福寿会館拝観の次は隣りに鎮座する三蔵稲荷神社に行ってみたが、
狭い境内に氏子さん達がウジャウジャいて参拝どころでは無い。
後で聞いたところ注連縄造りをされていたそうで、
地元のテレビ局も来ていたとか。
メインの注連縄の締め上げは13時半頃なので、
それを見たい人はその時間帯に行けば良いでしょう。
それはさておき、三蔵稲荷神社の参拝は諦め、
隣りに鎮座する備後護国神社へ。
所在地:広島県福山市丸之内1-9-1
御祭神:阿部家の祖神、歴代備後福山藩主、大彦命、武沼河別命、
豊幹別命、備後国出身の護国英霊
創始:文化10年(1813)
創建:明治元年(1872)
社格:内務大臣指定護国神社・別表神社
【由緒】
福山藩主阿部正桓が石見益田の役と函館戦争での戦死者の霊を祀る為に、
旧深津郡吉津村に招魂社を創立したのに始まり。
明治26年(1893)に福山公園の本丸人質櫓跡に遷座し、
明治34年(1901)に官祭福山招魂社に改称。
昭和14年(1939)に内務大臣の指定を受けて福山護國神社と改称しました。
昭和15年(1940)の紀元2600年を機に、芦田川河畔に新たに広大な境内と、
運動場を有する神社として建立されることになり、
完成目前の昭和20年(1945年)8月8日の福山大空襲によって焼失。
戦後福山藩主の阿部氏が建立した阿部神社と昭和32年(1957)に合併、
備後護国神社に改称しました。
尚、阿部神社は文化10年(1813)に時の福山藩主が、
歴代の祖霊を祀ったのが始まりです。
【注連縄柱】

こちら側に社務所がありました。
【神門】

【狛犬】

【石段】

【鳥居】

【神馬殿】

【境内】

【宮本武蔵腰掛石】



【拝殿・本殿】

【安産祈願像】


【拝殿】

【阿部正弘公石像】


備後福山藩第7代藩主で江戸幕府の老中首座。
【石段】

どうやらこちらが正式なルートのようですね。

下に下りて振り返るとこんな感じ。
【神門・下拝殿】


とても立派なものです。
神門手前には有料駐車場がありましたが、
別の場所に無料の参拝者専用駐車場がありました。
【慰霊碑】

【鳥居】

【赤門】

御朱印は二体ありますが、
社務所は御不在でいただけませんでした。
狭い境内に氏子さん達がウジャウジャいて参拝どころでは無い。
後で聞いたところ注連縄造りをされていたそうで、
地元のテレビ局も来ていたとか。
メインの注連縄の締め上げは13時半頃なので、
それを見たい人はその時間帯に行けば良いでしょう。
それはさておき、三蔵稲荷神社の参拝は諦め、
隣りに鎮座する備後護国神社へ。
所在地:広島県福山市丸之内1-9-1
御祭神:阿部家の祖神、歴代備後福山藩主、大彦命、武沼河別命、
豊幹別命、備後国出身の護国英霊
創始:文化10年(1813)
創建:明治元年(1872)
社格:内務大臣指定護国神社・別表神社
【由緒】
福山藩主阿部正桓が石見益田の役と函館戦争での戦死者の霊を祀る為に、
旧深津郡吉津村に招魂社を創立したのに始まり。
明治26年(1893)に福山公園の本丸人質櫓跡に遷座し、
明治34年(1901)に官祭福山招魂社に改称。
昭和14年(1939)に内務大臣の指定を受けて福山護國神社と改称しました。
昭和15年(1940)の紀元2600年を機に、芦田川河畔に新たに広大な境内と、
運動場を有する神社として建立されることになり、
完成目前の昭和20年(1945年)8月8日の福山大空襲によって焼失。
戦後福山藩主の阿部氏が建立した阿部神社と昭和32年(1957)に合併、
備後護国神社に改称しました。
尚、阿部神社は文化10年(1813)に時の福山藩主が、
歴代の祖霊を祀ったのが始まりです。
【注連縄柱】

こちら側に社務所がありました。
【神門】

【狛犬】

【石段】

【鳥居】

【神馬殿】

【境内】

【宮本武蔵腰掛石】



【拝殿・本殿】

【安産祈願像】


【拝殿】

【阿部正弘公石像】


備後福山藩第7代藩主で江戸幕府の老中首座。
【石段】

どうやらこちらが正式なルートのようですね。

下に下りて振り返るとこんな感じ。
【神門・下拝殿】


とても立派なものです。
神門手前には有料駐車場がありましたが、
別の場所に無料の参拝者専用駐車場がありました。
【慰霊碑】

【鳥居】

【赤門】

御朱印は二体ありますが、
社務所は御不在でいただけませんでした。