天皇の退位に伴う皇位継承の儀式について、2018年2月20日の式典準備委員会で了承した考え方についての説明表現に対し、主権者である国民として疑問を感じた事を伝えたい。
退位の儀式についての説明では、「憲法の趣旨に沿う」とか「憲法に基づき」とかの表現を使っているが、これでは意味する内容が曖昧で何とでも解釈が可能で、安倍政権が国民を欺こうとしているように感じる。なぜ「憲法の国民主権の原則に基づいて」という表現にしないのだろうかという事である。また、「天皇が国民のために……行う国の儀式」という表現も、「天皇に主権が存する」かのような誤った理解をうむ表現であり、「国民の意思にもとづいて」と表現すべきではないのだろうかという事である。
そして、さらに主権者国民として看過できない事は、儀式において「剣璽」を重要なアイテムとして使用している事である。剣璽は玉とともに、皇室神道の参拝対象である「三種の神器」と呼ばれるものであり、敗戦までは国家神道の重要な「神器」として公然と認められていた。そのような宗教アイテムを使用するという事は、儀式そのものが国家神道の宗教儀式であり、主権者国民の人権を守るための政教分離原則をうたう憲法の下にありながら、天皇や安倍自公政権は主権者国民の人権を蹂躙する形での宗教儀式を実施しようとするものであり、決して許されるものではない。また、剣璽を国璽・御璽とともに扱う事は憲法違反であり、少なくとも、国璽・御璽は国権の最高機関である国会が天皇に授ける形をとるべきである。これこそ国民主権の形を明確に示す儀式と言えるのではないか。安倍自公政権は、平成の代替わりの時と同様に、剣璽や国璽・御璽を「皇室経済法」7条の「皇位とともに伝わるべき由緒ある物は、皇位とともに、皇嗣がこれを受ける」を根拠として儀式のアイテムとして使用する事を目論んでいるが、「剣璽や国璽・御璽」を由緒物とする事は、権力を悪用して法の無秩序な拡大解釈をするものであり、詐欺的論法に基づくものであり、憲法違反である。一歩譲って、由緒物だと見なしたとしても、剣璽は宗教アイテムであり、公的な儀式(国事行為)において認められるものではない。そもそも、平成の代替わりの儀式の形自体が憲法違反だったのである。そのうえでなお、今回もさらに形を変えてでも実施しようとするというのは、天皇家(皇室)はもちろん安倍自公政権は確信犯として故意に意図的に憲法違反行為をなすものとみなすべきである。憲法に対する尊重擁護義務を受け入れていないという事の表明でもある。平成の「即位礼正殿の儀」での天皇の「おことば」が口先だけの形式的なもので、責任をもったて発言した言葉ではないという事を暴露したという事である。つまり、日本という国は、日本国憲法によって民主国家を装っているが、内実は天皇家や安倍自公政権による独裁国家だという事である。また、戦後の日本は、国民の権利について大日本帝国が「法律の範囲内においてのみ認めた」のと何ら変わるところのない国だという事である。日本の為政者権力者(自民党政権、安倍自公政権)は、その権力を維持するためには、国民の権利を断じて認めず抑圧するという事を表明しているのである。
皇居には「剣璽の間」というものが存在するのを知っているだろうか。吹上御所2階の天皇夫婦の寝室の隣にその名の部屋が存在するのである。「剣璽の間」が天皇の寝所と隣り合わせであるのは、『皇室の御敬神』によると、「皇祖を御枕上にいただかれて皇祖とともに霊床に御寝あそばす。そして、〝大君は神にしませば〟の御修徳を積まされると拝される」との事であり、剣璽がいかに宗教アイテムであるかを明らかにしている。
その「剣璽の間」は、部屋の中にもう一つ部屋があるような造りで、外側の部屋はじゅうたん敷きである。内側の部屋は二つに分かれており、手前は6畳ほど畳が敷かれている。観音開きの襖を開けると、そこに剣と璽がそれぞれ白木案上に置かれてあり、いつも袱紗で覆われている。この事からも、剣と璽は皇室神道(宗教)の極めて重要なアイテムと言うべきものである。
また、「剣璽動座」という宗教上のしきたりを知っているだろうか。大日本帝国下では、天皇が一泊以上の旅をする時には、皇位のしるしである剣璽は必ず一緒に移動したが、その宗教(国家神道)上の「習わし」「しきたり」をいう。1946年4月の葉山御用邸の動座が最後であった。ちなみに、天皇の前に剣、後に璽が続き粛然と移動したという。
しかし、再開への動きが、1971年秋の天皇ヨーロッパ訪問の頃に起こった。この年の4月に、神道青年全国協議会が「今秋海外万里の行幸の際には、剣璽動座を実現してほしい」との「上奏文」を提出した。これを受けて伊勢神宮の地元、三重県選出の藤波孝生代議士(自民党)が、衆院議長に対し、「朝儀復活」に関する質問書を提出した。
自民党政府はそれに対する答弁書の中で、「終戦(敗戦)後は各般の情勢に鑑みて動座を中止した。またその後は行幸の機会も多く(粗相があるといけないので)動座を中止した」と述べ、「今後においてもその事情に根本的な変化があるとは認め難いので、剣璽の捧持を復活する事は今のところ考えられない」と述べた。
しかし、1974年11月7、8日に「剣璽動座」が復活した。第60回式年遷宮を前年に済ませた伊勢神宮に、天皇が参拝する事となり、戦後廃止されていた「剣璽動座」が復活した。第60回目の式年遷宮を控えて、神道青年全国協議会が中心となり、復活運動を進め、宮内庁は「今回はあくまでも特例である」として決定したのである。この時、東京駅の新幹線ホームでは、カメラマンに捕まらないように「剣璽」を抱いた侍従が、護衛官や供奉員の人垣に隠れるようにして特別列車に逃げ込んだという。この事からも「剣璽」が宗教(皇室神道、国家神道)上のアイテムである事が明確である。政教分離原則の対象とすべきものである事が明確である。
式年遷宮に関しては、1993年10月2日の第61回の際は、昭和天皇が主導した事も付け加えておこう。1984年2月2日には、故二条弼基大宮司に宮殿・表御座所にある天皇の接見室「鳳凰の間」で、「式年遷宮に着手せよ」と命じた。また、天皇のお内帑金も、遷宮の募金活動の中心となる奉賛会が国民の献金を集める以前の1985年11月出した。ちなみに、奉賛会の会長は、伊勢神宮が国民全体を氏子であると見做しているので、商工会議所法に基づく公的な団体で、全国組織であるという点から「日商会頭」が就任している。
政教分離原則は、国民の自由に対する権利意識が薄弱であるかぎり、皇室や自民党政権によって形骸化空洞化されつづけ、削除されるであろう。