今朝は先日の記事に載せた留学生ボランティアの子と朝トレに参加して来た。
写真の右端のフィリピン出身の青年が偶然ぐりのうちの近所の大学に通っていて、留学生仲間同士集まって近くの公園で毎朝運動してるそうな。同じ日にボランティアに参加していた他の留学生の中にもあと3人同じ大学の子がいて、みんなご近所さんである。世の中狭いです。
前回訪問した石巻市ではかなり早い段階でボランティアと地元をつなぐパイプができて、効率的にボランティアを受け入れる態勢ができたみたいだけど、こういうのはけっこう稀なことであるらしい。
今回訪問した地域は石巻と比較してもっと田舎だし、田舎の人はそもそもシャイというか、よそ者を気楽に簡単に受け入れるような土地柄でもない。
それが今では、団体のビブス(ゼッケンのようなベストのようなユニフォーム)をつけた我々が道を通るだけで、皆さんニコニコと手を振ってくれたり、深々とお辞儀してくれる方がいたり、拠点まで差し入れを持って来てくれる方がいたり、とてもあたたかく歓迎してくれている。
これはひとえに、ただただ黙々と復興のためだけに努力しつづけた先達のボランティアの方々の積み重ねがあるからである。そうしたボランティアの姿勢や行動が、徐々に地元の方々の心を動かして来たのだ。人と人が支えあうことの大切さや、そこから生まれる感動の美しさが、今のようなボランティアと被災者との関係を築いて来たのだ。
ボランティアの環境が整って来たことと夏休みという時期のせいもあってか、3ヶ月前とは参加者の雰囲気は少し変わって来た。
3ヶ月前はアウトドア慣れしたガテンな人たちが多かったけど、今回目立ったのは中高年の女性や学生の参加者。相変わらずコア層は30~50代の男性だけど、明らかに女性の比率が上がってるし、学生の数も増えた。それだけ参加できる人の幅が広がったのはとてもいいことだと思う。
でも環境が整い過ぎていて、何をしに東北くんだりまで来たのか忘れてしまう人、何をすべきか勘違いしてしまう人が出てきているのも事実だ。女子学生ボランティアと仲良くなることに必死な人や、瓦礫撤去そっちのけで被災地の風景を撮影するのに夢中な人、地元の方と盛り上がり過ぎて泥酔してしまう人など、さすがのぐりでもちょっとそれはどーか?と眉をひそめる行動も目につくようになった。
ボランティアはそれぞれまったく別人格なのだからひとくくりにされては困るのだが、地元の人から見ればひとくくりの「よそ者」であることに変わりはない。
そこに骨を埋めるだけの覚悟があるならいざ知らず、ボランティアはいずれ必ず被災地を後にする人間である。些細なことで地元に迷惑をかけたり、ボランティアの名誉を損なうようなことにつながってしまったら、これまで積み上げて来た信用も台無しになってしまう。
人手が足りないことだけははっきりしている。
だから、時間があって健康な人なら誰でも参加してほしいとは思う。
食べるものも泊まるところも交通手段も整っている。
だけど、ボランティアは旅行じゃない。
旅行したければボランティアをする必要はない。
そこは間違ってほしくないと思う。
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倉庫の中に置かれた泥まみれのオルゴールとビデオテープ。
オルゴールの曲目は「上を向いて歩こう」と「涙のリクエスト」だった。
8月11日(木)~15日(月)震災ボランティアレポートIndex
4月29日(金)~5月7日(土)震災ボランティアレポートIndex
Googleマップ 震災ボランティアレポートマップ(更新版)
写真の右端のフィリピン出身の青年が偶然ぐりのうちの近所の大学に通っていて、留学生仲間同士集まって近くの公園で毎朝運動してるそうな。同じ日にボランティアに参加していた他の留学生の中にもあと3人同じ大学の子がいて、みんなご近所さんである。世の中狭いです。
前回訪問した石巻市ではかなり早い段階でボランティアと地元をつなぐパイプができて、効率的にボランティアを受け入れる態勢ができたみたいだけど、こういうのはけっこう稀なことであるらしい。
今回訪問した地域は石巻と比較してもっと田舎だし、田舎の人はそもそもシャイというか、よそ者を気楽に簡単に受け入れるような土地柄でもない。
それが今では、団体のビブス(ゼッケンのようなベストのようなユニフォーム)をつけた我々が道を通るだけで、皆さんニコニコと手を振ってくれたり、深々とお辞儀してくれる方がいたり、拠点まで差し入れを持って来てくれる方がいたり、とてもあたたかく歓迎してくれている。
これはひとえに、ただただ黙々と復興のためだけに努力しつづけた先達のボランティアの方々の積み重ねがあるからである。そうしたボランティアの姿勢や行動が、徐々に地元の方々の心を動かして来たのだ。人と人が支えあうことの大切さや、そこから生まれる感動の美しさが、今のようなボランティアと被災者との関係を築いて来たのだ。
ボランティアの環境が整って来たことと夏休みという時期のせいもあってか、3ヶ月前とは参加者の雰囲気は少し変わって来た。
3ヶ月前はアウトドア慣れしたガテンな人たちが多かったけど、今回目立ったのは中高年の女性や学生の参加者。相変わらずコア層は30~50代の男性だけど、明らかに女性の比率が上がってるし、学生の数も増えた。それだけ参加できる人の幅が広がったのはとてもいいことだと思う。
でも環境が整い過ぎていて、何をしに東北くんだりまで来たのか忘れてしまう人、何をすべきか勘違いしてしまう人が出てきているのも事実だ。女子学生ボランティアと仲良くなることに必死な人や、瓦礫撤去そっちのけで被災地の風景を撮影するのに夢中な人、地元の方と盛り上がり過ぎて泥酔してしまう人など、さすがのぐりでもちょっとそれはどーか?と眉をひそめる行動も目につくようになった。
ボランティアはそれぞれまったく別人格なのだからひとくくりにされては困るのだが、地元の人から見ればひとくくりの「よそ者」であることに変わりはない。
そこに骨を埋めるだけの覚悟があるならいざ知らず、ボランティアはいずれ必ず被災地を後にする人間である。些細なことで地元に迷惑をかけたり、ボランティアの名誉を損なうようなことにつながってしまったら、これまで積み上げて来た信用も台無しになってしまう。
人手が足りないことだけははっきりしている。
だから、時間があって健康な人なら誰でも参加してほしいとは思う。
食べるものも泊まるところも交通手段も整っている。
だけど、ボランティアは旅行じゃない。
旅行したければボランティアをする必要はない。
そこは間違ってほしくないと思う。
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倉庫の中に置かれた泥まみれのオルゴールとビデオテープ。
オルゴールの曲目は「上を向いて歩こう」と「涙のリクエスト」だった。
8月11日(木)~15日(月)震災ボランティアレポートIndex
4月29日(金)~5月7日(土)震災ボランティアレポートIndex
Googleマップ 震災ボランティアレポートマップ(更新版)