百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

3の法則 喉越しの年末。

2024年12月29日 | 福伝。

高齢者となると、予定はコロコロと変わるものです。

福井地方、雪、天候が荒れています。

来年早々は精密検査受診、身体内で劣化老化破壊が起こっているのでしょう。

昨日は母の誕生日,今日はお墓参りに帰郷したかったのですが、あいにくの天候不良、体調不良で取り止めました。

同級生にも会いたかったなぁ。

年越しの越前蕎麦に能登復興のお土産も買ったのになぁ。

車で聴こうと思った小田和正さんのCDも買ったのになぁ。

まだ若い頃ならば予定変更せず邁進しますが、年寄りの冷や水になりそうで無理はしません。

50歳手前に一般サラリーマンを早退したから、仕事納め、仕事始め、御用納め、御用始めのような年末年始休暇とは無縁の日々です。

サラリーマン時代の正月は、たいてい温泉宿で過ごしていました。

いろんな企業職場があって給与面も福利厚生も千差万別。

サラリーマンの運命は日々の自己破壊という疲労感と自己満足の達成感のバランスで大きく変わります。

昨日、一昨日、明日、流れる悲しい年末ニュース。

広島出身で東大卒、電通入社したものの過労自殺した若い社員の事件。

数年前、同じく広島出身でホームレスになって東京渋谷のバス停で深夜、邪魔者扱いされて撲殺された同年代の方の事件。

岩手県奥州市出身と言えば、大リーガーの大谷翔平さんですが、「さらばシベリア鉄道」「熱き心に」を作曲した大瀧詠一さんを思い浮かべます。

10年ほど昔、年末にリンゴを食べていると喉に詰まり、大瀧さん、65歳の若さで亡くなりました。

喉に詰まるのは、餅だけではありません。

油断大敵、お肉、果物で詰まる事があります。

人災、天災、日常の命を守るための「3の法則」。

空気がなければ3分間、体温がなければ3時間、水がなければ3日間、食物がなければ3週間で、「人は死ぬ」という意味です。

年末年始、高齢の皆さんは、ヒートショックにもご用心、要注意です。

昨日、「きょうやさん」で食事、喉こしもよく、おろし蕎麦は旨かった❗


阿伏兎観音やっとかめ

2024年12月24日 | 空木宝剣

乗りはぐれ  師走の瀬戸の  阿伏兎まで

常石の3時便に乗り遅れたついでに、久しぶりに阿伏兎の観音さんまで、足をのばす。

宮城道雄 (1894~1956)

団塊が6歳の頃、宮城道雄は、盲目の為トイレのドアと勘違いして、走行中の汽車から転落死したニュースが、昭和31年の世の中を駆け巡った事を子供ながらに記憶している。

おそらく、琴の産地、福山を訪ね、阿伏兎の瀬戸の潮騒が、名曲 春の海を生ませた事だろう。

阿伏兎観音は、子授かりの観音さまでもあるのだから。

それから、100年も前の江戸後期。
あの、東海道中膝栗毛の十返舎一九(1765~1831)も、鞆の浦まで膝を伸ばしていたとは。

宮城道雄さんは、神戸の生まれ、十返舎一九は、静岡(駿府)の生まれ。

内海大橋を渡り、横島から眺める百島泊港。

反対側から見る正面と裏面。

そんな、二元論を覆す、阿伏兎の海。

船便に遅れて良かった。


師走の養生。

2024年12月23日 | 福伝。

冬至過ぎて、昨日は駅伝、有馬記念、明日はクリスマスイブ・・文字通り、師走です。

「チ。」を観ました。

地球が超高速毎秒約33キロの速さで太陽の周りを一周、1年が過ぎようとしています。

「海に眠るダイヤモンド」の最終回を観ました。

ヤクザに追われ逃げる日々、闇バイトの強盗、放火・・邪気と正気の繰り返しが人類の歴史、人間の日常。

「人生は拷問」なのかもしれません。

百寿を全うするのには、地球が太陽の周りを百周しないとなりません。

余談ですが、明治時代初期、北陸に汽車が走っていない頃、泉鏡花は上京するのに一番早いルートは、金沢から敦賀まで歩いて、敦賀駅から汽車に乗って東京まで移動していたとの事。

だから彼の代表作品である夜叉が池、高野聖の作品舞台は、敦賀界隈になっているのです。

車も汽車も走っていない時代に生きた先人の方々の足腰は、現代人の足腰よりも遥かに強靭だったのは間違いありません。

それなのに、現代人の寿命の方が遥かに長生きなのです。

大きな理由には、住居環境の向上があります。

昔は、ヒートショックなんて日常茶飯事だったのかもしれません。

電気も上下水道も無い時代、冷暖房完備の家屋なんて皆無だったはずです。

加えて、哺乳類の一生涯の脈拍の打数はほぼ一定同数のようです。

ネズミの脈拍数は1分間に数百回で寿命は短く、象の脈拍数は1分間に30回程度で寿命が長くなるとの事。

つまり、人間もワクワク、ドキドキ感が多い方は、自然と寿命が短くなるようです。

昔の人は、あらゆる困難を避けてまた避けても、それに立つ向かう命の危険がいっぱい、脈拍数も速く打ちぱなし、寿命を縮めたのでしょう。

個人的な感覚なのですが、寿命を延ばすならばスピードの速い乗り物、バイク、車、新幹線に乗るとよいかもしれません。

寿命のスピードを遅らせるために、スピードの速いの乗り物に乗ると身体全体が振動して呼吸が深くなり脈拍数も落ち着くような気もします。

長く息する大事です。

日々、達成感と疲労感のバランスが「人生の病苦、心痛からの脱出法」なのかもしれません。

今回食した蕎麦は、昔、矢沢永吉さんが、越前蕎麦を食べる為に、東京からバイクに乗ってわざわざ福井まで来たという蕎麦店で頂きました。

気功法を学んで5年、何とか生きています。

人生の味覚、養生の好みは、いろいろです。


鱒と鰤 富山から敦賀の先へ

2024年12月23日 | 福伝。

先日、北陸新幹線に乗って新高岡、富山、黒部宇奈月温泉駅界隈を散策して参りました。

当日は晴天、日本三霊山の立山と白山連峰も北陸新幹線の車窓からよく見えました。

平成の初期、福井に暮らし始めた頃は、休日には富山湾沿いを車でよくドライブしたものです。

圧倒的な威容で迫る立山連峰を眺めるだけでも圧巻、剱岳を見るために富山へ移住する方々の気持ちも理解できます。

北陸地方の河川では、鮎釣りの時期には2~3ケ月間、アパートを借りて釣り三昧で過ごす微住する方も多いのです。

富山県は、個人的な想いもあり、懐かしい一日を過ごすことが出来ました。

更には今、北陸新幹線の敦賀までの延伸で、北陸三県、福井と金沢と富山は、新幹線を使えば完全に通勤圏内として一体となった感があります。

されど、その先の敦賀から京都、大阪までの着工ルートに関して、福井県と石川県が激しく対立しているのです。

石川県県議会が、若狭小浜ルートを撤回して、距離も工期もより短くなる敦賀駅から米原駅で東海道新幹線に繋ぐルートを強く要望しています。

そうなると、大阪方面にも名古屋方面にも便利になるという理由です。

確かに、現状の敦賀駅での乗り換えは、京都、大阪行き、名古屋行きは不便です。

福井県県民としても理解できますが、結局、米原駅乗り換えでは同じ状況ではないのかなぁ?

目先の将来よりも、もっと長いスパーンで若狭小浜ルートを選択するのは、どうでしょうか?

現在、小浜駅から京都駅まで電車移動すれば2時間以上要しますが、北陸新幹線が繋がると、小浜と京都の間は僅か19分程度で移動できるのです。

更には、国家百年の計として、山陰新幹線として小浜から舞鶴、そして丹後を通過して鳥取、島根へと繋がる可能性もあるのです。

この北陸新幹線の敦賀駅からの延伸問題、福井県と石川県との綱引きを傍観しているのが富山県です。

富山県の皆さんは、10年程昔、北陸新幹線が金沢まで延伸した際、それまで大阪と富山を結んでいたサンダーバードが金沢止まりとなり、関西、中京に行くのには、金沢駅で乗り換えをせざるを得なくなりました。

富山県の皆さんは、その不便さを十二分体験されているので、今年春に金沢から敦賀まで延伸した事で移動時間が少しでも短縮されたことだけでも満足されている様子なのです。

その逆が、石川県の皆さん、とりわけ「乗り換え無しだった金沢駅」から関西、中京方面への「敦賀駅乗り換え」は大変不便になったような感覚なのでしょう。

北陸三県は一体、富山県の知見を聴きたいものです。

富山は、鱒と鰤。

どちらの押し鮨も上手いです。


杵と臼

2024年12月19日 | 百伝。

福井市郊外、東郷地区にある古民家をリフォームした「杵と臼」というカフェ兼日本料理店まで出かけて参りました。

東郷地区は、一乗朝倉遺跡に向かう途中に位置しています。

店内に入ると、いきなり幼かった頃、年の暮れに親戚中が集まって一緒にお餅をついていた光景をまざまざと思い出していました。

リズム感よく、コントロールする臼取りの祖母、杵打ちの若い衆だったオジサン達、懐かしいなぁ・・今は誰もいなくなった遠い故郷の風景です。

祖母は、蕎麦打ちも行っていたなぁ‥当時、蕎麦畑もあったのでしょう。

さて、このお店「杵と臼」KINE&USU、越前蕎麦と餅の合わせ食いとなりましたが、これがまた新発見というぐらい美味でした。

福井市内の街中にある蕎麦店の「おろしそば」は、大抵美味しいのですが、郊外にあるこのお店はちょっと別格に美味でした。

個人的に宣伝したくなった「杵と臼」というお店です。

デザートは、ゴディバのチョコレートと越前蕎麦がコラボした蕎麦チョコケーキでした。

これは、特段申し上げることはないかなぁ。

さて、この東郷地区は、地元意識が高く、故郷への自負も誇りも高いのでしょう。

自らの恋人のような感情を故郷に抱いているのかもしれません。

さまざまなイベントも試みています。

移住促進でも観光促進でもなく、東郷地区での暮らしを一定期間体験する新しい旅のスタイル「微住」。

東郷地区は、日本初の「微住発祥之地」を独自に掲げています。

学ぶことの多い日々です。

職場に毎週1回、同年代の整体師の方が、レク体操の中でツボをおさえた話をしてくれます。

病を治す、老化予防は、戦いと同じで、さまざまな戦略、奇襲作戦が必要だとのこと。

要は、闇夜に鉄砲を撃つようにアレコレのツボを指圧するような乱射は禁物だとのこと。

この方、真面目で元気でユニーク、在郷(田舎)の仲間同士で農業法人を運営しているとの事。

来週はクリスマス、日本で初めてクリスマスが伝導された地域は山口県だとの事。

日本で初めてクリスマスパーティーが開催されたのは福井だとの事。

心も動かさないとね❗

来年、百島にも同じような種を植えて大きく芽が膨らむ期待感があります。


毎日がpaypay。

2024年12月17日 | 百伝。

今年69歳になると勘違いしていました。

今年で68歳です。

だから、1年間という人生の時間を貰ったようなお得感がある? そうではありません。

先日、年金機構から届いた通知書から、今までどれぐらい働いた月数が記載されていました。

40年間で480月となりますが、この歳でまだ480月に達していません。

つまり、これまでの人生でまだトータル40年間働いていないのです。

来年秋、69歳近くになってやっと40年間の労働期間に達成するみたいです。

20歳前の浪人時代、30歳前後の海外遊学期間、50歳前後で自営業、無職・・振り返れば、勉強嫌い、仕事嫌い、放浪癖のある怠け者です。

それでも、未だに毎日仕事があります。

生涯現役のまま死ぬまで働き続けるつもりです。

とは言え、健康と病気、命のコントロールは出来ないし、ましてや高齢者になれば日々の予定は狂うもの、日常茶飯事です。

心身の元気が一番です。

付け加えると、54歳の時に拡張心筋症で一度死んでいる筈、59歳の時に大動脈解離で再度死んでいる筈、ほんとうは生きている筈はないのだから、本当の僕自身は運尽きて死んでいる筈。

生きて働いているという運命は、多分借り物の人生、仮物の僕自身だからなのでしょう。

笑いながら楽しく生きていますが、何かこの世界には目に見えない不安があります。

「生きていること自体」が当たり前ではないのです。

戦争反対、核兵器廃絶、闇バイト、犯罪社会の根絶、貧富の経済格差、人権の社会格差、富裕層、武器商人へのお金の使用期限設定・・。

笑顔平和よりも、歓喜勝利を優先するのが競い合う人間社会です。

上を向けば雨天、青空、満天の星を眺めたり、下を向いても幸せのタネ探しが出来る生活感を持ちたいものです。

我が家のべランダの波板が飛ばされて水浸し、やっと雨が止んだ先日に業者さんによる修繕工事終了。

安心したのも束の間、もうひとつのベランダの屋根も劣化していました。

今度は、元気なうちに自分でDIY、トライします。

今日から68歳、毎日がpaypayのような日々です。

きょういく(今日行く場所がある)、きょうよう(今日用事がある)。

快食、快眠、快便、食べる、喋べる、調べる、トラベル。

ポイ活、終活、生かされて生活です。

歩ける事に、幸福。

走れる事に、感謝。

死ぬまで生かされている事に、有り難う。

美味しい生活、シンプルな時間を目指します。


Nobel (1833~1896)

2024年12月12日 | 空木宝剣

アルフレッド  ベルナード  ノーベルは、坂本竜馬(1835~1867)と同時代の人だが、竜馬が暗殺された1867年にニトログリセリンからダイナマイトを発明。

その功績から得た、莫大な資産を、世界平和を意図して、スウェーデン科学アカデミーに寄贈。

1901年以降にノーベル賞が制定されたとの事であるが、その後の第一次世界大戦 (1914~1918)、第二次世界大戦 (1939~1945)から現在に至るまで、ダイナマイト爆弾は、世界の都市を破壊し続け、戦争(破壊)と平和(建設)を繰り返している。

第二次世界大戦で、日本にトドメを刺した核爆弾。

その 被爆者による「被団協」が、ノーベル平和賞とは、歴史の皮肉でもある。

詰まるところ、ダイナマイトや原子力を、平和に応用するか、戦争に利用するかの、性善説及び性悪説の、呪縛から人間は、未だ抜け出せないでいる。


昭和百年へ

2024年12月09日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

今日は、12月8日。

いろいろな歴史的な多くの出来事が起こった日として記録されています。

1941年昭和16年、真珠湾攻撃、太平洋戦争勃発。

1980年昭和55年、ジョン・レノン射殺される。

当時は、お茶の水にあったアテネ・フランセに通っていて教室で話題になった事を覚えています。

来年は昭和百年。

ほんの80年前には、帝国主義の軍事大国であった大日本帝国は先の世界大戦で敗戦、日本は焼け野原状態の最貧国へ。

ただ25年後には経済大国へ復興を達成しました。

そこから約30年間は、日本国は世界一の経済大国という自覚、誇りが生まれた自惚れた時代でした。

先日の深夜、たまたまNHKBSのテレビ番組を観ていると、2024名作ドキュメンタリーの特集番組が放映されていました。

タイトルが「新・爆走風塵 中国のトラックドライバー」、興味深くて面白くて、時間を忘れて釘付けになってしまいました。

トラック運転手の張さんは、弟分の劉さんとトラック2台一緒に走っています。

優しくて思いやりがあって働き者、口も達者で信頼もされていますが、ただトラックを走らせても、タイヤ交換などの修理交換費用、ガソリン代を差し引かれて、大した儲けも出ない中国社会のドライバーの現実。

それでも、稼ぐために国境を越えてラオスの国へ、凸凹の山道を超えて言葉も分からないのに何とか荷主の所へ辿りついて、やっとバナナを中国の昆明まで・・ラオスでは検問所で中国人と見れば、罰金と称して所員から小遣い稼ぎのようにお金をむし取られる張さん・・中国人も大変です。

そして、高運賃の仕事となる昆明からチベットのラサまで、バナナを運びます。

チベットのラサまでの風景の映像美が美しい・・しかし辿り着くまでに標高4000メートルの過酷さに加えて、狭い道路、くねくねと永遠に続くような曲道、谷底に落下しているトラックも見えて、油断大敵、ひとつ運転を間違えば大事故に繋がります。

危険と背中合わせ、借金を返済するために爆走する自転車操業のようなトラックドライバー、それでもトラックを相棒と呼び、チベットのラサで「こんな風景を見られる中国人なんて僅かで、貧しくても俺は幸せ者だ」と呟く張さん。

中国のトラックドライバーは、約2000万人だとの事、その殆どが個人経営で「仕事」を貰うために生き残り競争が大変だとのこと。

中国社会の貧富格差、その表裏、市井の中国人の現実生活のパワフルさを垣間見たような、とてもよいドキュメンタリーでした。

人間の全てが書かれているというギリシャ神話。

人生の全てが書かれているという中国の諸子百家。

世界初の長編小説、紫式部の源氏物語が1000年昔。

さらに、そこから1500年昔の2500年昔。

ほぼ同時代に生きたソクラテスと孔子の時代から現在までの約2500年の時の流れ。

あの時代の人間の想いも、今に生きる我々の想いも、根本的には何にも変わっていません。

さて、福井地方、そろそろ雪景色の時季が来たかなぁ。

困った事は、先月ベランダの並板が強風で飛ばされて全面改修が必要にになりました。

自分自身でDIY、トライしたものの素人の僕では時間と技術の面で、雪到来の時季まで間に合わないと判断、急遽メンテナンス専門業者に頼む事にしました。

それから冬用のタイヤ交換、済。

どんどん掃除処分しないと、新年に向けて間に合わない、いやいや、もう終活に向けて早目早目に動かないと間に合わないかもしれません。

今日から準備運動を始めます。

ソースカツ丼ではなく、天丼とおろし蕎麦を食しました。


諸子百家 百谷の王

2024年12月05日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)

昨日のお昼、NHKラジオ番組を聴いていると、ゲストに玉城ちはるさんという広島出身の方が話されていました。

この玉城さん、人生いろいろとツライ事を背負っているのに凄いなぁ。

・・その反動のような明るい生き方に久々に聴き入ってしまいました。

思い出した事。

もう50年以上昔、尾道市立百島中学校に入学した際、同時に就任された校長が、大原崇徳先生でした。

大原先生は、広島大学付属中学校の教頭から昇進、初めて校長として転任したのが、百島中学校でした。

同年に入学した僕ら同級生を特別扱いしてくださったのか? そのせいか? どうかは分かりませんが、

校長先生なのに、社会科の授業を卒業するまで、丸三年?担当してくださいました。

授業中に海まで行こうと、海岸を散策した思い出もあります。

よく昔話をしていたのは、多分戦時中に中国大陸に居たのでしょう、中国の関してよく話されていました。

今思えば、先生は中国の諸子百家をかなり精通されていたのではないかと考えています。

諸子百家とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子、老子、荘子、孟子、孫子などの人物。「百家」は儒家、道家、墨家、法家などの学派。特に有名なのが、儒家(孔子、孟子、荀子)、道家(老子、荘子)、法家(韓非子)、墨家(墨子)、兵家(孫子)。

孔子の論語?そういった多くの教えを話していた記憶もあります。

「今の戦後の日本は強盗、窃盗、犯罪も増えた。昔の日本は今の中国のように犯罪が少なかった」と、50年昔、教室で語っていた授業の思い出です。

貧しき者が、いちばん尊い者・・・ロシアか、中国の諺。

たまたま最近読んだ老子の思想・・大変興味深いものでした。

みんな、覚えているのかな?

「百谷の王」のハナシ・・当時、百島と掛けて、何と説く、大原先生が説いてくれた事。

「江海の能く百谷の王と為る所以の者は、その善く之に下るを以て、故に能く百谷の王と為り・・・」

訳すと、大海が、いくつも川や谷の水を集めて、その王となっていられるのは、一番低い所にあるからだ。高い所に居ると人は安心せず、、

ダイヤモンドと石ころの死生感、もの事に上下無し、金は天から降って来ない、命は地から生まれて死ぬ、希望は自らを押し出すもの、勇気は自らを奮い立たせるもの、大原先生が教えてくれた事。

昨日食べた盛り蕎麦とおろし蕎麦の食べ比べは、どちらも美味でした。


楽園の星。

2024年11月29日 | 百伝。

毎週土曜日の夕方18時から、テレビ朝日系列で放映される「人生の楽園」、番組の冒頭で先日亡くなった西田敏行さんの声で「人生には楽園が必要だってね」というナレーションで始まります。

僕の記憶では、この番組「人生の楽園」には、過去二度「百島」が紹介されました。

楽園の島、百島・・そうなって欲しいものです。

ただ、楽園となるには経済的な余裕が有ること、経済格差が無いこと、必須条件です。

楽園の国、日本?・・年収103万円の壁、年金月50万円の壁、壁だらけの楽園です。

労働人口を増やすために、壁を取っ払う?

しかし、楽園には、壁が必要なのかもしれません。

同年代の70歳前後の仲間には毎月の年金が6万円程度の国民年金のみ人も多くいます。

だから彼らは「70歳過ぎても働かないと生けていけない」と言います。

僕個人の意見ですが、65歳過ぎれば毎月50万円以上稼ぐ方には、年金支給は必要無いと考えています。

その分、同年代へ、さらには若い世代への還元、分配を重要視すべきです。

生まれて死ぬまで、どんどん経済格差を広げるような競争社会は、どうしようもありません。

年収百億円、年収千億円、個人財産何兆円・・・どう考えても歪(いびつ)な社会です。

お金に使用期限を! 

富裕層、お金持ちを憧れるのを止めましょう。

憧れると超えられないのです・・同じようなことを大谷翔平選手も言いました。

世界で一番高い山が、エベレストの標高8849M。

それ以上に高い山は、この地球上には存在しないのです。

なのに、人間は、それ以上に高い札束を積み上げようとしています。

お金に賞味期限を!

資本主義を世界と捉えるから、「お金」に人間社会が振り回されるのでしょう。

ほどほどの格差は仕方がありません。

資本主義の地球をイメージしましょう。

世界の知名度の高い有名観光地、例えば、京都、ベネチア、パリ等々、これらの地は、宣伝しなくても世界中から多くの観光客が押し寄せるように訪ねて来ます。

有名観光地には、団体旅行者が多くて「お金」が落ちるのは事実です。

僕自身も若い頃、海外へ飛び出して団体旅行とは無縁なバックパッカーのような旅をしていました。

されど、歴史伝統もあり、知名度あり、富裕地域なれども、楽園とは程遠い違和感を覚えたものです。

根本的な要因は、貧富の大きな格差社会です。

故郷の百島にある泊堂の坂道は、世界一美しい坂道だと感じています。

最近、道幅を広げたのかな?

その百島にある世界一美しい坂道に、尾道市のマーキング、ご当地マンホールが設置されたようです。

地球一美しい坂道になったと勘違いすることにします。

写真提供:京泉盛勇さん。

世界の指導者と言うよりも、地球の指導者たちは、せめて「地球を楽園の星」だとイメージして欲しいものです。


憂国忌

2024年11月25日 | 空木宝剣

三島由紀夫 (1925年1月14日~1970年11月25日)

あれから54年の歳月。

あの頃は、ベトナム戦争。

佐藤栄作内閣 (1964年11月9日~1972年7月7日)の長期政権時代。

アメリカは、北爆を始めたジョンソン大統領(任期1963年11月22日~1969年1月20日)のあとを次いだニクソン大統領(任期1969年1月20~1974年8月9日)の時代。

半世紀のちの2024年現在。

日本は石破内閣。

アメリカは、来年早々から第二次トランプ大統領政権。

第二次大戦で懲りた日本と、ベトナム戦争で懲りた筈のアメリカだが、中東やウクライナでは、相変わらず懲りない戦争が続いている。

NHK今日は何の日によれば、フィデル・カストロ (1926年8月13日~2016年11月25日)の命日でもあるとの事。

三島由紀夫(45歳没)やチェ・ゲバラ(1928年6月14日~1967年10月9日39歳没)に比べれば、倍も長生きだが、終わってみれば、元の木阿弥。

時間こそ、この世の支配者。

80年ほど前、一瞬にして、広島を瓦礫の山にし、14万人の命を奪った大量殺人鬼リトルボーイ。

二度と、核爆弾のスイッチを押すことのないよう、憂国の日に、平和を祈る。


防災減災の要。

2024年11月17日 | 百伝。

今日は、百島で防災避難訓練が実施されたとの「お知らせ」を頂きました。

自助、協助、公助の組み合わせが大事、いざという時の備えが、本当に大切だと考えています。

因みに、居住地の福井市は世界一の防災都市を目指しています。

福井市民の僕も一応、防災士の資格を持つ身の上ですが、災害は必ず忘れた頃に来る事を念頭に忘れないように心掛けています。

高齢者の避難、誘導方法は日本の防災における大きな課題です。

今日の百島での防災避難訓練の光景。

写真提供は、京泉盛勇さん。

元気がいちばんです。


望月

2024年11月17日 | 空木宝剣

藤原 道長 (966~1027)の見た望月

「この世をば  わが世とぞ思う  望月のかけたることの 無しと思えば」
  寛仁2年(1018年陰暦10月16日)

NHK によれば、今夜の月は、千年の昔の平安中期、藤原 道長が詠んだ望月と同じ満月🌕を目にしているらしい。

紫式部 (978~1016)、38年歳の生涯ながら、伊勢物語の主人公でもある、色男在原業平(825~880)をモデルに、光源氏の「源氏物語」を著した。

 

天体の営みに比べれば、人間の百年、鶴の千年、亀の萬年など、刹那いほどの瞬幹線かも知れない。


もも上げ(百M走チャンピオンになる)。

2024年11月15日 | 百伝。

先日、コロナの予防接種はやめて、インフルエンザのみの予防接種を受けました。

それで腕がチクチクと痛いです。

ドクターからは、持病の為にマラソンやら中長距離を走るのはダメだと言われています。

身体は年々廃用症候群、まさにフレイルです❗

自分の健康状態、元気の源は、自分自身でコントロール調整するしかありません。

それで前々から考えていたプランを実行訓練スタートしました。

来年のマスターズ陸上大会短距離百メートル走に出場する為に、ぼちぼちと走る練習をしています。

外では、ゆっくりと歩幅広くストライド走法、居室内でピッチ走法の「もも上げ」を繰り返しています。

減量対策にもなります。

そうなると、不思議な事が起こります。

行動が思考に影響を与えるのでしょう。

とりあえずスマホ使用を、ノートパソコン使用へと重点を置き換える。

スマホはアンドロイド仕様しか知らないので、思いきってiPhoneに変えてみる。

ネット環境の改革で脂肪を落とす。

合宿もしないとね❗

草刈り作業でリハビリ活動、高齢者の為のデイサービス兼合宿、マスターズプランを練っています。

70歳代で百M走チャンピオンになる予定。

ダメならば、80歳代、さらにダメならば、延長して90歳代でチャンピオンになる予定。

それでもダメならば、百歳以上で世界チャンピオンになる予定。

人生の予定は全て未定、何が起こるか分からない。

そこまで長く生きていないだろうけどね、笑)。

明日死んでも本望。

勿論、合宿地は世界一美しい坂道がある場所で上りダッシュ。

日々「もも上げ」鍛練です🍀



一ノ日のあたる場所

2024年11月10日 | 百伝。
今日は朝7時から福井市内一斉掃除でした。
 
町内の皆さんの安否確認をするような和気藹々とした清掃行事です。
 
知り合いが集まるということは、情報交換にもなります。
 
昨日、体調もよく歩いて買い物に行くと、お店の裏側にライブハウスがあって周りに若者が大勢集まっていました。
 
「ちょこらび」という男性グループのライブだとのこと。
 
推しのパワーは凄い。
 
交通の便が良くないない福井市中心部から郊外にライブハウスはあるのにトランク難民も多い・・県外からも大勢来られていました。
 
トランプさんが、次期アメリカ大統領選に圧勝、復活です。
 
アメリカの大衆支持層の推しパワーの強さが示されたようです。
 
御本人はアメリカの黄金時代が到来するとスピーチしていました。
 
歴史を紐解けば、独裁、圧制、専制、ファシストという国家制度の時代は、大概、暗黒時代と呼ばれています。
 
時が戻らぬように、暗黒時代は闇の世界、大衆民衆、人の声、人の心を押し殺すようです。
 
黄金時代、光が射す場所が、生きている世界です。
 
大動脈解離を発症した際、緊急集中治療のベッドに2週間ほどチューブだらけで身体中に繋がれていて動けず、喉が渇く絶対安静状態でした。
 
その間に、何度かよく見た不可解な夢のような光景。
 
気づけば、真っ黒な世界に浮いているのです。
 
暗黒の宇宙世界のような空間に漂って浮いているのです。
 
これから、自分はどこへ行くのかなぁ?という自問自答という問いかけは弱々しく、流されるままの状態です。
 
ふと周りを見渡すと、極めて小さな一点から不思議な光が漏れているのです。
 
それで、そこまで行って、その光が漏れる穴を覗いて見ると、ベッドに寝ている僕自身が居るのです。
 
その姿を真上から観ていると、自分の夢が醒めて意識が戻ったという不可解な体験でした。
 
さて、今夜の日曜日は、「光る君へ」よりも「海に眠るダイヤモンド」を観る楽しみのほうが大きいです。
 
端島が舞台のドラマですが、どうしても百島と記憶が重なります。
 
一筋の光が射す、一点から広がる日のあたる場所です。