6月2日の新聞によると、1日、民主党の「ポツダム宣言」についての質問に対し、安倍首相が「6項の世界征服を含めて、当時の連合国側の政治的意図を表明した文書だ。政府としては同項を含め、ポツダム宣言を受諾し、降伏した事に尽きる」と。サンフランシスコ講和条約については、「(日本は)極東国際軍事裁判所の判決を受諾しており、それに異議を唱える立場にはない」と。指導者の責任についても、「戦争の惨禍を二度と繰り返してはならないという決意で、戦後の平和国家としての歩みを進めてきた。そうした結果を生みだした日本人の政治指導者には、それぞれ多くの責任があるのは当然の事だろうと思う」と述べた。ところで、首相は、5月20日の党首討論では、共産党が「ポツダム宣言が、日本の戦争は世界征服のための戦争であったと明瞭に判定している。総理はこの宣言の認識を認めないのか」と質問したのに対して、「その部分を詳らかに読んでいないので、直ちに論評する事は差し控えたい。先の大戦の痛切な反省によって今日の歩みがある」と述べていた。首相の答弁の、この違いは何を意味しているのだろうか。彼が首相として、どのような歴史認識をもって政治を行ってきたのか又行っているのかという事が期せずして明らかにされたのだといえます。彼は「本音と建前」を使い分けているという事が「暴露」されたという事ではないだろうか。また、どのように言葉を並べても彼のこれまでの発言や動向がそれを「証明」しています。その一例として、彼は「戦犯の名誉回復」を目指していることです。
安倍晋三は、自民党幹事長の2004年と首相に就任してからは翌年の2013年、14年の2回(自民党総裁名)、高野山真言宗の奥の院にある「昭和殉難者法務死追悼法要」に「メッセージ」を送付しています。その「追悼碑」は1994年に建立され、元将校らの「追悼碑を守る会」と、陸軍士官学校や防衛大のOBらの「近畿偕行会」が共催で毎年春に法要を営んでいます。「昭和殉難者」とは、戦争犯罪を問われ、処刑されたか自殺した戦犯の事で、「法務死」とは刑死者を戦死した一般軍人と同列視する事。東条英機らA級戦犯14人を含め約1180人の名前が刻まれている。1978年に靖国神社がA級戦犯を合祀した時、宮司は極東軍事裁判を全面否定して断行した。そして、初回法要には、同じくA級戦犯を合祀する靖国神社から宮司が参列した。碑は、連合国による戦犯処罰を「歴史上世界に例を見ない過酷で報復的裁判」であるとし、戦犯の名誉回復と追悼を目的とするものです。2013年のメッセージには「私たちにはご英霊を奉り、祖国の礎となられたお気持ちに思いを致す義務がある」「ご英霊に恥じる事のない、新しい日本の在り方を定めて参りたい」。2014年のものは「今日の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉難者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げる」「今後とも恒久平和を願い、人類共生の未来を切り開いていく事をお誓い申し上げる」。
このような行為や言辞は、一般的には、憲法前文にある「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こる事のないように決意し」という精神をないがしろにしているものと解釈すべきですが、彼は「自分の考え方は正しい」「これしかない」と狂信しており、自分の描く日本(大日本帝国)への回帰を実現しようとしているのです。また、憲法前文の「平和のうちに生存する権利を有する」という言辞を使って安全保障法制を成立させようとしていますが、これも一般的な解釈とは異なった解釈をしていると考えなければならない。自民党の憲法改正草案には、どちらの字句も削除されている。 ついでながら、この高野山の「昭和殉難者法務死追悼碑」問題は、今後「A級戦犯分祀問題」として登場してくるのではないだろうか?それは、靖国神社からA級戦犯を分祀して、首相や天皇が参拝できるようにし、憲法9条を改正し、自衛隊(軍?)から死者が出た時には靖国神社に祀ってその功績を讃えるという手順が計画されているのではないかという事です。昨年10月末に、福岡県遺族連合会(古賀誠会長)が、県戦没者遺族大会を開き、分祀するよう求める決議を全国で初めて採択している。
(2015年6月4日投稿)