安倍政権は、平成天皇の退位の儀式についてすでに、2019年4月30日に「剣璽等承継の儀」と5月1日に「退位朝見の儀」と分けて実施する方針を決めていたが、2018年2月15日、「退位礼正殿の儀」という名称で、一本化して実施する事を公けにした。「剣璽等承継の儀」とは、皇室が自らの祖としている天照大神から「皇室のしるし」として授かった神器などを引き継ぐ儀式であり、「退位朝見の儀」とは、平成天皇が退位のおことばを述べる儀式である。
一本化する事にしたのは、神社新報の「時の流れ研究会」の「皇位は神器とともにあるのが原則」との見解や、百地章・日大名誉教授の「5月1日に退位と即位の儀式を一体で行うように」という提言に安倍政権が応えたものである。「一本化する」とは、つまり、戦前の大日本帝国下で実施した様式に戻すべき」という意味なのである。
ところで、「剣璽等承継の儀」は、昭和の代替わりまでは「剣璽渡御の儀」という呼称であり、現憲法や皇室典範に明文規定がないが、平成の代替わりの際に自民党政権としては何とかして実施するために、新しく生み出された呼称で、海部自民党政権が、神道(戦前の国家神道、天皇教)という宗教色を払拭して憲法の政教分離の原則に触れていないように見せるために、内容には変化がないにもかかわらず(天皇が公務に使う印章である御璽と国璽も加えたともいうが、戦前にそうであった)、「剣璽『等』承継」という呼称に変えただけのものである。だから、その宗教色は払拭し切れていない事は明らかである。主権者国民の眼からは、海部自民党政権や平成の天皇の実施した即位や大嘗祭など一連の儀式の様式は、国民主権や政教分離の原則に違反しており、憲法第99条に違反しているものである。
戦前の例として、昭和の代替わりの「剣璽渡御の儀」がどのようなものであったかを見てみよう。大正天皇は1926年12月25日午前1時25分に死去したが、その瞬間、「皇位は一日も空しくすべからず」に従って、皇太子裕仁親王が践祚した。践祚に伴う儀式は、4つあり、賢所の儀、奉告の儀、剣璽渡御の儀、朝見の儀である。以下に見てみよう。
「剣璽渡御の儀」は25日午前3時15分、「賢所の儀」(賞典長九条道実が天皇に代わって皇祖天照大神(鏡)に拝礼し、「宝祚は片時もむなしくすべきにあらず、万機は一日も停め止むべきに有らざるが故に、嘆きつつも大前に践祚の式を行いて万世一系の皇位の継承」をしたと、お告げ文を奏した。次に皇后の代拝があり、続いて皇霊殿、神殿に「奉告の儀」があり、両儀とも3日間行われた。)と同時刻に行われた(同時刻に行われているところに宗教性が強く認められるのである)。内大臣牧野伸顕が前行し、大正天皇の側にあった剣と璽を侍従2人がそれぞれ持ち、内大臣秘書が国璽と御璽を捧持して後に続いた、剣は昭和天皇の左側の白木の案(机)、璽は右の案、国璽御璽はその中央に置かれた。剣璽が新天皇(昭和天皇)に引き継がれると、天皇の前に剣、後に璽を持った侍従、さらに国璽御璽を持った内大臣が続いて退下して式が終わった。式には大勲位東郷平八郎、同西園寺公望のほか内閣総理大臣、枢密院議長、各閣僚が侍立していた。「朝見の儀」は、12月28日に宮殿・正殿で行われ、昭和天皇は剣璽とともに皇族男子を、皇后は皇族女子を従えて玉座に着き、天皇が勅語を読み、内閣総理大臣若槻礼次郎が奉答した。
平成の代替わりの際にも憲法論議が沸騰した事を付け加えておこう。当時存在した社会党が海部自民党政権に憲法に則った対応を要求している。それは、「政教分離原則を定めた憲法の趣旨を徹底し、宗教的部分を持った皇室行事は、国事行為ではなく、天皇家の私的行為として行うべきだ」「神器は日本書紀の神話に由来する崇教上の参拝の対象であり、これを受け継ぐ儀式は宗教的儀式である」「神器の継承と国璽御璽の継承は切り離して行うべきだ」などである。また、学者や市民グループからも問題点を指摘し、明治大学開催の「象徴天皇制を考える歴史家の集い」では、笹川紀勝・国際基督教大教授(憲法学)らは「国民主権と政教分離原則を貫く立場から、儀式の国事行為化には厳格な目を向けなければならない」との報告がなされた。また、全国の歴史学者2600人が名を連ねた歴史学研究会も「旧皇室令下の一連の儀式は現在、法的根拠を失っている。剣璽渡御の儀などは国家神道の性格が濃く、国事行為とした場合、憲法の原則に反する」との声明を発表した。また、日本キリスト教団の「天皇代替わりに関する情報センター」は「剣璽渡御の儀などの国事行為化に反対する」緊急声明を発表した。しかし、自民党政府は「皇位とともに伝わるべき由緒ある物は、皇位とともに、皇嗣が、これを受ける」とする皇室経済法7条の規定を根拠にして「剣璽」を「由緒物」とみなし国事行為として実施したのである。
百地章氏はどのような儀式を提言しているのか。それは、天皇陛下のいる皇居・宮殿松の間に、上皇陛下とともに神器等が運ばれ、約200年前に退位した光格天皇の「宣命」にならう形で、宮内庁長官が上皇陛下に代わって退位を宣告する。その後、神器等は(新)天皇陛下の前に移すとし、皇位の連続性が、視覚的に伝わる事も重要であるとしている。つまり、平成の代替わりの様式をさらに超えて、時代錯誤の上記のような戦前の皇位継承の様式の復活を提言しているという事である。
これに応じた安倍政権にとって、理想の皇位継承のあり方とは、皇室の神話(神道、天皇教=国家神道)に基づいている事、「神器」を重要な「皇位のしるし」とみなして皇位継承の重要な条件としている事が明らかになってくる。そしてこの価値観は、憲法の国民主権、政教分離の原則、天皇や公務員に義務づけられた第99条「憲法尊重擁護義務」などをまったく蹂躙破壊しており、かつての大日本帝国への回帰と、その下で実施していた皇位継承の様式と、国家神道を復権させる事を目的としている事が明白である。当然、主権者国民としては、憲法と相反するもの国事行為として認める事はまったくできない。「一本化」せず、分けて実施するとしても宗教儀式そのものであるため、認める事はできない。
安倍自公政権や皇室は、天皇の地位を皇室神話の「三種の神器」によって認めるとするのであれば、それを授けたとしている天照大神によって認められるという事を意味するが、それは国民主権が原則である現行憲法下における考え方としてはおかしな理屈で通用しない。
天皇(皇室)の地位(存在)は、天皇が主権者国民に対し憲法を順守する事を誓う事によって、国民がその地位に就く事を承認するものであると理解するのが正しい理解なのである。イギリス王室はそのような理解の下に存立しているのである。