落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

みえない罪の翳に

2023年09月28日 | TV

去年、全国水平社創立100周年を記念して製作された映画『破戒』を観たんだけど。
実は島崎藤村が好きで原作は中学生か高校生のころに読んでたので物語の内容にはまったく何の違和感もなかったんだけど、映画としての完成度がね…ちょっとというか、わりと残念で。推しの眞島秀和氏が主人公に大きな影響を与える活動家の猪子蓮太郎役で出てて、彼のお芝居なんか超・超素晴らしかったんだけどね…何でこうなっちゃったのかなー。

冒頭に貼ったAbema Prime「【部落差別】なぜネットで暴走する?地名やルーツを晒される被害が?就職や結婚に今も壁?『知らない世代』どう学ぶべき?」のアーカイブを観て改めて感じたんだけど、人権侵害とは何であるか、差別とはどういうものか、って概念自体が日本ではあまり認識されてないのがいちばんの問題だなと思います。

誤解を恐れずにいえば、人権侵害なんか世界中どこででも起きている。差別なんかあらゆる社会に蔓延っている。
だけど、少なくとも私が知る限りアメリカやフランスをはじめとしたヨーロッパや中国などの市民の間には、「我が国には人権侵害が存在している」「差別がある」というコンセンサスがある。それをよしとするか否かは個人の判断として。
だから「人権はまもられるべき」「差別はなくすべき」という意見が正義として認知されている。逆に、人権侵害や差別による衝突を回避するために、あえて差別的な政策が採用されることもある。政策を支持するのも支持しないのも人それぞれだけど、その判断には合理的な理由が存在する。合理的な理由も人それぞれだ。
ただし、そうした非人道的な政策はあくまでも、危機的状況を一時的に解消するための緊急避難的措置であるべきで、どこの政府にも、根本的に人権侵害をなくし、差別をなくす社会を築くための政策を模索する義務があると思う。

これが日本ではまったくお話にならない。
日本は単一民族国家だという言説を耳にしたことがある人は少なくないと思う。日本で人権侵害なんか聞いたことがない、差別なんかあるわけがないという人も多いはずだ。
当たり前のことだ。だって人権侵害が何なのか、差別がどういうものなのかを知らないんだから、認知しようがない。コンセンサスなんか存在し得ない。

そもそも憲法で保障されている基本的人権は義務教育で教わるものだけど、それが骨身に浸透している人はどれくらいいるだろうか。
検索すると、知恵蔵では「人間が人間らしく生きていくために必要な、基本的な自由と権利の総称」と定義している。
人権の考え方は18世紀末以降に世界各国の憲法に明文化されるようになったものなので、人の歴史全体の中で考えれば比較的新しいものだ。
もともとは人間の尊厳、法の下の平等、生命身体の安全、自由の保障、思想・信仰・言論・集会・結社の自由、移動の自由、プライバシー保護、財産権の保障、公平な公開裁判の保障、教育の権利や参政権などを指すという。新しい概念なので、時代によって微妙に変化はしている。

で、現代の日本では、これがすべての人にまるっと保障されなくてはならんということになっている。
なのに、「いいや違う」という人々がいて、他人の人権を侵害したり、差別したりする権利を主張し、行使する困った人々がいる。
彼らには彼らの正義があって、それをまもるためには、基本的人権を認めるわけにはいかないということにせねばならんという話です。
勝手な話です。まったく。

そしてもっと困ったことに、この基本的人権を認めませんよという人々が政府にいて、公の場でそれを堂々と口にして、みんながそれでわっはっはと笑ってしまっていたりする。公権力が堂々と人権侵害をしても許されている。むしろ差別や人権侵害を助長するような教育や制度が、たくさんの人々の批判をものともせずに横行するがままになっている。
なぜか。
人権侵害が何なのか、差別がどういうものなのかが、とことん軽視されているからだ。
それはもう絶望的に。
軽視されているから、それは何とかしなくてはという国民的議論には決してなることがない。

Abema Primeでも若い世代が部落差別を知らないのなら、みんな知らない方がいいという意見があった。賛同している出演者もいた。
その発言に悪意はないと思う。
だけど、その感覚こそが、人権侵害が何で差別がどういうものかを知ろうとしていない、知る必要がないという独善的な価値観に基づいていることを、もっと自覚してほしいと思う。
自分が人権侵害を経験したことがないから、差別をしたことがないから、そういうものを見聞きしたことがないからそれでいい、というのではもはや人間社会は成り立たない。

人権侵害が何で差別がどういうものか、私はここで説明するつもりはない。
ただいいたいのは、知らないことは罪だということだけです。
たとえあなたが知らなくても、あなたのすぐそばに、人権侵害や差別に苦しんでいる人がいます。いっぱいいます。それは現実です。
その現実に、見ないふり、知らないふりをするのは、とても卑怯なことだと、私は思う。
個人的な意見として。

関連リンク:日本国憲法

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