百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

いい日、旅立ち。

2015年04月02日 | 百伝。
それとも、チャンピオン?!

百島中学校時代は、それぞれのスポーツ部は案外強くて、尾道市内でも百島中は、チャンピオン意識の強い学校でした。

高校に進学すると、あの頃の広島県の高校スポーツ界は、バレーボールの崇徳、駅伝の世羅、水泳の尾道等々・・全国制覇した高校が多かったものです。

思い出せば、昭和48年、高校2年生の時、夏の甲子園で広島商業が全国制覇した時の歓喜と重なりました。

あの頃は、新幹線も走っていなくて、広島商業ナインの帰広を尾道駅のプラットフォームで迎えたのを思い出しました。

迫田監督が、車窓を通して、ちゃんとお礼のお辞儀していたのが記憶に残っています。

それから、当時の愛媛県の代表チームは、尾道駅下車、駅前桟橋から船(水中翼船)で今治まで帰愛していたのも思い出しました。

今年は、北陸に勢いがあるような気がします。



今年初めには、石川県の星陵高校が、高校サッカーでの全国制覇もありました。

そして、昨日の福井県民、歓喜の一日を味わいました。

敦賀気比が、春夏の甲子園を通じて、高校野球百年の今年、遂に福井県勢初めての全国制覇です。

・・とても、嬉しいです。

この優勝は、福井県、北陸勢初という快挙というよりも、島根県から青森県までの日本海側初の歴史的快挙となるのです。

思い返せば、昭和53年春、甲子園での決勝は、福井商業と浜松商業でした。

それ以来の福井県勢の決勝進出でした。

優勝したのは、浜松商業でした。

敗者は、福井商業でした。

昭和53年(1978年)は、ぼくにとっても青春の蹉跌のような一年でした。

あれから37年・・あの頃の若者も、中年になってしまいました。

さて、四月です。

多くの若者たちが、社会へ、都会へ巣立って行きます。

昨日のニュースは、官公庁や大企業への入社式シーンが多かったです。

「会社をもっと大きくしたい」という新入社員のコメントよりも、「地域に何か貢献して、役立ちたい」とコメントした三陸鉄道への二人だけの入社式に興味を惹かれました。

旅立つ若者よ、常に挑戦者であれ。

「いい日、旅立ち」と「チャンピオン」は、昭和53年のヒット曲でした。


籾の字は残った。

2015年04月01日 | 空木宝剣
四月バカ 桜のそばに ボケの花

ラジオ深夜便。
NHK27年度予算委員会で、籾井会長がヤリ玉に上がっている。
「NHKは、皆さんの受信料で成り立っています」の社風に相応しくないのか、私的ゴルフのタクシー代まで指摘される。
如何なる組織でも、異物が入ると拒絶反応が生じる。
以前、田中真紀子さんが、外務省を伏魔殿と称して更迭された事を思い出す。
それにしても、籾井さんのおかげで籾󠄀と樅の違いが分かった。
虚々実々、何が嘘か誠か、花に雨。