ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

お水送り神事

2013年03月02日 | 千伝。
春を告げる行事として、全国的にも有名な奈良東大寺二月堂の「お水取り」。

その「お水取り」に先がけて、毎年三月二日に行われるのが、若狭の国、神宮寺(福井県小浜市)の「お水送り神事」です。

和銅7年(714年)、遠敷明神(おにゅうみょうじん)を祀ったのが、若狭の神宮寺の始まりとされています。

東大寺を開山した良弁僧正は、若狭の小浜の出身とされます。

大仏建立には、当時若狭で修行中の渡来僧・実忠(じっちゅう)が招かれていました。

天平勝宝4年(752年)、この実忠が、東大寺二月堂を建立し、修二会(しゅじえ)を開いて、「全国の神々を招きました。

ところが、遠敷明神が、時を忘れて、遅刻します。

そのお詫びに、本尊に供えるお香水を、若狭から送ると約束しました。

二月堂の下の岩をたたくと、水が湧き出しました。

この湧水に命名されたのが、東大寺二月堂の「若狭井」です。

そのお香水は、今日から十日かけて、東大寺二月堂の「若狭井」に届くとされています。

1200年以上も続く・・このような神事にして、奈良の東大寺二月堂の「お水取り」は  三月十二日に行われるのです。


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2 コメント

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古事記伝説の考察 (カーボンオフセット)
2013-03-25 20:16:11
「あらかねの土にしては、すさのおのみことよりぞ起こりける。」(古今和歌集仮名序)
あらかねとは通常、土の枕詞であり、この文章は、
「(和歌はこの日本の)地においては須佐之男命の時から詠まれはじめた。」
となる。
しかし、出雲国風土記で意宇郡安来郷の地名由来には「スサノオノ命が、ここに来て、こころが安らかになった。だから安来とつけた。」あり定住を決めた発言とも読める。
記紀においてはヤマタノオロチを倒した後、稲田姫命をめとり「八雲立つ出雲八重垣妻篭めに、八重垣つくるその八重垣を」と日本最初の和歌を出雲で詠んで定住を開始したという。
古代より、鉄の産した島根県の安来の地のことを「あらかねのつち」=(新しい金属(鋼)を産する地)と訳せばあらゆることに説明がつくのである。
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八雲百雲 (Amaya)
2013-03-26 18:46:55
古事記の語り部さまへ

はじめまして、書き込み、ありがとうございます。

とても、光栄です。

出雲地方は、個人的にも非常に興味があります。

百島の先人たちも、出雲まで出向いて働いていたようですから、何か身近に気づきがあるのかもしれません。

また、記紀のお話を聞かせてください。

天谷 草々 感謝
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