春を告げる行事として、全国的にも有名な奈良東大寺二月堂の「お水取り」。
その「お水取り」に先がけて、毎年三月二日に行われるのが、若狭の国、神宮寺(福井県小浜市)の「お水送り神事」です。
和銅7年(714年)、遠敷明神(おにゅうみょうじん)を祀ったのが、若狭の神宮寺の始まりとされています。
東大寺を開山した良弁僧正は、若狭の小浜の出身とされます。
大仏建立には、当時若狭で修行中の渡来僧・実忠(じっちゅう)が招かれていました。
天平勝宝4年(752年)、この実忠が、東大寺二月堂を建立し、修二会(しゅじえ)を開いて、「全国の神々を招きました。
ところが、遠敷明神が、時を忘れて、遅刻します。
そのお詫びに、本尊に供えるお香水を、若狭から送ると約束しました。
二月堂の下の岩をたたくと、水が湧き出しました。
この湧水に命名されたのが、東大寺二月堂の「若狭井」です。
そのお香水は、今日から十日かけて、東大寺二月堂の「若狭井」に届くとされています。
1200年以上も続く・・このような神事にして、奈良の東大寺二月堂の「お水取り」は 三月十二日に行われるのです。
その「お水取り」に先がけて、毎年三月二日に行われるのが、若狭の国、神宮寺(福井県小浜市)の「お水送り神事」です。
和銅7年(714年)、遠敷明神(おにゅうみょうじん)を祀ったのが、若狭の神宮寺の始まりとされています。
東大寺を開山した良弁僧正は、若狭の小浜の出身とされます。
大仏建立には、当時若狭で修行中の渡来僧・実忠(じっちゅう)が招かれていました。
天平勝宝4年(752年)、この実忠が、東大寺二月堂を建立し、修二会(しゅじえ)を開いて、「全国の神々を招きました。
ところが、遠敷明神が、時を忘れて、遅刻します。
そのお詫びに、本尊に供えるお香水を、若狭から送ると約束しました。
二月堂の下の岩をたたくと、水が湧き出しました。
この湧水に命名されたのが、東大寺二月堂の「若狭井」です。
そのお香水は、今日から十日かけて、東大寺二月堂の「若狭井」に届くとされています。
1200年以上も続く・・このような神事にして、奈良の東大寺二月堂の「お水取り」は 三月十二日に行われるのです。
あらかねとは通常、土の枕詞であり、この文章は、
「(和歌はこの日本の)地においては須佐之男命の時から詠まれはじめた。」
となる。
しかし、出雲国風土記で意宇郡安来郷の地名由来には「スサノオノ命が、ここに来て、こころが安らかになった。だから安来とつけた。」あり定住を決めた発言とも読める。
記紀においてはヤマタノオロチを倒した後、稲田姫命をめとり「八雲立つ出雲八重垣妻篭めに、八重垣つくるその八重垣を」と日本最初の和歌を出雲で詠んで定住を開始したという。
古代より、鉄の産した島根県の安来の地のことを「あらかねのつち」=(新しい金属(鋼)を産する地)と訳せばあらゆることに説明がつくのである。
はじめまして、書き込み、ありがとうございます。
とても、光栄です。
出雲地方は、個人的にも非常に興味があります。
百島の先人たちも、出雲まで出向いて働いていたようですから、何か身近に気づきがあるのかもしれません。
また、記紀のお話を聞かせてください。
天谷 草々 感謝