落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

it's a bit too early for a gimlet

2007年05月12日 | book
『長いお別れ』レイモンド・チャンドラー著 清水俊二訳
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最近『ロング・グッドバイ』というタイトルで村上春樹訳が出たチャンドラーの最高傑作とも称される推理サスペンス。
ロバート・アルトマンが1974年に映画化してます。なんとアーノルド・シュワルツネッガーが出てるそーですが、ぐりは未見。
おもしろかったです。ひじょーに。ぐりは推理小説があまり好きではないので(中学時代は好きだったなあ)チャンドラー作品そのものも初めて読んだんだけど、いやー。いいですね。カタくて。こりっこりにかたい歯ごたえ、ぴりっとした舌触り、きりりと刺激的な香り、カクテルでいうとまさにギムレットって感じ。「ギムレットには早すぎる」ってやつよ(笑)。
しかしこれはどっかで指摘があったと思うんだけど、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』そっくりですな。というか『ダンス〜』が『〜お別れ』を下敷きにしてるというべきか。もともと村上氏はチャンドラー・ファンを公言してるし、似ること自体は問題はないと思う。ストーリーそのものが似てるわけじゃないし。舞台の仕掛けや役者が似てる。同じ劇団の別の出し物みたいな似方なんだよね。
村上作品と決定的に違うのは、主人公マーロウがとことん「やなやつ」だってとこでしょーか(笑)。まったくもってかわいくない。かわいくなくたっていいんだけど。偽悪的というか、アタマがまわりすぎるし、他人を挑発するテクニックに長けすぎている。読んでるこっちも挑発されてる気分になる。それもきっと演出なんだけど。

全体としてはかなり楽しんで読めたんだけど、惜しむらくは後半以降のストーリーにだんだんコシがなくなってくるのがなんとも残念でした。あたかもねじを巻いたぜんまいがじわじわとゆるくなるように、徐々に「それがどうした」的な展開に陥っていく。クライマックスだというのにもうひとつ緊張感が足りない。
あと男同士の絆についての描写はやけにしつこいのに、女性の登場人物に対しては愛がないとゆーか、男女間の愛情についての表現もやや投げ遺りな印象がひっかかりましたです。


it's a bit too early for a gimlet

2007年05月12日 | movie
『ビリン・闘いの村』

『パラダイス・ナウ』を観た話を仕事場でしたら、知りあいがパレスチナに行ってドキュメンタリーを撮ってきた、という同僚がいた。その作品の上映会が今日あったので観に行った。
監督の佐藤レオ氏は以前からパレスチナ問題に関わりがあったわけではなくて、イスラエルを旅行で訪問したときに泊った宿で『THE WALL』というドキュメンタリーを撮っている八木健次氏と偶然知りあい、佐藤氏がもともと映像編集を職業としていた関係で取材・制作に関わるようになったのだそうだ。まあだからなりゆきです。
この作品は佐藤氏が去年改めて独自に取材してつくったそうだけど、そういう「なりゆき感」がものすごくフラットというかニュートラルな観点にもなっていて、それはそれでわかりやすくはなってるなとは感じました。
ただドキュメンタリーとして成熟してるかというとそこはやっぱりまだまだで、非暴力による抵抗運動という輸入ものの概念がテーマになっているため、当事者であるはずのパレスチナ人、ビリンの村の姿かたちは今ひとつ伝わりにくい。できることなら、イスラエル政府の圧力の下で彼らがどんな生活をしているのか、どんな人が住んでいるどんな村なのかをもっと前面に出した構成にした方が、よりわかりやすいのでは?とも思いました。
客席にはパレスチナ問題に関心の高い観客や専門家が多く来ていて、上映後のトークセッションもとても勉強になりましたです。


それからの日々

2007年05月10日 | book
『わが家への道 ローラの旅日記』
『大草原のおくりもの ローラとローズのメッセージ』
『ローラからのおくりもの』
 ローラ・インガルス・ワイルダー/ローズ・ワイルダー・レイン著 谷口由美子訳
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「小さな家シリーズ」の著者であり主人公でもあるローラが生前に出版した本は『大きな森の小さな家』『農場の少年』『大草原の小さな家』『プラムクリークの土手で』『シルバーレイクの岸辺で』『長い冬』『大草原の小さな町』『この楽しき日々』の8冊。
ローラは読者や出版社の熱烈な要望に応えるかたちで次々とシリーズを書いたが、『この楽しき日々』を書いた後は86歳になる夫アルマンゾのためにと著述業から引退した。6年後の1949年にアルマンゾは亡くなり、57年にローラも90歳でこの世を去った。
シリーズ最後の1冊『はじめの四年間』は夫妻のひとり娘ローズの没後、彼女の養子でありマネジャーでもあったロジャー・リー・マクブライド氏が遺品のなかから発見した草稿を出版したもの。他の8冊と文体がまったく違うのはこのためである。

『わが家への道』はローズが母の死後に出版した旅日記である。
ローラにはもともと日記をつける習慣はなかったが、1894年7月〜8月の6週間ほどの期間は例外的に詳細な日記を書いていた。その夏、ワイルダー夫妻は幼い娘を連れてミネソタ州からミズーリ州まで幌馬車で旅をしたのだ。旱魃で収穫の上がらないミネソタでの農場経営を諦め、リンゴがとれるというマンスフィールドでの新生活を夢みて。西部開拓時代最末期、27歳当時のローラが書いた短い日記の前後に、ローズは解説文をつけて出版した。『はじめの四年間』に書かれた新婚時代のワイルダー夫妻の、そのまた後の日々が書かれている。
『大草原のおくりもの』『ローラからのおくりもの』はともにさらに後年、ローラの研究者ウィリアム・アンダーソン氏が編集した本で、収録されているのはローラがまだシリーズを書く以前に地元の週刊新聞に寄稿していたコラムやスピーチ原稿、ローズが家族を題材に書いたエッセイや短編小説、またインガルス家の人々が書いた覚書きや日記、詩など。シリーズに描かれた一家とはまた別の、現実の彼らの姿を伺うことのできる文章や、当時の貴重な写真も数多く掲載されている。

ローラと執筆をサポートしたローズはシリーズを子ども向けに書くため、事実をそのまま本にするのではなく、ある程度省略したり脚色したりして読みやすく加工した。
なので登場人物は大半が実在の人物なのだがやや理想化されてはいるし、物語には多少のヒロイズムが加味されてもいる。この3冊におさめられた文章はローズの短編を除いたすべてがノンフィクションなので、そういう演出はほぼみられない。かといってシリーズに登場した彼らともさほどズレはない。ある意味で、ローラはまさに自らの記憶に忠実に、一家の姿を物語の中に再現しようとしていたことがひしひしと伝わってくる。
なかにはほほえましい「省略」もある。ローラは『シルバーレイク〜』で出会い巻を追うごとに親しくなっていく未来の夫アルマンゾへの思いを、シリーズでは具体的に描写しようとはしなかった。むしろ初恋の少年(と思われる)キャップ・ガーランドについての描写の方が細かいくらいである。だが『ローラからのおくりもの』におさめられた婚約時代に書いた詩には、ほとばしるように熱い恋心がのびのびと描かれている。感情を抑えることで貞節であろうとする当時の女性の価値観は、半世紀経って著名な作家になっても変化しなかったのだろう。
悲しい省略もある。インガルス家にはひとり息子がいたのだが1歳になる前に病気で亡くなってしまった。この前後のことはローラはシリーズに書かなかったが、TVドラマには描かれている。

また、この3冊でインガルス家とワイルダー夫妻の「シリーズ」後の様子を知ることもできる。
ワイルダー夫妻がマンスフィールドに向けてデ・スメットを旅立つ前日のインガルス家での晩餐をローズが描いた「祖父のヴァイオリン」という文に、まさにこの一家を象徴する“とうさん”のひとことが書かれている。

「ローラ、おまえは、ほんのちびさんのときから、いつだってとうさんたちのそばにいた。かあさんもとうさんも、おまえたちにしてやり?スいと思うことを存分にはしてやれなかった。だが、とうさんたちがいなくなっても、少しだが何かは残るだろう。だから、今とうさんはこう?「いたいんだ、おまえたちみんなに、覚えていてもらいたい。その時がきたら、ローラ、おまえにこのヴァイオリンを持っていてほしいんだよ?v
─『大草原のおくりもの ローラとローズのメッセージ』p114

当時インガルス氏は58歳。
遺言をいうにはまだ早いような年齢だが、電話などもちろんなく郵便事情も不完全、公共交通機関の発達も充分でなく自動車も普及していなかったこの時代、650マイル(約1050km)も遠くの土地へ離れていく家族が、再び生きて会える保証は何もなかった。開拓地の厳しい気候のこともあるし、医療設備が不十分な田舎のことでもあった。
だから彼は、娘でもあり同士でもあったローラに、言い残すことがあるなら、この夜にいっておくべきだと考えたのだろう。
つらい時、苦しい時、悲しい時、常に家族を励まし、癒してくれたヴァイオリン。今となってはインガルス氏がどこでヴァイオリンを手に入れ、どういう経緯で演奏法を身につけたのかは誰にもわからない。ただこの一挺の弦楽器が彼の分身であり、家族の心の拠りどころであったことだけは間違いがない。どれほど貧しくても彼らは決してヴァイオリンを売って生活の足しにしようとはしなかった。どこへ行くにも大切に持ち歩き、家族団欒の時にはそっと取り出して奏で、歌った。
それを他でもないローラに遺したい、と父はいった。

8年後、インガルス氏が病に倒れたとき、ローラはデ・スメットに戻って死を看取っている。
ヴァイオリンはローラに引き継がれ、今ではマンスフィールドの記念館に収蔵されている。
インガルス氏の死から30年後、ローラは『大きな森の小さな家』を出版した。彼女はヴァイオリン以上のものを父から、母から受け継ぎ、それをひろく世に遺したい、語り継ぎたいと考えた。そしてそれを実行したのだ。
インガルス家の人はもうこの世にはひとりも残っていない。だが世界中の人の記憶と思い出に、彼らは永久に語り継がれていく。

日本ではローラの娘としてしか知られていないローズだが、シリーズが出た当時のアメリカでは彼女は既に成功した有名作家で、逆にローラが「ローズ・ワイルダー・レインの母」として紹介された。
ローズは1922年には『イノセンス』でオー・ヘンリー賞(英語で書かれた短編に贈られる。歴代受賞者にはフィッツジェラルド、カポーティ、スタインベック、アップダイク、ウルフ、ブラッドベリ、カーヴァーなど。近年ではプルーが『ブロークバック・マウンテン』で受賞)も受賞していて、この作品は『大草原のおくりもの』で読むことができる。ゴ?Vックな文体が魅力的な、独特に美しい短編小説である。生前未発表になっていた短編スリラー『窓に映る顔』も非常に優れた作品である。
ぐりはこれまで彼女の作品をまったく読んでいなかったのだが、今後機会があったらもっと読んでみたいと思いました。

替え玉★?

2007年05月06日 | movie
『リンガー! 替え玉★選手権』
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なんかもっとブラック!!なコメディかと思いきや、超フツーのスポ根ラブコメでした。おもしろかった。
ストーリーはごくありきたり。健常者でありながらひょんなことから高機能障害を装ってスぺシャル・オリンピックスに出場することになった主人公スティーブ(ジョニー「ジャッカス」ノックスヴィル)だが、訓練所で出会った仲間たちに意外な側面が多々あることに驚かされる。彼らには早々に嘘を見破られてしまうが、優しくて美人のボランティアのリン(キャサリン・ハイグル)まで欺いている罪悪感に苛まれながらも優勝を目指す。

知的障碍者が登場する映画といえばどうしても説教くさい感動モノになりがちだけど、たぶんこの映画の意義はそういう既成概念をあえて否定してるところが重要なんだと思う。
障碍者=気の毒、不運、保護されるべき人々、みたいな偽善的な偏見はまったく意味がない。彼らには確かに「できないこと」「わからないこと」はある。でも、“健常者”にだって「できないこと」や「わからないこと」はそれぞれにある。程度問題、個性の問題といってしまえばそれまでである。要は人間は障碍があるとかないとかいう尺度では測れないし、障碍があるだけで人をひとくくりにしてしまうのは乱暴だし、ものの見方としても貧しすぎる。
だからこそ、この映画では完全に障碍=個性、おもしろいもの、笑えるもの、キュートなもの、魅力的なもの、ヘンなものとして表現している。
ストーリーが陳腐なことや涙や感動がないことにもちゃんと理由がある。障碍は商品じゃない。商品にできるけど、この作品では商品化することを否定することで、障碍をもっとポジティブに受けとめるべきだと訴えようとしているのだろう。

出演してる知的障碍者の人たちについて詳しく知りたかったのだが、劇場用パンフレットが売られてなくて残念でした(ホントに障碍をもってる人たちが出演している)。


大草原の小さな家

2007年05月03日 | book
『大きな森の小さな家』
『大草原の小さな家』
『プラムクリークの土手で』
『シルバーレイクの岸辺で』
『長い冬』
『大草原の小さな町』
『この楽しき日々』
『はじめの四年間』
 ローラ・インガルス・ワイルダー著 恩地三保子/谷口由美子訳
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来月ドラマのDVDが発売されるという告知を聞いて久々に読み返したくなり、先月実家に戻ったときに小学生のころ読んだ『シルバーレイク〜』までの4冊(本当は『農場の少年』も含めて5冊シリーズなのだがこの巻にはインガルス一家が登場しないので今回は割愛)を回収、『長い冬』以降は図書館で新訳を借りた。なのでヒロイン・ローラの少女時代までを描いた前半4冊と、青春時代を描いた後半4冊では訳者も発行元も別である。
どれも初めに読んだのは中学時代よりもっと前なので、たっぷり20数年ぶりの再読。

ストーリーだけを追って読んでいると、インガルス一家の運命はまこと苛酷の二文字以外に表現のしようがないように思える。
ローラが5歳だったウィスコンシン州の森林地帯での生活を描いた『大きな森〜』にはへヴィーな描写はほとんどない。著者でもあるローラ自身の記憶に残っていなかったせいだと思われる。
だがその森を出た後の一家には、アメリカ先住民と合衆国政府との土地争い、火事、伝染病、イナゴの大発生、旱魃、吹雪、竜巻、熱風、雹などなど、これでもかといわんばかりの苦難が次々と襲ってくる。農地を追われたこともあった。作物が全てだめになってしまったこともあった。ローラの姉メアリは猩紅熱による脳炎で失明する。吹雪で汽車が運休して食糧がなくなり餓死寸前に追いこまれた冬もあった。夫アルマンゾはジフテリアの後遺症で軽い四肢麻痺が残ってしまう。生まれたばかりの小さな家族を失ったことさえある。
それでも一家は決してめげない。逃げたり諦めたりはしない。誰かを責めたり恨んだり謗ったりもしない。
たとえ何かを失っても、残されたものに心から感謝し、どんなに小さな悦びでも互いにわけあい、必死に支えあって常に前向きに生きていく。勇敢とはまさに彼らのような生き方をいうのだろう。

20数年ぶりの再読で初めて気づいて驚いたことがある。
ローラの父親=チャールズ・インガルスは1836年生まれ、ローラは1867年生まれ。物語の背景は1872〜1889年なので、当時インガルス氏は既に30代後半〜50代だった計算になる。働き盛りといえばそうかもしれないけど、中年といえばしっかりと中年である。少なくとも若者ではない。
それを思えば、物語に描かれるインガルス氏の働きぶりには信じられないものがある。朝は夜明け前から家畜の世話、昼は農作業か狩猟か燃料集め、農閑期には雇われの大工仕事もするし、自前の農地で収穫がない年には数百キロの道程を歩いて出稼ぎにまで行く。それだけではない、どこへ行っても自分で住む家は自分で建てるし、井戸も掘るし、家具や装飾品やオモチャもつくる。冬の夜は家族のためにヴァイオリンを弾いて歌を歌う。どんだけ体力あるんだか。体力だけじゃないけど。知力もだけど。
一家は開拓農民だから、何をするにしても他人の助けはまずあてにならない。誰も住む人のいない見知らぬ土地へ引越していくのだから、あてにする人間もいなければモノもない。家族で助けあう以外に生きる術はないし、食べ物も着るものも住むところも、ないものは全部自分たちでつくらなければ手に入らない。ふとんもドレスも下着も帽子もコートも靴下もバターもチーズもソーセージも何もかも、手づくりするしかなかった。彼らの家でよそから買ってきたものといえば、靴と窓ガラスと来客用の白砂糖くらいしかなかった。
そのとき、“とうさん”と“かあさん”はもう30代後半だったのだ。アメリカ人、すごすぎます。
いや、つい100年ほど前まで、世界中どこの人間もそうして暮していたのだ。当り前のように。

ローラ本人は65歳になってから作家でもある一人娘ローズの協力で少女時代を回想した小説を発表し始め、1957年に90歳で亡くなった。ローズはその後なんと79歳でベトナム戦争に従軍記者として派遣されている。
今はインガルス一家を継ぐ人間は存在しないが、19世紀のアメリカを生きた彼らの物語には、人間には無限の可能性と希望が生まれながらに備わっていることを教えられる。だからこそこの物語はこれほど長く世界中で愛されているのだろう。
あとコレ、開拓農民の物語にしてはかなりリベラルな視点で描かれてるのも特色なのではないかと思う。そういうところも普遍的な人気につながっているのかも。