落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

空よりもまだ青く

2017年01月22日 | movie
『海よりもまだ深く』

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15年前に新人賞を受賞した小説家の良多(阿部寛)。その後は大したヒット作を書くこともできず、興信所で探偵をしながら離婚した元妻(真木よう子)と息子(吉澤太陽)の姿を遠くから盗み見る日々を過ごしていた。
月に一度の面会日、別れがたさに真悟を連れて母(樹木希林)の家を訪れるが、折りから接近していた台風の影響で、迎えにきた妻も帰宅できなくなり・・・。
『そして父になる』『歩いても歩いても』『空気人形』『花よりもなほ』『誰も知らない』の是枝裕和監督作品。

なんかものすごい猛烈にイタい。
むっちゃくちゃリアル。生々しい。夢も幻想もへったくれもない。よくこんな映画商業映画で撮れたよね。日本でさ。
しかも主演・阿部寛。いまや好感度ぶっちぎりナンバーワン(出てるCMが住宅メーカーに銀行に生保にミネラルウォーターです)の阿部寛が、月5万の養育費やら家賃すらろくに払えないギャンブル狂いの50男役。せこいわだらしないわ未練たらしいわ器小さいわ、ふりきりすぎやろ。
他のキャストも全然芝居が芝居に見えない。樹木希林しかり真木よう子しかり小林聡美しかりリリー・フランキーしかり池松壮亮しかり。邦画ってホントに演技ウマい人いーっぱいいるんだよね。だから逆にいえば、邦画がもしイケてないとしたらそれは役者のせいというより演出側とか制作側の問題なんだよなという妙なところを痛感させられる映画だったです。

物語そのものはあまりにも身につまされ過ぎてちょっとしんどかったです。
主人公は50にもなって「なりたい大人」どころかまともな大人にすらなれていないバカ男なんだけど、彼の愚かさには人間誰しも大なり小なり心当たりがあるのではないだろうか。
失ってからしかたいせつなものに気づけない。絶対に似たくないと思っていた親そっくりにいつの間にかなってしまっている自分への自己嫌悪。勝算などない賭けについ夢を見てしまうのが現実逃避だとわかっていてやめられない。
でもそれをいちいちひとつずつリアルに再現されて「ほれどや?どないや?」なんて突きつけられても、ちょっとしんどいだけなんですけど。

悪い映画ではないよ。いい映画だと思うよ。
是枝さんはこの描写力を活かして、もうちょっとメッセージ性のある広がりのある作品を撮ってくれないかなあ。もういいかげんホームドラマはいいでしょう。
舞台になった清瀬周辺は学生時代に何度かいったことあるんだけど、あまりに雰囲気変わってなくて逆に驚きました。東京にも変わらない場所ってあるんだね。懐かしかったです。
テレサ・テンいいよね。彼女の歌ってホントに映画によく似合う。なんでだろう。



4月25日のタカアシガニ

2017年01月22日 | movie
『湯を沸かすほどの熱い愛』

ステージ4の末期がんで余命宣告を受けた双葉(宮沢りえ)。
死ぬまでにやるべきことを果たそうと奮起した彼女はまず、いじめられて不登校寸前だった娘・安澄(杉咲花)に「大事なときに着る下着」をプレゼント、興信所に依頼して1年前に蒸発した夫・一浩(オダギリジョー)をみつけだし、休業中だった銭湯の営業を再開する。
一浩が連れ帰った浮気相手の娘・鮎子(伊東蒼)と安澄を連れて静岡に旅行にいった彼女には、これまででもっともつらい告白が待ち受けていたのだが・・・。

正直「余命もの」の映画は基本的に観ない主義なのですが、身内が観て「感動した」といっていたので観てみました。
まず宮沢りえが死にそうなお母さんってヤバいでしょ。その夫がオダジョーってなんなのそれ。旅先で出会う若者が松坂桃李なんかあり得へんやろ。
もうだから設定は完全にファンタジーだし、物語そのものは徹頭徹尾メロドラマです。
ただ脚本はすごいよくできてるし、出演者の芝居はほんとにすごい。全員そんなそこまで必死のぱっちで根性振り絞ってたら、そのうち脳味噌どっかぷっちんいってしまうんやないか?とはらはらしてしまうような大熱演ばっかりなんだよね。そこに感動しましたよ。そんなに限界こえて真に迫れる演出力ってなんでしょうね。スゴイです。

宮沢りえが熱演なのは毎度のことなのであまり意外性はないんだけど、オダギリジョーは改めて演技うまいなと感心してしまった。二枚目過ぎて損してるクチだよね。ほんとにいつまでも老けなくて綺麗で、できる役が限られるのって大変だなと同情してしまう。この映画でもあくまでオダジョーはオダジョーのままなんだけど、それでもどこか大人になりきれない、優し過ぎてちゃらんぽらんなお父さん役はうまくはまってました。
最近注目の杉咲花にはまたぶっとんだ。ものすごく幼く見えるのは役づくりなのか、高校生役なのに中学生にしか見えない。実際は撮影当時すでに18歳を過ぎてたはずだけど、衣裳やヘアメイクだけでなく、声音まで完全に「子ども」になりきってるのが怖いなと思いました。
子役の伊東蒼は台詞回しはまったくうまくないのに、芝居が芝居に見えないのにビビる。いわゆる美少女でもないんだよね。そのへんによくいる非印象的な平凡な子。そういう子をこの「お涙頂戴」役にもってきたキャスティングに、制作者側の気合いを感じた。
松坂桃李はスクリーンで観るのは初めてだったんだけど、こんなに器用な人だったんだね。あんまり知らなくてすみません。個人的にはなんでこの人がこんなに売れてるのかがいまひとつわかってなかったんだけど、とりあえずプロポーションがマンガみたい。すみません。
でも終わってみたら探偵役の駿河太郎がいちばんめだってました。なんでしょうね。強烈っていうんではないんだけど、台詞に説得力があった。

観終わってやっぱり「余命もの」って好きになれないなって思ってしまいました。
余命宣告されなきゃ確かめられない愛の話って、なんだか貧乏くさいじゃないかと思ってしまう。表現として、もっと豊かな愛の伝え方があるだろうと思ってしまう。
ただそれはそれとして、映画として物語として頑張れるのびしろが、日本映画にこれだけあったんだってことはすがすがしく感じました。



It was to be trampled on by men that I was born into this world.

2017年01月22日 | movie
『沈黙—サイレンス—』

1643年、イエズス会に日本で布教活動をしていた宣教師フェレイラ(リーアム・ニーソン)が棄教したとの報が届き、恩師の裏切りが信じられない弟子のロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルベ(アダム・ドライヴァー)は日本まで彼を探しに旅立つ。マカオで出会ったキチジロー(窪塚洋介)の案内で辿り着いたトモギ村では指導者を失った隠れキリシタンに歓迎されるものの、間もなく彼らの存在は奉行に露見、信徒ともども囚われの身となる。
遠藤周作の『沈黙』を原作にマーティン・スコセッシが映像化、2016年度アカデミー賞の最有力候補とも目される力作。

虫の音が非常に象徴的に使われた映画だ。
日本には虫の声を愛でる文化があるが他国にはそれはなかなかないというけど、この映画に関していえば、重要なメタファーとして虫の声が繰返し登場する。冒頭にも、エンドロールにも大音量の虫の声。
日本に暮らす人にとっては季節や風情や草いきれの中の小さな命たちを感じさせる音だが、この映画を製作した海の向こうの国々の人にはどう聞こえるのだろうか。
ミステリアスでエキゾチックなノイズ、それとも沈黙する神との対比に聞こえるのだろうか。
ここにいる、いつもあなたのそばにいる、愛していると囁く神の声に聞こえるのだろうか。

原作では何度も何度も神に「なぜあなたは黙っている」と問いかけるロドリゴだが、映画のなかでその問いはあまり強調されない。
映画のロドリゴとガルベの心は、仕える主である神よりも常に目の前の信徒たちに縛りつけられている。ただでさえ貧しく、寄るべなく憐れな隠れキリシタンたちが、はるばる海を越えて旅してきたロドリゴたちにわずかな食物をわけるシーンが非常に象徴的である。食べるより先に祈りを捧げる村人たちをみて、渡されたものをそのまま口に押しこんだ宣教師たちは慌てて食べ物を吐き出す。
神に仕える身でありながら、神よりも目の前の現実に主体性もなく振り回されてしまうのは、彼らが未熟だからなのか。見知らぬ異国での心細さからなのだろうか。
ではなぜ、もっと神に厳しく激しく迫らないのだろう。こんなにも信徒が苦しみ痛めつけられているのに、どうして助けてくれないのか。あなたの救いはいったいなんなのかと。

10代の頃から何度読んだか数えてはいないし今回の公開にあたって読み返しはしなかったけど、それでも原作にかなり忠実な映像化だと思う。
それだけに、この物語が語ろうとするテーマの多面性に改めて気づかされることが多い作品だった。
台詞のほとんどが英語なのだが、いやというほど何十回も「苦しみ(suffering)」という単語が使われる。迫害の苦しみ。裏切りの苦しみ。拷問の苦しみ。孤独の苦しみ。無力さの苦しみ。背教の苦しみ。世の中の“苦しみ”によくもこれだけのバリエーションが存在するものかと感心させられるほど、次から次へとあらゆる苦痛が宣教師の前に差し出される。
ロドリゴは神に仕える者にとって苦しみは幸いだというのだが、彼に棄教を迫る井上筑後守(イッセー尾形)は宣教師がいちばん我慢できないことが何かをよくしっていた。神に仕える者の究極の苦痛。

果たして神はほんとうに黙っていたのだろうか。信仰のために虫けらのように命を落とす信徒たちのいまわの際に、神は愛の言葉を聞かせてくれたのだろうか。
ロドリゴが胸の中に聞くたった一度の声は、彼や彼の目の前で命を落としたキリシタンたちの苦しみに対してあまりにも矮小すぎた。
それでも、どれほど抑圧されても決して縛られないものを人は誰でももっている。魂のなかのそのまた奥の、ほんとうに誰の目にも触れないところは、いつどんな時代にどこに生まれても人は自由だし、信じる者のその領域には間違いなく神はおわすのではないか。
まあ私は宗教を信じたことがないので、正直よくわからないんだけど。

テーマのひとつでもある社会的弱者の象徴・キチジローを演じた窪塚洋介の演技が注目を浴びてるみたいですが、実際ホントに原作のキチジローそのままです。窪塚くん自身は非常に美しい人のはずなのに、とにかく下品で醜悪でただただ弱い人というキャラクターに驚異的にがっちりハマってました。
イッセー尾形の筑後守は惜しかったかもしれない。「恐ろしい拷問方法を編み出した鬼のような人物」という“設定”と本人とのギャップにロドリゴがショックを受けるくだりがあるんだけど、話の流れで衝撃が完全に緩和されちゃってるんだよね。演技そのものはスゴイと思うんだけど。
浅野忠信の通詞役はちょうどよかったんじゃないかな。当初この役は渡辺謙に決まってたのがクランクインが延びてブロードウェーの『王様と私』とかぶっちゃって降板したんだよね確か。この役、渡辺謙だったら相当映画全体の雰囲気変わっちゃってたと思う。存在感強過ぎて。浅野くんはどういう役をやってもその人そのものになっちゃうウマさがあるもんね。
アンドリュー・ガーフィールドとアダム・ドライヴァーは痩せ方が尋常じゃないんだけど、昨今ハリウッドでは名演=異常なダイエットみたいなの流行ってるんでしょうか。あまりにあまりなガリガリっぷりで痩せ方にしか目がいかないのが残念すぎます(過去記事)。

私にはキリスト教のことはよくわからない。
弱きもの、虐げられたもの、軽蔑されたもののためにキリストが地上に遣わされたのであれば、そうしたものたちをただ排除し、排斥し勝者だけ、強者だけの現実社会はいったいなんのために築かれていくのだろう。
それがほんとうならなぜ、神は黙っているのだろう。
信仰は確かにゲームではない。約束ごとをまもりさえすれば叶えられる天国なんかない。
じゃあなぜ信仰が必要なんだろう。正義ってなんのためにあるんだろう。
そういうことを、じっと深く考えさせられてしまう映画でした。159分があっという間だった。原作、読み返そっと。



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ジョンソンうそつかない

2017年01月19日 | book
『夫のちんぽが入らない』 こだま著

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大学進学で親元を離れ入居した安アパートで「彼」と出会い、3日後には交際することになった「私」。
ところがどうしても性交ができない。どうしてもできないでいるうちにふたりは大学を卒業、それぞれ教師の道に進みまもなく結婚するのだが、性交はできないままだった。
2014年、同人誌で発表され大反響を読んで即完売、加筆修正し単行本化されたエッセイ。

一気読みしてしまった。
近年さぼってた読書に復帰しようと半ば手当たり次第にまとめ買いしたのはいいけど、何をどう間違えたのか専門的な医学ノンフィクションやら社会学レポートやら教育現場での防災問題やら戦争犯罪やら調査報道やら原発やら基地やら、やけに肩が凝る本ばっかり揃ってしまい(これでも半分も消化できてない)。職業柄、ただでさえ専門的な文書を日々読解しなきゃいけなくてふだんから活字に疲れてるのに、ここらで一息ついて気楽に読めるものをと発売されたばかりの新刊を手にとったのですが。
あにはからんや傑作でした。これはみんな読んだほうがいいよ。おそらくはもう映像化の話が進んでるはずだと思います。現実に可能かどうかは別として(まあかなり難しいと思う)。

冒頭で触れた通り、これは小説ではなくてエッセイである。
影があるのにどこか軽い文体は朝倉かすみにちょっと似ていてすごく小説っぽいのだが、著者の実体験に基づいて書かれているという。ただそこは無視して小説として読んでもじゅうぶん楽しめる。
というのも、そこに書かれていることが事実かどうかはまったく関係なく、物語としてがっちりと完成されているからだ。

他人と接することが苦手なだけでなく、家族ともうまく折り合えず、友だちさえつくれない「私」。
そんな彼女が、さっぱりとやたらにおおらかなひとつ年上の男性に出会ってすぐに心惹かれ、愛しあうようになる。
互いを100%受け入れ、血をわけた家族以上にたいせつに慈しみあっているのに、ふたりの間には厳然たる壁がある。
その壁を必死に越えようともがき、転んで倒れて血みどろにのたうちまわって敗けてはもがくふたり。
口下手で思っていることを言葉にすることはできないのに、何が起こっても詮索もせず追求もせず「おまえはなにもわるくない」と寄り添う。
それでもふたりに次から次へとふってはわく困難。
困難の多くは、世の中のルールだ。

世の中にはいろいろなルールがある。
女の子はかわいくなくてはいけない。
若い子はおしゃれしなくちゃいけない。
恋人ができたら性交しなくちゃいけない。
社会に出たら働かなくてはいけない。
先生は学校のルールに従わなくてはならない。
安定した仕事に就いたら辞めてはいけない。
結婚したらパートナー以外とは性交してはいけない。
夫婦には子どもがいなくてはいけない。

いったい誰が決めたのかもわからないルールのために深刻に悩み、誰にも告白すらできず恥ずかしい思いをし、欠陥品のレッテルを自分で自分に貼って苦しんでいる人は、きっと「私」でなくても世の中そこらじゅうにいるだろう。
「私」と「彼」がどうしても性交できないのにそのことを誰にも相談できないように、ひとりでどうしようもない苦悩を抱え、何年も何十年もどこへもいけずに孤独に自分だけを責め、それでもうわべでは何でもないような顔をして生きている。大なり小なり、人間なんて誰だってそんなものではないでしょうか。
私もあなたも。

感動的なのは、「私」と「彼」がどんなときも決して相手を責めず、互いを唯一無二の伴侶として微塵も疑うことなく、ゆるしあって生きることにまったく迷いがないところです。
相手をただ信じ、正しい、そのままでいいと尊重し、傷ついているときはそっとささえあう。なのに甘えはない。ものすごい絶妙な距離感。
性交ができないこと、子どもをつくれないことでふたりは長い間悩んで葛藤するんだけど、なんだかんだいって結局はその現状すらも相手の一部として認めてしまう。どこにもよそに正解なんか求めずに、これはこういうものだから、相手が傍にいていっしょに生きていけることがいちばんたいせつだから、それ以外のことはとりあえず積極的に妥協しようとする。
そこまで思える相手にめぐりあったふたりは、誰が何といおうと幸せな人たちだと思う。めちゃくちゃ苦労もしてるけど、それでも。
白状すれば読んでて何度か涙してしまいました。「彼」すごい。「私」すごい。

愛情って、すごいね。
すてきだと思いました。



(関係ないけど)朝倉かすみ作品レビュー
『肝、焼ける』
『そんなはずない』
『田村はまだか』

米軍機は米軍住宅の上を飛ばない

2017年01月15日 | book
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』 矢部宏治著

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日本にはなぜ、米軍基地があって、日本はなぜ、原発をやめられないのだろう。

日本が戦争に負けたのはもう72年も前で、GHQの占領が終わったのは65年前だ。なのにいまも日本には米軍基地があって、家族や軍属を含め10万人前後の米軍兵士とその関係者が暮らしている。戦時下でもないのに、アメリカ国外では最大規模。安全面でも、経済的にも生活環境上も日本の市民に大きな負担をかけ多くの人が反対し続けている在日米軍基地を、どうして日本はやめられないのだろうか。
2011年3月11日の東京電力福島第一原発の事故で、多くの人が家や家族や仕事や故郷や、かけがえのないものを失い、人生を破壊された。地震や津波だけでなく、毎年列島を襲う台風や全国に散らばる火山、近隣国間の緊張化、運転開始から40年を超える老朽原発などリスクの多いこの国で、ひとたび事故が起こってしまったら未来永劫取り返しがつかない事態になることを、誰もが現実に目の当たりにした。それなのにどうして、日本は原発をやめられないのだろう。

おそらくは誰もが一度は疑問に思ったことがあるはずだと思う。
もし思ったことがないという人がいたら、ちょっと気をつけた方がいいと思います。いまはとくに「関係ないや」なんて思えても、いずれ間違いなく誰もの我が身に降りかかってきますから。そのときになって慌てたって間に合いません。

この本に関していうと、内容はどっちかというと基地寄りかな。
この誰もが当たり前に不思議に思う「日本になんでこんなに米軍基地がこってりあるのか」という疑問について、戦後史と日米関係に関する条約や法律上の観点から読み解いている。
実際に沖縄に行って、一定期間現地で取材をして、沖縄の市民がこんな危険に晒され続けなくてはならないのはなぜなのか、日米政府が沖縄の人たちにこんなひどいことができてしまうのはどうしてなのかを、法的に解説しています。
法的にっていうと難しそうだけど、読んでみるぶんにはさほど難しくはなく、読みやすい本です。
文体が独特です。全文が読者に直接話しかけてくるような口語調で書かれている。雰囲気としては、中学生や高校生向けに予備校講師が解説する参考書みたいな文体です。歴史や法律の知識がなくても、この本だけ注意深く読めば前後左右が理解できるように書いてある。
ただそれだけに、読んでてちょっと心配になってくるような本でもある。いいのかな、大丈夫なのかな、こんなに綺麗にまとめてわかりやすくしちゃって平気かなと。素直な人ならものすごく影響を受けてしまいそうな感じもする。

とはいえ、細切れのうろ覚えの知識で把握していた問題の全体像の、それぞれのディテールを確認するにはよくまとまった資料にはなってます。
日本国憲法は誰が書いたのか。個人的には、何をもってして「書いた」というべきなのかというところに疑問は感じるし、著者の弁に異論はなくはない。だがいまのような改悪か護憲かの二者択一論に出口がないことは理解できる。
戦後、どうして天皇制は廃止されなかったのか。GHQの占領が終わったのに、在日米軍のもとでの実質的な占領が終わらないのはどうしてなのか。この現状を支える日米政府の間に、いつどういう取り決めがあって、そこでは何が保障されているのか。そこに昭和天皇はどう関わっていたのか。
日本政府が国民に何を隠し、どんな嘘をつき続けていて、市民は何に騙されているのか。
そういうことが全部、「そこはここのこの法律でいつこういうふうに決められた」と解説されてるわけです。わかりやすいですね。便利ですね。

便利だけど、読めば読むほどこの国の救いのなさに疲れてくる。
それはそうとして、それでもこの国に暮す人間ならみんな、これくらいのことはほんとは知っておくべきなんだろうなとも思います。
知らないで、在日米軍が引き起こす事故や事件のたびにただ目くじらをたてるだけでは、何の解決にもならないのだろう。何しろ、どんな事故や事件があっても在日米軍は日本で何をやってもいいことになっている。治外法権がばっちりと保障されている。米軍側からすれば「最初からそう決まってるから」でぜんぶおしまいなんだから。たとえば以前、日本に派遣される米軍兵へのブリーフィングが差別的なんて話題もあったけど、内容そのものはがっちり日米政府間での合意に基づいている。知らないでムカついてるのは一般国民ばかりである。
だから日本でしなきゃいけないことといえば、その制度を全員がしっかり知って、変えることだし、そのために選挙にちゃんと参加することだよね。
クリアでございます。

原発について触れてるパートが意外なくらい少ないんだけど(300ページ足らずの本文中50ページ程度)、構造的には基地とまるっといっしょってことは思った通りですね。簡単にいえばこれもやっぱり日米間に憲法よりも効力のあるとりきめがあって、これが原発をやめなくてもいい・やめてはいけない根拠にどうもなっている。エネルギー問題なんかじゃないんだよね。日米安保問題なわけです。
いやになるなまったく。

でもそこでいちいちぐったりしてるわけにいかないので、もっと勉強しようとは思います。とりあえず。

念のため置いときます。
Wordの履歴機能で、自民党が変えた憲法を見てみる

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『朽ちていった命―被曝治療83日間の記録』  NHK「東海村臨界事故」取材班編