東京地裁は、日本裁判史上はじめて、一度も弁論の機会を与えず、訴えを棄却する判決を下した。2018年12月10日に、19年の天皇の代替わりに伴う「即位の礼」や皇室行事「大嘗祭」に国が公費を支出するのは政教分離を定めた憲法に違反するとの訴えに対する19年2月5日の判決である。
この訴訟は、即位の礼・大嘗祭儀式をはじめとする一連の儀式全体の違憲性を問いただし、儀式に対する国費支出の差し止めと、合わせて、すでに進行している儀式の準備によって生じた損害賠償を求めるものである。
これに対し東京地裁は、一体であるべきこの訴訟を勝手に分離させ、前者の差し止め請求を「行政事件」として、後者の損害賠償請求を「一般民事事件」として、別々の部に係属させたのである。弁護団・原告はそれを不当として、二つの裁判を併合するよう申し立てを行ってきていた。
後者の損害賠償請求については、2月25日に1回目の口頭弁論が開かれる予定であるが、それに先立って東京地裁は、行政事件部分に関して請求却下の判決を下したのである。その理由は、「法律は、原告らが主張するような「納税者基本権」などの権利を保障していない、また、国費支出の違法性を理由として支出差し止めを求める訴訟を認める規定も存在しないので、本件訴えは不適法であり、「口頭弁論を経ないでこれを却下する」事にした」というのである。
今回の判決は、「代替わり」儀式の本格的な開始を前に、儀式それ自体への異議申し立てに議論をする余地はないとする立場に立っており、特に天皇制に関する問題に対しては、一切の議論をせずに「前例を踏襲する」というものであるとともに、これまでの政府の立場に「異議を申し立てる事を認めない」という立場に立ったものである。この姿勢は、憲法第76条3項「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律のみ拘束される」という規定を放擲するものであり、裁判官こそが先ず遵守すべき第99条「憲法尊重擁護義務」のかけらさえ感じさせない、自らの思想の偏向を露わにしたものであり、非合法的に安倍自公政権の意向を正当化するものである。日本の司法は国民の権利を守るものとして機能を放擲した、日本の裁判官は国民の権利を守る役割を放擲したという事ができる。意識的に立憲主義政治や国民主権・基本的人権尊重の原則を崩壊させる事を目論む確信犯である。