『追憶と、踊りながら』
ひとり息子カイ(アンドリュー・レオン)を事故で喪い、孤独に介護施設に暮すジュン(チェン・ペイペイ)。英語を話せない彼女の身を案じたカイの友人リチャード(ベン・ウィショー)は、通訳のヴァン(ナオミ・クリスティ)を連れて施設を訪問、ジュンとボーイフレンドのアラン(ピーター・ボウルズ)の仲をとりもとうとする。
冒頭、施設にジュンを見舞うカイとの親子の親密な会話から、物語は始まる。
バスの話やCDの話など、話題はごく他愛もない、なんでもない短い会話だ。なのに、たったそれだけでこの親子の抱えた問題が如実に伝わってくる。
言葉の壁とセクシュアリティの壁、そして世代間ギャップの壁。
イギリスに住んでいながら英語を覚えようとしない母親。ふたりきりの家族なのに、親にいえない秘密を抱えている息子。息子の同居人がどうしても気に入らなくて、ことごとに皮肉ばかりいってしまう。
愛しあい、求めあっているのに、どうしても越えられない壁がそこにある。
映画は、カイが亡くなったあとの“現在”と、彼の生前とを行ったり来たりしながら進行していく。
どちらのパートにもあたたかい愛情が満ちあふれている。ジュンはカイを溺愛しただけでなく、依存してもいた。リチャードにとっても、カイは大切な自慢の恋人でもあった。
その大きな喪失感を埋めたくて、むしろ埋められるはずと信じて、リチャードはジュンに会いにいく。嫌われていることを知りながら、カイとの関係を隠しながら、いつか彼女が心開いてくれるものと願うのは、おそらくリチャードがまだ若いからだと思う。
口ではジュンが孤独だから、助けたいからというリチャードだが、実際にジュンを必要としているのは明らかにリチャードの方だ。愛しあっていた親子を引き離したのは自分ではないのか、愛する人を喪った苦しみを誰かと分かちあいたい、そんなセンチメンタリズムに本人はなかなか気づかない。
だが、ジュンはもう若くはない。
新しいことを覚えたり、環境を変えたり自分自身を変えたりして何かを求めて生きていくことよりも、いま手の中にあるもので満たされるように自分をコントロールしていくことの方が楽だと考えてしまう。
そんな生き方は寂しい、幸せじゃないなどと思う人もいるかもしれない。でも、年をとれば人は誰でも分相応を知る。それはそれで成熟ととらえてもいいのではないだろうか。
英語を決して話そうとしない中国人のジュンだが、そもそも彼女は中国生まれですらない。カンボジア系で北京語以外に5言語を操る。多くの華僑がそのようにして中華人としてのアイデンティティだけを信じて世界中で暮して来たのだろう。良い悪いの問題ではない。
李香蘭の「夜来香」など、中華電影好きには馴染み深い中華歌謡が物語のキーとして使用されているのが嬉しかった。もう一曲は趙衛平の「月兒彎彎照九州」だったかな?
カイ役のアンドリュー・レオンがなんかめちゃめちゃいいかんじでしたが、実は座席が最前列の一番端(そこしか空いてなかった。最後の一席だった)だったのでちょっと自信がないです(笑)。てか若干首痛い。明日大丈夫かなあ。
ひとり息子カイ(アンドリュー・レオン)を事故で喪い、孤独に介護施設に暮すジュン(チェン・ペイペイ)。英語を話せない彼女の身を案じたカイの友人リチャード(ベン・ウィショー)は、通訳のヴァン(ナオミ・クリスティ)を連れて施設を訪問、ジュンとボーイフレンドのアラン(ピーター・ボウルズ)の仲をとりもとうとする。
冒頭、施設にジュンを見舞うカイとの親子の親密な会話から、物語は始まる。
バスの話やCDの話など、話題はごく他愛もない、なんでもない短い会話だ。なのに、たったそれだけでこの親子の抱えた問題が如実に伝わってくる。
言葉の壁とセクシュアリティの壁、そして世代間ギャップの壁。
イギリスに住んでいながら英語を覚えようとしない母親。ふたりきりの家族なのに、親にいえない秘密を抱えている息子。息子の同居人がどうしても気に入らなくて、ことごとに皮肉ばかりいってしまう。
愛しあい、求めあっているのに、どうしても越えられない壁がそこにある。
映画は、カイが亡くなったあとの“現在”と、彼の生前とを行ったり来たりしながら進行していく。
どちらのパートにもあたたかい愛情が満ちあふれている。ジュンはカイを溺愛しただけでなく、依存してもいた。リチャードにとっても、カイは大切な自慢の恋人でもあった。
その大きな喪失感を埋めたくて、むしろ埋められるはずと信じて、リチャードはジュンに会いにいく。嫌われていることを知りながら、カイとの関係を隠しながら、いつか彼女が心開いてくれるものと願うのは、おそらくリチャードがまだ若いからだと思う。
口ではジュンが孤独だから、助けたいからというリチャードだが、実際にジュンを必要としているのは明らかにリチャードの方だ。愛しあっていた親子を引き離したのは自分ではないのか、愛する人を喪った苦しみを誰かと分かちあいたい、そんなセンチメンタリズムに本人はなかなか気づかない。
だが、ジュンはもう若くはない。
新しいことを覚えたり、環境を変えたり自分自身を変えたりして何かを求めて生きていくことよりも、いま手の中にあるもので満たされるように自分をコントロールしていくことの方が楽だと考えてしまう。
そんな生き方は寂しい、幸せじゃないなどと思う人もいるかもしれない。でも、年をとれば人は誰でも分相応を知る。それはそれで成熟ととらえてもいいのではないだろうか。
英語を決して話そうとしない中国人のジュンだが、そもそも彼女は中国生まれですらない。カンボジア系で北京語以外に5言語を操る。多くの華僑がそのようにして中華人としてのアイデンティティだけを信じて世界中で暮して来たのだろう。良い悪いの問題ではない。
李香蘭の「夜来香」など、中華電影好きには馴染み深い中華歌謡が物語のキーとして使用されているのが嬉しかった。もう一曲は趙衛平の「月兒彎彎照九州」だったかな?
カイ役のアンドリュー・レオンがなんかめちゃめちゃいいかんじでしたが、実は座席が最前列の一番端(そこしか空いてなかった。最後の一席だった)だったのでちょっと自信がないです(笑)。てか若干首痛い。明日大丈夫かなあ。