけ考えてから、
「あるよ」
と言う。ない、と言うと思っていたから驚いた。
「え、どんな?」
「誰かに言ってしまったこととか、今でも悪かったな、って思うことがある」
「いつのことよ」
「30年ぐらい前かなあ」
「ふーん。でもきっと、そのことはもう自分に返ってきて、刈り取ってると思うよ。
それに誰にだってそういうことはあるさ」
「そうだねえ」
「私にも聞いて。後悔することあるかどうか」
すると即座に夫は言った。

「You  don't  care(あなた、どうでもいいっしょ)」

し、失礼なッ!
腹が立つが、当たっているので言い返せない。

バカだったなー、アホだったなー、と思うことはあれど、
ああしなければよかった、と思うことは一つもない。
反省はしても、後悔はしない。
私は、たとえそれがどんなにネガティブなことであれ、世間の理屈に合わないことであれ、
常に猪突猛進、100%燃焼し尽くすため、灰も残らないからだと思っているのだけれど、
そんなことは私だけが知っている秘密だと思ったのに、見抜かれていたとは。


失礼ついでに。


チェビー・チェイスが主演の、1980年代の映画シリーズがある。

 気楽に笑えるおすすめ映画

チェビー一家がクリスマスを迎えたり、ヨーロッパ旅行に行ったり、ラスベガスに行ったりするのだが、
このチェビー扮する夫が、とことん能天気でトンチンカン、あっと言うようなことを平気でやって、
しっかり者の妻や子供たちが振り回されるという、楽しい映画だ。
先日、このシリーズのひとつを観ていたら、夫が適当に運転するので砂漠の中で迷ってしまい、挙句に車も壊してしまう。

「あなたがスパーキー(チェビー扮する夫)みたいじゃなくてよかったよ」

実際、夫はわりときっちりとやるタイプ。

「ていうか、むしろ私の方がスパーキー寄りだったりして?」

9割がた自虐のつもりで言ってみたら、
夫はちょっと困ったような顔をして笑い、けして否定はしなかったよ・・・・・・