ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

反骨の野人

2012年08月20日 | 百伝。
今は昔、先祖に小野妹子、孫に歌人の小野小町・三蹟の小野道風・・。

嵯峨天皇の治世の頃、小野篁(おののたかむら)という不思議な人物が生きていました。

「無悪善」を解読した人物。

「子子子子子子子子子子子子」

「ねこの子のこねこ、ししの子の子じし」と読んだ人物です。

また、冥土の世界へ・・あの世とこの世を行ったり来たり。

・・黄泉の国冥府で閻魔大王の裁判を補佐したとも。

・・不思議な人物です。

隠岐の島へ流罪となった時に、詠んだ歌です。

「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人にはつげよ 海人のつり舟」

百人一首(第十一)にも選ばれた篁が詠んだ名歌です。

意訳として、「海原を数多くの島々にむけて、隠岐に行く我が身を、恋人に告げてほしい 釣り舟の人よ」

その一年半後、流罪が解かれて、日中は朝廷で、夜になれば、冥府で裁判官として働いていたそうです。

昨日、小野篁公の墓所に行って参りました。



隣には、紫式部の墓所もあります。





とある一説として、源氏物語を書き上げた紫式部は、色恋に惑わせる大罪を犯したということで地獄行きだったそうです。

その冥界での裁判で、紫式部を、小野篁が救ったようです。

紫野となる御縁伝説かもしれません。

さて、八十島を百島と詠んで欲しかった・・と、小野篁公に念じていました。

その時です。

・・大雨と雷に打たれてしまいました。

無事帰福。

合掌