落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

おもひでさらさら

2006年01月20日 | book
『古都』朱天心著
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こちらも筒抜通りさんで紹介されてたのでチャレンジ。
朱天文(チュー・ティエンウェン)といえば侯孝賢(ホウ・シャオシェン)組の脚本家だけど、朱天心(チュー・ティエンシン)はその妹。この朱さんとゆー一家は全員文筆家で、ご両親ももうひとりの妹も著述業なのだそーだ。ほう。
『古都』はそんな朱一家の次女天心の短編集。

コレなんだかすごく不思議な本です。
たぶんぐりは初めて読むタイプの小説だと思う。小説ってよりちょっと散文に近いような?なんつーかストーリーラインらしきものがほとんど存在しない、あるひとつの世界観をめんめんと緻密に描写しつづけることで読者の心のなかにひとつの物語をつみあげていくような、そんな感じの文体です。
読み始めはこの雰囲気がなかなかつかみづらくて、実は3回くらい挫折しかけたんだけど、慣れてくればおもしろい。好きかと訊かれると「どーよ?」とゆーカンジですけども。
所収の短編(表題の『古都』は中篇とよぶべきか)はどれも細かな情景描写が大量に続くので、一種のトリビアの集積、記憶のモザイク画みたいな小説ばかりです。
トリビアの方はいささか不正確であったり軽い発見があったりもするんだけど、記憶の方は主観的な思い入れが勝っていて、ぐりはうまく共感はできなかったです。
ただ、中国と日本と台湾というみっつの“故郷”をもつ現代台湾人のアイデンティティのある一面をほのかに感じさせてくれるという意味では、かなり興味深い一冊でした。台湾映画を観る人にはいい資料かも。

しらんかった

2006年01月09日 | book
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昨日TV(NHKの大河ドラマ)をつけたまま隣の部屋でぼーっと寝ていたらなんだか聞き覚えのある声が。
画面をみたら、おお。福本清三さん(@『ラスト・サムライ』サイレント・サムライ役)ではありませんかー。思わず正座して観てしまったよ。すぐ死んじゃったけど(爆)。さすが斬られ役。
早速ファンサイトをチェックしたら、その後民放で放送された別の時代劇にも出とられました。こっちでも始まってすぐ死ぬ役やったけど。
しかし普段は台詞のまったくない斬られ役俳優の声がわかるアタシってマニアックやなー。しかもべつに時代劇ファンじゃないし。

それでひさしぶりに福本さんの本が読みたくなって『どこかで誰かが見ていてくれる』を読み返した。
福本さんは東映太秦撮影所で45年間大部屋俳優を勤め上げた人だ。入社したころは日本映画の黄金時代、時代劇がムチャクチャ大人気だった。いっぱい仕事はあったけど、お給料はとにかく安かった。最初は日雇いだから何の補償もない。当時は技斗(殺陣)師だっていなかったから、仕事は常に危険と隣りあわせ。スタントの技術だって確立されてなかった。
それでも福本さんは自分の選んだ仕事を心から愛した。映画少年だった訳ではない。映画が好きなんではなくて、映画という仕事が好きなのだ。
ただ好きで、ひたすらマジメに謙虚にコツコツやりつづけて、定年まぎわに『ラスト・サムライ』のオファーが来た。台詞もない斬られ役のファンだった方が関係者に強く推薦してくれた結果だった。まさに「どこかで誰かが見ていてくれた」のだ。

読んでいると、仕事って本来理想としてはこういうものなんじゃないかなあという気がしてくる。理想だけどね。
自分でやってることにプライドをもつ。仕事に対しては常に正直に向きあう。ズルしちゃいけません。群れない。驕らない。威張らない。つつましくても豊かな人生。決して派手じゃないけど、しっかりと男らしい生き方。
けど福本さんが半世紀近くも大部屋やってこれたのは、ご家族の理解と協力もあったからだよね。それはとてもうらやましいと思う。すてきなことだ。
定年後も東映で働いている福本さん。俳優ならみんな出たがるハリウッド映画にも大河ドラマにも出た(一話だけだけど)。60過ぎてバリバリ現役。スゴイねえ。
本人は「芝居なんかできない」とかいってるけど、ぐりは福本さんの朴訥とした、飄々としたお芝居好きですよ。またそのうちメインキャストで映画出てください。

プリンス近衞殺人事件

2006年01月08日 | book
『プリンス近衞殺人事件』V.A.アルハンゲリスキー著 瀧澤一郎訳
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コレも『近衞家の太平洋戦争』に出てきたんで読んでみました。
タイトルは推理小説かなんかみたいですが、実はノンフィクション。旧ソ連時代の日本人シベリア抑留問題を描いたルポルタージュです。ちなみに“プリンス”ってのは公爵のことです(近衞家は当時公爵家)。
訳者あとがきによれば原著はもっと量が多くて、訳出時に編集を入れて読みやすくしたらしいんだけど、日本語版ですら充分重いッス。あまりにも重くてぐりは途中からまともに読むのヤメてしまいました(爆)。最後まで読んだけどね。一応。ナナメ読みだけど。
まーとんでもない本です。ヤバい。アブナイよ。

旧ソ連が崩壊したからか、ロシアとの外交問題に絡むからなのか、日本でも既に忘れられかけているシベリア抑留問題。
実際には一体何人の日本人が捕虜になり、そのうち何人がどこでどうしていつ亡くなったのかがろくに解明されないままになっている。スターリンは死亡者の数を「ヒロシマふたつぶん」と発言したという。しかし著者が調べた数種類の“公式文書”に挙げられた数字はそれぞれてんでバラバラ、どれひとつ根拠らしい根拠もない。亡くなった日本人の遺体が埋葬された墓地はことごとくが破壊され跡形もなく抹消されている。あるのは“見世物”用の墓地と収容所跡だけ。
これだけでも相当なお話だけど、こんなんまるっきり序の口っすよ。もーメチャクチャです。ソ連がどんだけ暴力とウソと陰謀に塗り固められたインチキ国家だったか、そのためにどれだけの罪もない人々が虫けらのように殺され闇から闇へと葬り去られたかが、ぎっしり延々と書き綴られてます。ここに書かれたことがみんなホントなら、今ごろお隣の某独裁共産国で行われてることなんか全然カワイイもんです。
ぐったり。

著者は11年間も無実の罪で抑留され、しつこく尋問攻めにされスパイになるよう縷々説得されながらも、最後まで自分を見失わなかった近衞文隆という人物にひどく共鳴したみたいですが、それはぐりもわかる気がする。
だって11年ですよ。家族のもとに帰してやるからスパイになれ、といわれてウンといわない方がヘンです。五摂家筆頭当主に生まれたという立場だけが、反逆者として母国の土を踏むことよりも、罪人として異国の地で朽ち果てることを文隆氏に選ばせたのかもしれない。
それでも彼は最後まで帰国を諦めてはいなかった。家族への手紙には、生きてみんなと再会する日々のことを夢みる気持ちがいっぱいにあふれている。
育ちがいいってこういうことをいうんだろうなあと思う。きっと近衞家はとびきり家族仲のいい、あったかなおうちだったのだろう。文隆氏は奥さんのことを心から大切にしていたのだろう。そういう、人間のきれいな部分をつゆほども疑うことをしらない、最後まで決して希望を捨てない強くまっすぐな心って、大事に大事に愛されて育った人だからこそ持っていられるんじゃないかなあ。

にしてもこの本はちょっとマジすごいです・・・読み終わった今もムネがいっぱい・・・オエ。
人間が人間にこんなひどいことが出来るとは。読むんじゃなかった・・・カモ。

※追記。
この本はかなり一方的な観点で書かれており、また日本や近衞家に関する記述にも相当な偏りや事実誤認が含まれます。第二次世界大戦や近衞家について前もって基本的な情報を踏まえて読まれることをオススメします。

ミルフィーユ小説

2006年01月06日 | book
『わたしたちが孤児だったころ』カズオ・イシグロ著
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筒抜通りさんで紹介されてたのがきっかけで図書館で借りてみました。
イシグロは『日の名残り』しか読んでなかったのでちょっと意外。訳者あとがきに書かれてたようにイシグロ自身「もう‘リアリズムの作家’なんて呼ばれたくない」と発言した通り、ある意味幻想小説ともとれる雰囲気の物語。一時期村上春樹が描いてた冒険モノとも似てます。
舞台は第一次世界大戦直後の上海。英国企業の現地駐在員の家庭に生まれたクリストファーは、隣家の日本人少年アキラと穏やかに子ども時代を過ごしていたが、突然両親が相次いで行方不明となり孤児として本国へ送り返される。叔母のもとで育てられ成人後名探偵として成功した彼は、幼時に生き別れた両親と再会すべく、日中戦争下の上海へ舞い戻る。
こうして書くと一種の戦争小説みたいですが、ところがどっこいそうではない。
主人公が生まれ育ったのはイギリスの崩壊しかけた階級社会。偽善と欺瞞と虚栄に満ちた前近代的な世界です。彼が幼少時代を暮した上海の租界や、第二次世界大戦勃発前の島国イギリスは、激しくうねる時代の波から辛うじて取り残された、過去を閉じ込めた小さな小宇宙だった。その小宇宙の平和な空気は、外の世界の人々の血や涙やその他のおぞましい犠牲の上に成り立っていた。クリストファーは20年以上前に消えた両親の面影を追って、その小宇宙から“血と涙とおぞましい犠牲”の世界へと踊りこんでいく。
つまり、イシグロ含め世間一般の人々が古き良き時代として懐かしむ階級社会を、激しく皮肉った小説でもある訳です。

読んでいる間じゅう、ぐりはこれなんだかお菓子のミルフィーユに似てるなあと思ってました。
薄くて軽くて壊れやすい、香ばしいパイ生地が何層にも折り重なったお菓子。それぞれの層は独立しているように見えて互いに支えあっている。それぞれ別のもののようで、離れてみればどれも同じなもの。少年時代や租界や上流社会やロンドンや戦争や日本や中国が、そんな風に折り重なった世界にみえました。
しかし戦争や階級社会がこんな風な幻想小説のモチーフになりうるとは意外です。おもしろかった。
訳者あとがきに映画化されると書かれてたけど、まだ完成してないみたいですね。まあやるとすりゃーすんごいお金と手間がかかりそーです。

新幹線のおかげさま

2006年01月05日 | movie
『JSA』
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いつの間にかすっかりミーハーになったぐりパパ、最近のお気には李炳憲(イ・ビョンホン)。日本人ではオダギリジョーと妻夫木聡、去年宝塚の舞台を初めてナマで観てからはヅカワールドにもどっぷりハマってしまっている。ど、どーしたんだ一体?そんなぐりパパは今年還暦ッス。
なかでもびょんさんにはものすごーいご執心で、まあさすがにおっかけとかはしないけど(そこまでヒマじゃない。一応自営業だし>汗)、日本で公開されてる映画や放送されてるドラマはぜーんぶ観てるらしい。この『JSA』ももう何度も観てるらしく、他にもTVでやってたドラマもいっしょに観たけど、観てる間じゅう「目がいい」だの「表情がいい」だの「笑顔が可愛い」だの「声がセクシー」だの、びょんさんのことばっかしなんかいろいろいってました。楽しそうでいいね。
むしろ宋康昊(ソン・ガンホ)の方がかっこよくみえるぐりの方の趣味がおかしいのか。そんなことないよね?

ぐりはびょんさんには全然興味がないので(キライではない。演技もうまいしかっこいいと思うけど、とくに好きではないとゆーだけのこと)映画の内容しか印象に残らなかったけど、いい映画だと思いますよ。ウン。
なんで今まで観なかったか?単なる食わず嫌いです。世間で騒がれてるモノはその騒ぎだけで満腹になってしまうとゆー、単なる天の邪鬼。
レビューをちょこっとみてまわったら日本では賛否両論のよーですが、それもわかるよ。つかコレは日本人にはかなりわかりにくい民族意識がベースになってるからねえ。朝鮮民族独特の儒教精神とか、完全に形骸化されつつあるイデオロギーに分断された民族の悲哀とか。
そこが理解出来なかったらこの映画の涙にはなかなかついてけないと思う。逆にいえばストーリーテリングがそこの精神論に甘えてるともいえるしさ。
李英愛(イ・ヨンエ@ぐりママのアイドル)なんかカンッペキ添え物状態ですし。

だからこの映画本来のテーマはやはり「引き裂かれた故郷とそこに住む人々の悲しみ」なんだろうと思うし、それをこういうサスペンスで表現した娯楽映画としてはかなりよく出来てると思います。これからコレを観る日本の人にはそこをよく踏まえて観ることをオススメします。
それとー、冒頭画面が暗過ぎて人物関係がわかりにくくて、うまくはいりこめなかった。機会があればもっかい観なおしたいですねー。