落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

陳昌鉉著『海峡を渡るバイオリン』

2005年03月05日 | book
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何度かここにも書いたことがあるけど、ぐりは在日コリアン3世です。
両親の両親、つまり祖父母が戦前に朝鮮半島南部から日本に働きに来て、以来ずっと日本に住んでいます。日本の学校で学び、日本で働いて、亡くなった親族はみんな日本のお墓に入っています。
でもぐり自身は祖父母たちがいつどういう経緯で故郷を離れたのか、朝鮮半島の日本統治が終わった時なぜ帰国しなかったのか、彼らが在日コリアンとして生きることを選んだ事情を全く知りませんでした。知りたくても訊けない、よしんば訊いても簡単には話してもらえないだろうという雰囲気もありました。
しかも実際のところ話を訊こうにもぐりと祖父母は言葉が通じないし(彼らはほとんど日本語を話せないしぐりは朝鮮語が話せないので)、ぐりの両親は戦後の生まれで肝心の時代には幼すぎて詳しいことはよく知らない。まれにもれ伝え聞く話は曖昧な子どもの記憶以上の話ではなく、親族以外に在日コリアンの知人友人を持たないぐりにはこれまで両親の他に情報源はありませんでした。

著者の陳昌鉉さんは1929年生まれ。1900~1910年代に生まれたぐりの祖父母と終戦直後生まれの両親との中間、強引に云うならぐりのいちばん上のおじさんおばさんと同世代にあたります。
1910年に朝鮮が日本に統合されて国内が日本の統治に慣れた頃に生まれ育ち、終戦直前に日本に来て明治大学に通ったそうです。学校に行ったこともなければ日本語はおろか朝鮮語の読み書きも出来なかったぐりの祖父母とは、同じ在日とは云えずいぶん違います。
とは云っても封建的だった占領時代の朝鮮、終戦前後の混乱した日本での暮らし、暗く凄惨な朝鮮戦争や軍事政権下と云った時代の描写は、今まですっぽりともやのような薄闇に包まれていた我々の家族の過去の遠景を、あざやかに照らし出されたようでとても新鮮でした。
少なくともここには、陳さんのような朝鮮人がなぜ日本へ渡らなければならなかったのか、なぜ終戦後おいそれと帰郷することが出来なかったのか、そしてそのことがこれまでなぜ公に語られなかったのかが、概念的ではなく経験談として詳しく描かれています。たぶん事情は人それぞれ違ったんだろうけど、彼のように感じ、考えた在日コリアンも大勢いた筈です。帰りたくても帰れなかった、たくさんのせつない物語のひとつが、ここに描かれています。

この本は去年だったかドラマ化されたけど、ぐりは正直云ってひどい番組だと思いました。
出演者の熱演は凄かったけど、全編あまりにも涙のシーンが多すぎて、主人公たちの嘗めた辛酸が変に偏った強調のされ方をしているような感じがして、観ていてなんだか不愉快でした。テーマを時代の荒波や孤独な職人修行ではなく郷愁や家族愛に持って行きたかったのは分かる。その方が一般視聴者には分りやすいから。けどそれもうまく描けていない、トーンがセンチメンタルになりすぎて上手く全体のバランスがとれてない気がしました。ストーリーがとにかくしんどくて。
あにはからんや原作を読んでみたら全然内容が違う。こんなに違ってて果たして許されるのかと首を傾げてしまうくらい違う。著者はこんなドラマになっちゃって良かったのかなぁ。
確かに陳さんは大変な苦労をして異国でたったひとり夢を叶えるため道を切り拓こうと戦ってきたし、その辛苦の凄まじさ、時代背景の悲惨さはとても生半可なTVドラマで描ききれるようなものではなかった。でもそこには、自分は希望を追いかけているのだ、必ずや実現してみせる、と云う情熱の輝きがあった。それがドラマには表現されてなかった。
要するに原作の世界観にひろがりがあり過ぎた、深すぎてTVドラマにはまとめきれなかったってことかもしれないけど。

在日コリアンのバイオリン職人の自伝と云うと小難しい重い本なんじゃないかと構えて読んでみたけど、とても分かりやすくて読みやすい、そして熱い本でした。
若い人、どうして日本にはたくさんの在日コリアンが住んでいるのかよく分からない人にお勧めしたい本です。