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落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

帝王の憂鬱

2006年10月21日 | movie
『王の男』
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おもしろかったです。
日本で観られる韓国映画ではあまりなじみのない時代劇だけど、ストーリーもキャラクターもわかりやすいし、それでいて二転三転していく展開にコシがあって観ていて飽きない。もとが戯曲なので雰囲気がシェイクスピア劇にも似ている。
芸人のチャンセン(甘祐晟カム・ウソン)とコンギル(李俊基イ・ジュンギ)は芸という絆で深く結ばれた義兄弟のような関係で、一見すると『さらば、わが愛』の段暁樓と程蝶衣のコンビを連想させる。年長で兄貴肌?フチャンセン、そんな彼を支える弟分のコンギル。『さらば〜』ではここに妓女・菊仙がはいりこんでくるわけだけど、『王の男』での?藷メは王・燕山君(鄭進永チョン・ジニョン)。奪われるのは段暁樓ではなくコンギルの方だ。
この三角関係がおもしろいのは、互いを結びつけ交錯する感情に恋愛以外の側面が大きいという点である。チャンセンとコンギルはどうみても恋人同士ではないし、よしんば恋愛感情があったとしても本人同士はハッキリ意識はしていない。コンギルを見初める燕山君も、色香に惑わされたというよりは、子どものように無垢な彼の内面にただのひとりの孤独な人間として甘えたいという衝動を赦されたように感じただけで、コンギルはそうした王の心の隙間に感応する。
コンギルの色香に惑わされるのはむしろ王の愛妾ノクス(姜成妍カン・ソンヨン)である。彼女は女のような美貌のコンギルが王の寵愛を自分から奪うのを恐れて奸計を講じるが、そもそも王がコンギルに求めたものとノクスに求めたものはまったく別のものだ。ところが周囲はそのことにはまるで気づかない。わかっているのはコンギルひとり。それもこれも、大人とも少年とも男とも女ともつかない、コンギルの不思議な魅力ゆえなのだが。結果的にいえばこの映画、彼のキャラクター造形と、彼に対するチャンセンと王の意味不明なほどの?キ着ぶり以外に「同性愛的要素」は限りなくないに等しいくらい希薄ではあるんだけど、逆にこの微妙さが淫靡なのかもしれない(笑)。監督がそこまで狙ってるかどーかはさておき。
舞台挨拶で李俊益(イ・ジュニク)監督は「どんな時代のどんな環境においても、人間は自由を求める生き物であり、主人公チャンセンはまさにそういう男である」というようなことを語っていたけど、そうした「ヒーロー」のヒロイズムをひきたてるのはいつも自己犠牲の物語。チャンセンは常にコンギルを守り、救うために戦い、コンギルはそんなチャンセンを忠実に慕う。チャンセンはそういう状況自体にどこかで陶酔しているようにもみえる。相手の弱さや不完全さに惹かれるコンギルの資質が王の歓心を買い、ふたりの完全にリンクした関係を揺るがせるわけだけど、この物語で揺れ動きすれ違っていくのはこの3人だけではない。重臣たちや後宮女性たちの思惑もそれぞれに音をたてて激しく動きだす。彼らの感情が純粋であれ不純であれ、それらはどこかで動きだすきっかけを待っていたに違いない。この映画は、そうした互いに届きあわない感情の物語としても非常によくできてます。

ぐりは李俊基くんの人気をよく知らなくて、会場の熱狂ぶりにかなりビビりました(滝汗)。中には海外から来たファンもいたらしー。すっげー。
なんかふつーの男の子だったけどね。「初めて台本を受取ったとき、続けて二度繰り返して読んで二度とも泣いてしまった」「オーディションでは緊張して震えてしまい、『どうか選ばれますように』と心の中で祈っていた」「そのときの自分の物言いや仕種や服装が男っぽすぎたので、同席していた甘祐晟は『あいつはなんだ』と呆れていたそうだ」などと語っておられました。
李俊益監督はM額のベリーショートにメガネの似合うステキなナイスミドル。舞台挨拶の間ずーっとニコニコしておられました。日本の時代劇も好きで、黒澤明や溝口健二のファンなのだそーだ。
個人的には、子どものころに親しんだパンソリやチャングや朝鮮の伝統舞踊がたくさんでてきて、なんだか懐かしい感じもしました。これをきっかけに韓国のいい時代劇を日本でも観れる機会が増えるといいんだけど。

無念なり

2006年10月21日 | movie
『世界はときどき美しい』
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あのねえ。大失敗!!ですわ。観なきゃよかった。
けっこう毎度大抵の映画はそれなりに楽しんで観る自信はある方だけど、コレはもう完全にダメでした。いちばんキライなパターンだから。
キャストもスタッフも豪華だよ。お金もけっこうかかってる。けど内容がない。
実験映画を気取ってるけどどこも実験的じゃないし、文学的なセリフやモノローグが書きたかったみたいだけど、結局は女子中学生が大学ノートに書きなぐってるポエム程度で終わってる。情緒的な映像が撮りたかったのはわかるけど、まったくオリジナリティというものがなくて撮った人間が自分で自分の映像に酔ってるだけにしか見えない。ざけんなよ。
つまるところ、徹頭徹尾つくり手の自己満足なわけ。そんなものにつきあわされる観客の身にもなってくださいよ。勘弁してほしい。

上映後に舞台挨拶があって、オムニバスの別話とはいえ1本の映画で息子と共演できた松田美由紀さんはものすごおおおおおおく嬉しそうで、幸せいっぱいの笑顔が輝くようでした。他に市川実日子とか若い女優も何人か登壇してたけど、40を過ぎた彼女の美しさはまた格別なものがあったです。息子の方はあいかわらず無感動に淡々としてましたが。