平山画伯の画は、何か落ち着くのである。
とりわけ、東日本大震災の影響がつづく混沌した日常の気持ちに重なって、眺める画は和やかな癒しの時間になる。
ヒロシマの被爆体験とシルクロードを歩いた人生観なのだろうか・・平山画伯の世界は、感情を押し殺した冷静さと理知的で優しい落ち着きなのである。
中学生の頃、地元の新聞記事に平山郁夫先生の「人なり。画なり」の事が紹介されていたのを思い出す。
何気ない生き様と人生の色使いに魅了されたのを思い出す。
その後、学生時代によく散策した東京吉祥寺の井の頭公園のベンチに坐って、絵画をたしなむ友人と平山先生のことを論じあった記憶もある。
さらに、勤務先でよく可愛がっていただいた上司が、往年の名女優の原節子さんのご近所(鎌倉)に暮らしておられて遊びに行ったおり、名作「東京物語」の尾道のシーンを鎌倉在住の平山先生が画くと面白いと言っておられたのを思い出す。
東京芸術大学は、学園祭のおりに招待されて一度しか行ったことがないが、小生、平山先生のイメージを追いかけていた・・小生にとっては、憧憬の人なのである。
そして、ずっと生涯会えないであろうと感じていた・・近くて、そして遠い憧憬の人であった。
ところが・・小生、ご生前の平山先生とお話する機会を得たのである。
最近、NHKの大河ドラマ「江」の影響なのであろう。
福井市中心部にある北の庄城跡(柴田神社)にどっと観光客が押し寄せている。
北の庄は、柴田勝家公とお市の方(織田信長の妹、茶々(淀君)、初、江の母親)が、羽柴秀吉に攻められて自害した史跡である。
その場所に、かれこれ七年前の今の時期、平成16年4月、柴田神社が北の庄史跡公園として界隈が整理された際、その記念式に平山郁夫画伯とご家族一同が、広島県生口島の瀬戸田町(現、尾道市)から訪問されたのである。
詳しい解説は省くが、平山家の祖は、柴田勝家公の末裔にあたると代々と伝わっているのである。
越前の国から瀬戸内海の島まで逃れたというのである。
小生は、北の庄の近所に暮らしており、息子と二人とその記念式に参加した。
その際、平山郁夫先生と僅かな時間だったが・・小生というよりも、息子が平山郁夫先生とお話をする機会を得たのである。
会場の裏手、また再び偶然、その日の午後、尾道に帰省されるために福井駅に向う途中で、平山先生の兄上様、平山美術館館長をなされている弟さんである平山助成氏ご夫妻・・平山家の皆様にも、ご挨拶ができたのである。
その後、館長の助成氏から平山郁夫美術展の招待券が送られたり、感無量の歓びと想いを頂いたのである。
小生の叶えられない希望に終わったが、平山郁夫画伯には、是非一度、百島を画いて頂きたかったなぁ!
あらためて平山郁夫画伯のご冥福を祈るとともに、平山家の皆様の幸せを祈念します。
ちょうど七年前の四月吉日に感謝。そして合掌。
とりわけ、東日本大震災の影響がつづく混沌した日常の気持ちに重なって、眺める画は和やかな癒しの時間になる。
ヒロシマの被爆体験とシルクロードを歩いた人生観なのだろうか・・平山画伯の世界は、感情を押し殺した冷静さと理知的で優しい落ち着きなのである。
中学生の頃、地元の新聞記事に平山郁夫先生の「人なり。画なり」の事が紹介されていたのを思い出す。
何気ない生き様と人生の色使いに魅了されたのを思い出す。
その後、学生時代によく散策した東京吉祥寺の井の頭公園のベンチに坐って、絵画をたしなむ友人と平山先生のことを論じあった記憶もある。
さらに、勤務先でよく可愛がっていただいた上司が、往年の名女優の原節子さんのご近所(鎌倉)に暮らしておられて遊びに行ったおり、名作「東京物語」の尾道のシーンを鎌倉在住の平山先生が画くと面白いと言っておられたのを思い出す。
東京芸術大学は、学園祭のおりに招待されて一度しか行ったことがないが、小生、平山先生のイメージを追いかけていた・・小生にとっては、憧憬の人なのである。
そして、ずっと生涯会えないであろうと感じていた・・近くて、そして遠い憧憬の人であった。
ところが・・小生、ご生前の平山先生とお話する機会を得たのである。
最近、NHKの大河ドラマ「江」の影響なのであろう。
福井市中心部にある北の庄城跡(柴田神社)にどっと観光客が押し寄せている。
北の庄は、柴田勝家公とお市の方(織田信長の妹、茶々(淀君)、初、江の母親)が、羽柴秀吉に攻められて自害した史跡である。
その場所に、かれこれ七年前の今の時期、平成16年4月、柴田神社が北の庄史跡公園として界隈が整理された際、その記念式に平山郁夫画伯とご家族一同が、広島県生口島の瀬戸田町(現、尾道市)から訪問されたのである。
詳しい解説は省くが、平山家の祖は、柴田勝家公の末裔にあたると代々と伝わっているのである。
越前の国から瀬戸内海の島まで逃れたというのである。
小生は、北の庄の近所に暮らしており、息子と二人とその記念式に参加した。
その際、平山郁夫先生と僅かな時間だったが・・小生というよりも、息子が平山郁夫先生とお話をする機会を得たのである。
会場の裏手、また再び偶然、その日の午後、尾道に帰省されるために福井駅に向う途中で、平山先生の兄上様、平山美術館館長をなされている弟さんである平山助成氏ご夫妻・・平山家の皆様にも、ご挨拶ができたのである。
その後、館長の助成氏から平山郁夫美術展の招待券が送られたり、感無量の歓びと想いを頂いたのである。
小生の叶えられない希望に終わったが、平山郁夫画伯には、是非一度、百島を画いて頂きたかったなぁ!
あらためて平山郁夫画伯のご冥福を祈るとともに、平山家の皆様の幸せを祈念します。
ちょうど七年前の四月吉日に感謝。そして合掌。