2020年11月8日、菅自公政府は、秋篠宮が皇位継承順位第1位の皇嗣とした事を広く国内外に示すという事を名目に「立皇嗣の礼」を実施した。
「立皇嗣の礼」は「立皇嗣宣明の儀」と「朝見の儀」からなる。そして、その実施の報告を伊勢神宮(皇室がその祖先とする天照大神を祀る)、神武天皇(皇室は記紀神話に基づき初代天皇としている)山稜、昭和天皇山稜に行うため、同月5日には「勅使」を派遣する「勅使発遣の儀」も実施している。
ところで「立皇嗣の礼」のこれらの一連の儀式は国民主権を定めた憲法に照らした場合、「憲法違反」である事は明らかである。
「勅使発遣の儀」の「勅」とは、「天皇の命令(を伝える文書で詔や勅など)」で、「勅使」とは、「勅や詔を伝達するために派遣する使い」という意味で、天皇が「勅使を派遣する儀式」という意味である。そして、天皇が御直衣という古式装束を身につけ、「勅使」に「御祭文」を授けたとの事。
しかし、日本国憲法では、この「詔・勅」について、以下のように定めている。「前文」では「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」と。
また、第98条では「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び……は、その効力を有しない」として「詔勅」を全面的に廃止している。国民主権下においては使用してはならないのである。ちなみに、国会の召集・解散に際して詔書の形式を使用しているだけである。
儀式の内容も憲法違反そのものである。それは、儀式全体が皇室神道(神聖天皇主権大日本帝国政府が国教とした天皇教(国家神道)教義の核となり、天皇教組織の頂点にあった)に基づくものであり、その事は現行憲法の定める政教分離原則に違反しているという事である。「立皇嗣宣明の儀」では、天皇が秋篠宮が皇嗣と位置づけた事を「宣言」し、それに応えて秋篠宮が皇嗣となった「決意を天皇に述べた」のであるが、現行憲法に沿えば「皇嗣」の決定は天皇ではなく「主権者国民」が行うものであり、皇嗣になった「決意」は「主権者国民」に対しすべきものなのである。しかし、そのような形式で行われていない。また、「朝見の儀」でも、秋篠宮が天皇に対し「謝恩の辞」を述べ、それに応えて天皇が「祝辞」を述べた。この2人がやり取りしている形式は主権者国民を無視したものであり憲法を無視した行為である。
しかし、このような宗教儀式を皇室が行おうとする事を受け入れ、それを安倍自公政権と菅自公政権は国家的儀式として位置付け、主権者国民の税金を大量に費やして実施し、政権維持に利用しているのである。加えて、メディアもそれに迎合し疑問を呈さず糾すことなく主権者国民に伝達しているのである。政府とメディアはつるんで憲法違反を行い主権者国民を洗脳しているのであるが、「皇室大好き国民」はそれを見抜けずしっかり罠にはまって騙されていると言う事である。
2020年10月28日に上皇・上皇后、天皇・皇后、秋篠宮夫妻が「鎮座百年祭」という理由で明治神宮を参拝(11月6日には秋篠宮の長女眞子さんと次女佳子さんも参拝)した行為も、憲法の政教分離原則に照らして「憲法違反」である事に変わりはない。しかし、メディアは問題提起しないし批判もしない。この背景には、神聖天皇主権大日本帝国政府が天皇を死後「神」として祀った神社を崇めている多くの主権者国民が、科学的(論理的、実証的)な思考を身につけ、自身の「奇異」な思考停止ともいうべき思考様式に気づき改めようとしない事にあるだろう。そしてその思考様式はまた、進歩を妨げ続けているのである。
(2020年11月8日投稿)