落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

初恋の香り

2005年03月19日 | movie
『故郷の香り』
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あーしょっぱかった。
霍建起(フォ・ジェンチィ)監督の前作『ションヤンの酒家』も相当しょっぱかったけど、『故郷〜』はさらにずっしりと「身につまされる」映画でしたねー。
イヤ、良い映画だと思うよ。少なくとも『山の郵便配達』よりかなり洗練されてるし、『ションヤン〜』よりまとまっている。完成度は高いです。評価されて然るべき映画だと思う。ただ個人的な好みを云えば、もう一度観たい映画ではない。観て後悔すると云うことも決してないけども。
なぜか。
それはこの映画が、「人生の残酷さ」をあまりに如実に描きこみ過ぎているからである。
タイトルからはなんとなくノスタルジックでセンチメンタルな帰郷譚のような印象を受けるけど、これは全然そんなあまっちょろい話なんかではないのだ。

物語は主人公井河(ジンハー)の10年ぶりの帰郷から始まる。
彼は幼馴染みでかつて恋人だった暖(ヌアン)と偶然再会し、彼女の家を訪問する。そして自分がなぜ長い年月ふるさとを訪れることをしなかったのか、ふたりの初恋がなぜ実らなかったのかを思い出す。
つまり全体が回想録として描かれている訳で、観客は結末を予め知らされた上で、登場人物の青春物語を見ることになる。美しく才気に溢れていたヒロインがなぜ女優の夢を諦めて聴覚障害者の夫を選びブランコしか娯楽のない田舎の平凡な農家の主婦となったのか、青春が幕をおろし、恋人たちの心が遠ざかっていった過程を、監督はひとつひとつ丁寧にゆったりと静かに描いている。

それぞれのエピソードはどこにでもあるありふれた話だ。ハッキリ云って全くドラマティックではない。だがそれがありふれているからこそリアルであり残酷なのだ。
冒頭、ふたりが粗末な橋の上ですれ違うシーンがせつない。あれほど慕いあったと云うのに、男はすぐには女に気づかない。すれ違ってからふと何かに心を動かされ、連れにあれは暖かと訊ねる。それだけ、年月は女を変えてしまっていた。
不幸な話ではない。よくある話だ。クラスでいちばん頭が良かった子、可愛かった子、かけっこが早かった子が、大人になってそのローカルなスター性を失って普通の人に埋没していく。なんでもないことかもしれない。
我々は青春が永遠に続くものではないことを知っている。しかしその中にいる時はそんなことには誰も気づかない。あざやかに輝かしい日々の連続こそが人生だと誰もが信じている。
ある日そうではないと悟った瞬間の何とも云えない苦い気持ちを、この映画はまざまざと記憶に蘇らせてくれるのだ。

ぶっちゃけ、たかが映画にそんなことを思い知らされたくはないですね。ぐりは。
そういう映画があっても良いと思うよ。それは構わない。
でも今のぐりにはこの映画をフィクションとして楽しむ余裕はちょっと足りなかったです。
ずびばぜん。
その狭間には、つましくも豊かな自然と調和した暮らしの中のささやかな幸せや、運命の前にかなしいほどもろく非力な人間性へのあたたかな愛情も表現されてはいるんだけどね。勿論。

しかし中国の俳優さんてみんな体格良いですよねー。暖役の李佳(リー・ジア)はちょーグラマーだし、井河を演じた郭小冬(グォ・シャオドン)も立派な胸板してます。そんで手足はスラッと長い。中国の映画を見慣れると日本人俳優のスレンダーな体型が貧相に見えてしょうがないです。顔だちが似てるだけに。
日本人俳優と云えばこの映画にも暖の夫役で香川照之が出演しています。聾唖の設定なので台詞はないけど、すごーく良い演技してて、彼の名演だけでもこの映画を観る価値はあると思ったです。
あと風景が綺麗。まさに緑したたる風光明媚な自然描写はそれだけでめちゃめちゃ癒されました。この監督の作品はどーも清貧礼讃思想に染まりがちな傾向があるよーです。あんまり良い趣味じゃないかもしれないけど、まぁ許す。←何様

陳昌鉉著『海峡を渡るバイオリン』

2005年03月05日 | book
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何度かここにも書いたことがあるけど、ぐりは在日コリアン3世です。
両親の両親、つまり祖父母が戦前に朝鮮半島南部から日本に働きに来て、以来ずっと日本に住んでいます。日本の学校で学び、日本で働いて、亡くなった親族はみんな日本のお墓に入っています。
でもぐり自身は祖父母たちがいつどういう経緯で故郷を離れたのか、朝鮮半島の日本統治が終わった時なぜ帰国しなかったのか、彼らが在日コリアンとして生きることを選んだ事情を全く知りませんでした。知りたくても訊けない、よしんば訊いても簡単には話してもらえないだろうという雰囲気もありました。
しかも実際のところ話を訊こうにもぐりと祖父母は言葉が通じないし(彼らはほとんど日本語を話せないしぐりは朝鮮語が話せないので)、ぐりの両親は戦後の生まれで肝心の時代には幼すぎて詳しいことはよく知らない。まれにもれ伝え聞く話は曖昧な子どもの記憶以上の話ではなく、親族以外に在日コリアンの知人友人を持たないぐりにはこれまで両親の他に情報源はありませんでした。

著者の陳昌鉉さんは1929年生まれ。1900~1910年代に生まれたぐりの祖父母と終戦直後生まれの両親との中間、強引に云うならぐりのいちばん上のおじさんおばさんと同世代にあたります。
1910年に朝鮮が日本に統合されて国内が日本の統治に慣れた頃に生まれ育ち、終戦直前に日本に来て明治大学に通ったそうです。学校に行ったこともなければ日本語はおろか朝鮮語の読み書きも出来なかったぐりの祖父母とは、同じ在日とは云えずいぶん違います。
とは云っても封建的だった占領時代の朝鮮、終戦前後の混乱した日本での暮らし、暗く凄惨な朝鮮戦争や軍事政権下と云った時代の描写は、今まですっぽりともやのような薄闇に包まれていた我々の家族の過去の遠景を、あざやかに照らし出されたようでとても新鮮でした。
少なくともここには、陳さんのような朝鮮人がなぜ日本へ渡らなければならなかったのか、なぜ終戦後おいそれと帰郷することが出来なかったのか、そしてそのことがこれまでなぜ公に語られなかったのかが、概念的ではなく経験談として詳しく描かれています。たぶん事情は人それぞれ違ったんだろうけど、彼のように感じ、考えた在日コリアンも大勢いた筈です。帰りたくても帰れなかった、たくさんのせつない物語のひとつが、ここに描かれています。

この本は去年だったかドラマ化されたけど、ぐりは正直云ってひどい番組だと思いました。
出演者の熱演は凄かったけど、全編あまりにも涙のシーンが多すぎて、主人公たちの嘗めた辛酸が変に偏った強調のされ方をしているような感じがして、観ていてなんだか不愉快でした。テーマを時代の荒波や孤独な職人修行ではなく郷愁や家族愛に持って行きたかったのは分かる。その方が一般視聴者には分りやすいから。けどそれもうまく描けていない、トーンがセンチメンタルになりすぎて上手く全体のバランスがとれてない気がしました。ストーリーがとにかくしんどくて。
あにはからんや原作を読んでみたら全然内容が違う。こんなに違ってて果たして許されるのかと首を傾げてしまうくらい違う。著者はこんなドラマになっちゃって良かったのかなぁ。
確かに陳さんは大変な苦労をして異国でたったひとり夢を叶えるため道を切り拓こうと戦ってきたし、その辛苦の凄まじさ、時代背景の悲惨さはとても生半可なTVドラマで描ききれるようなものではなかった。でもそこには、自分は希望を追いかけているのだ、必ずや実現してみせる、と云う情熱の輝きがあった。それがドラマには表現されてなかった。
要するに原作の世界観にひろがりがあり過ぎた、深すぎてTVドラマにはまとめきれなかったってことかもしれないけど。

在日コリアンのバイオリン職人の自伝と云うと小難しい重い本なんじゃないかと構えて読んでみたけど、とても分かりやすくて読みやすい、そして熱い本でした。
若い人、どうして日本にはたくさんの在日コリアンが住んでいるのかよく分からない人にお勧めしたい本です。