『フローズン・リバー』
舞台はニューヨーク州最北部、セントローレンス川を挟んでカナダに接する町。
新居の購入費用を夫に持ち逃げされたレイ(メリッサ・レオ)は、支払い期限の迫った残金のために、ふとしたきっかけで知りあった先住民モホーク族のライラ(ミスティ・アッパム)とともに密入国者の移送という仕事に手を染める。
違法と知りながら毎夜凍った川を渡る危険な稼業にはまりこんでいくレイだが、ある夜乗せたパキスタン人の荷物に不審を抱いた彼女は・・・。
2008年サンダンス映画祭グランプリ作品。
『クロッシング』の直後にこれを観たのはちょっと失敗だったかもしれない。
だってものの見事に対称的な作品だから。『クロッシング』はアジア映画で『フローズン・リバー』はアメリカ映画。『クロッシング』はビッグバジェットのスター映画、『フローズン・リバー』は新人監督のインディペンデント映画。『クロッシング』の題材は国境を越える人々、『フローズン・リバー』の題材はそれを仲介する側=搾取する側、『クロッシング』の主人公たちは男性で、『フローズン・リバー』の主人公たちは女性。エンディングも完全に対極になっている。
まあしかしある意味では、同じ題材をそれぞれ裏と表から描いているともいえるかもしれない。そう思えば、どちらも見逃しがたい作品ではある。
『クロッシング』のレビューでも家族、家庭のもろさについて書いたけど、この映画にも家庭が重要なファクターとして登場する。
ヒロインは家庭を守るために手段を選ばない。家を捨てて出ていった夫には目もくれず(ほとんど探しもしない)、これから息子ふたりと暮していく新しい家をちゃんと手に入れるにはどうすればいいか、それしかアタマにない。自分のクルマのトランクにつめこむ異邦人は、彼女にとっては人間ですらない。トランクにつめこまれる以前の彼らの暮らしも、トランクから下ろされた後の暮らしも、彼女には徹頭徹尾完璧に関心の外にある。
しかし、危険な仕事の過程で彼女は自身の残酷さと身勝手さに徐々に気づいていく。助手席に乗っているライラにも家庭と生活があるように、トランクに乗せられた密入国者にも人生がある。そんな当り前のことから、彼女は自分がわざと目を疎らしていたことを、最後の最後になって初めて認めるのだ。
賞レースでは主演のメリッサ・レオに評価が集まっていたようだが、ぐり的にはライラを演じたミスティ・アッパムの方が印象的だった。マッチョな体型であまり美人とはいえないし、全編にわたってむすっとぶすくれた表情がちょっと怖いのだが、声がかわいらしい。ラストになってやっと見せる笑顔がキュートだ。
先住民保留区とアメリカ政府との政治的関係の一端を描いた部分も非常に興味深かった。この題材でまた別な作品がつくられたら是非観たいと思う。
この映画の中で、男と女の「家」に対する向きあい方がまったく逆方向に描かれていたのが非常におもしろかった。ヒロインは夫や今の家には関心を示さず新居のことしか考えていないが、息子(チャーリー・マクダーモット)は自分たちを捨てた父親を恋しがり、父が買い与えた日用品や遊具に執着する。それらがヒロインにとって何の価値もなくむしろ苦々しい記憶を呼びおこすものであっても、男の子にとってそれは宝物に違いないのだ。それぞれに現状維持を最優先に考えているようで、その方向性が完全に食い違っている。
リアリティは別として、いっしょに暮している家族の思いのベクトルの対比としてはすごくわかりやすくてよかったです。
舞台はニューヨーク州最北部、セントローレンス川を挟んでカナダに接する町。
新居の購入費用を夫に持ち逃げされたレイ(メリッサ・レオ)は、支払い期限の迫った残金のために、ふとしたきっかけで知りあった先住民モホーク族のライラ(ミスティ・アッパム)とともに密入国者の移送という仕事に手を染める。
違法と知りながら毎夜凍った川を渡る危険な稼業にはまりこんでいくレイだが、ある夜乗せたパキスタン人の荷物に不審を抱いた彼女は・・・。
2008年サンダンス映画祭グランプリ作品。
『クロッシング』の直後にこれを観たのはちょっと失敗だったかもしれない。
だってものの見事に対称的な作品だから。『クロッシング』はアジア映画で『フローズン・リバー』はアメリカ映画。『クロッシング』はビッグバジェットのスター映画、『フローズン・リバー』は新人監督のインディペンデント映画。『クロッシング』の題材は国境を越える人々、『フローズン・リバー』の題材はそれを仲介する側=搾取する側、『クロッシング』の主人公たちは男性で、『フローズン・リバー』の主人公たちは女性。エンディングも完全に対極になっている。
まあしかしある意味では、同じ題材をそれぞれ裏と表から描いているともいえるかもしれない。そう思えば、どちらも見逃しがたい作品ではある。
『クロッシング』のレビューでも家族、家庭のもろさについて書いたけど、この映画にも家庭が重要なファクターとして登場する。
ヒロインは家庭を守るために手段を選ばない。家を捨てて出ていった夫には目もくれず(ほとんど探しもしない)、これから息子ふたりと暮していく新しい家をちゃんと手に入れるにはどうすればいいか、それしかアタマにない。自分のクルマのトランクにつめこむ異邦人は、彼女にとっては人間ですらない。トランクにつめこまれる以前の彼らの暮らしも、トランクから下ろされた後の暮らしも、彼女には徹頭徹尾完璧に関心の外にある。
しかし、危険な仕事の過程で彼女は自身の残酷さと身勝手さに徐々に気づいていく。助手席に乗っているライラにも家庭と生活があるように、トランクに乗せられた密入国者にも人生がある。そんな当り前のことから、彼女は自分がわざと目を疎らしていたことを、最後の最後になって初めて認めるのだ。
賞レースでは主演のメリッサ・レオに評価が集まっていたようだが、ぐり的にはライラを演じたミスティ・アッパムの方が印象的だった。マッチョな体型であまり美人とはいえないし、全編にわたってむすっとぶすくれた表情がちょっと怖いのだが、声がかわいらしい。ラストになってやっと見せる笑顔がキュートだ。
先住民保留区とアメリカ政府との政治的関係の一端を描いた部分も非常に興味深かった。この題材でまた別な作品がつくられたら是非観たいと思う。
この映画の中で、男と女の「家」に対する向きあい方がまったく逆方向に描かれていたのが非常におもしろかった。ヒロインは夫や今の家には関心を示さず新居のことしか考えていないが、息子(チャーリー・マクダーモット)は自分たちを捨てた父親を恋しがり、父が買い与えた日用品や遊具に執着する。それらがヒロインにとって何の価値もなくむしろ苦々しい記憶を呼びおこすものであっても、男の子にとってそれは宝物に違いないのだ。それぞれに現状維持を最優先に考えているようで、その方向性が完全に食い違っている。
リアリティは別として、いっしょに暮している家族の思いのベクトルの対比としてはすごくわかりやすくてよかったです。