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誰が信じる?戦犯の名誉回復めざす安倍首相が、「我々はポツダム宣言・東京裁判受け入れた」

2024-06-05 15:12:20 | 宗教

 6月2日の新聞によると、1日、民主党の「ポツダム宣言」についての質問に対し、安倍首相が「6項の世界征服を含めて、当時の連合国側の政治的意図を表明した文書だ。政府としては同項を含め、ポツダム宣言を受諾し、降伏した事に尽きる」と。サンフランシスコ講和条約については、「(日本は)極東国際軍事裁判所の判決を受諾しており、それに異議を唱える立場にはない」と。指導者の責任についても、「戦争の惨禍を二度と繰り返してはならないという決意で、戦後の平和国家としての歩みを進めてきた。そうした結果を生みだした日本人の政治指導者には、それぞれ多くの責任があるのは当然の事だろうと思う」と述べた。ところで、首相は、5月20日の党首討論では、共産党が「ポツダム宣言が、日本の戦争は世界征服のための戦争であったと明瞭に判定している。総理はこの宣言の認識を認めないのか」と質問したのに対して、「その部分を詳らかに読んでいないので、直ちに論評する事は差し控えたい。先の大戦の痛切な反省によって今日の歩みがある」と述べていた。首相の答弁の、この違いは何を意味しているのだろうか。彼が首相として、どのような歴史認識をもって政治を行ってきたのか又行っているのかという事が期せずして明らかにされたのだといえます。彼は「本音と建前」を使い分けているという事が「暴露」されたという事ではないだろうか。また、どのように言葉を並べても彼のこれまでの発言や動向がそれを「証明」しています。その一例として、彼は「戦犯の名誉回復」を目指していることです。
 安倍晋三は、自民党幹事長の2004年と首相に就任してからは翌年の2013年、14年の2回(自民党総裁名)、高野山真言宗の奥の院にある「昭和殉難者法務死追悼法要」に「メッセージ」を送付しています。その「追悼碑」は1994年に建立され、元将校らの「追悼碑を守る会」と、陸軍士官学校や防衛大のOBらの「近畿偕行会」が共催で毎年春に法要を営んでいます。「昭和殉難者」とは、戦争犯罪を問われ、処刑されたか自殺した戦犯の事で、「法務死」とは刑死者を戦死した一般軍人と同列視する事。東条英機らA級戦犯14人を含め約1180人の名前が刻まれている。1978年に靖国神社がA級戦犯を合祀した時、宮司は極東軍事裁判を全面否定して断行した。そして、初回法要には、同じくA級戦犯を合祀する靖国神社から宮司が参列した。碑は、連合国による戦犯処罰を「歴史上世界に例を見ない過酷で報復的裁判」であるとし、戦犯の名誉回復と追悼を目的とするものです。2013年のメッセージには「私たちにはご英霊を奉り、祖国の礎となられたお気持ちに思いを致す義務がある」「ご英霊に恥じる事のない、新しい日本の在り方を定めて参りたい」。2014年のものは「今日の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉難者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げる」「今後とも恒久平和を願い、人類共生の未来を切り開いていく事をお誓い申し上げる」。
 このような行為や言辞は、一般的には、憲法前文にある「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こる事のないように決意し」という精神をないがしろにしているものと解釈すべきですが、彼は「自分の考え方は正しい」「これしかない」と狂信しており、自分の描く日本(大日本帝国)への回帰を実現しようとしているのです。また、憲法前文の「平和のうちに生存する権利を有する」という言辞を使って安全保障法制を成立させようとしていますが、これも一般的な解釈とは異なった解釈をしていると考えなければならない。自民党の憲法改正草案には、どちらの字句も削除されている。 ついでながら、この高野山の「昭和殉難者法務死追悼碑」問題は、今後「A級戦犯分祀問題」として登場してくるのではないだろうか?それは、靖国神社からA級戦犯を分祀して、首相や天皇が参拝できるようにし、憲法9条を改正し、自衛隊(軍?)から死者が出た時には靖国神社に祀ってその功績を讃えるという手順が計画されているのではないかという事です。昨年10月末に、福岡県遺族連合会(古賀誠会長)が、県戦没者遺族大会を開き、分祀するよう求める決議を全国で初めて採択している。

(2015年6月4日投稿)

 

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朝日新聞記事「御養蚕始の儀」:朝日自身の価値観を憲法に照らして記事を書け

2024-06-05 14:57:24 | 皇室

 朝日新聞は、雅子皇后が2020年5月11日、皇居内の紅葉山御養蚕所で「御養蚕始の儀」を初めて行った事を伝えた。そして、この「」の意味については、「明治以降、歴代の皇后が引き継いできた伝統行事である」とする極めて粗雑な説明で済ませている。これでは「フェイク記事」と言われても仕方がないだろう。また、読者はこの記事により、誤った歴史を植え付けられてしまうだろう。

 なぜ、このような雑な説明しか行わないのだろうか。理由を考えてみた。それは、皇室の慣例の儀礼行事の一つであるから実施する事は「当たり前」で、それを主権者国民に伝えているだけだと単純に考えているのだろうか。しかし、それではあまりに浅薄な認識で記事を書いているという事になる。まさかそんなはずはないだろう。それならばなぜだろう?考えられる事は「意図的に」このような記事を書いたのではないかという事である。それは多分、主権者国民に皇后や天皇・皇族に対する親近感とさらには敬意を育ませる事を目的としているためなのではないかという事である。

 「御養蚕始の儀」は「明治以降の皇后」が引き継いできた、と説明しているが、主権者国民に対して、もう少し丁寧な説明をすべきであろう。「明治以降」としているがそれは何故かを詳しく説明すべきである。この「儀礼」は神聖天皇主権大日本帝国政府が、国民の精神的支柱とするべく生み出した新興宗教「国家神道(天皇教)」に基づき、皇后の役割として「創出」したものであり、当時の輸出基幹産業であった「生糸産業の発展」を皇祖皇宗(天照大神に始まる歴代天皇)に祈るためのものであったのである。このような背景があるにもかかわらず、説明しない書かない手法は、読者(主権者国民)に「欺瞞」「洗脳」効果を期待する手法と言って良く、まるまる「ウソ」を書く手法と同類である。朝日新聞はこの「儀」が、帝国政府により極めて政治的な意図をもって創られた「儀礼」である事を主権者国民に伝えるべきなのである。

 ちなみに、明治以降の神聖天皇主権の「天皇制」には2つの顔がある。1つは「軍国」の顔であり、もう1つは「慈愛」の顔である。そして、「慈愛」の顔は、臣民(国民)を懐柔し統合する事を目的として見せてきた「顔」である。敗戦後の日本国憲法に定められた「国事行為」の中の特に「栄典の授与」や、「生前譲位のお言葉」にある「象徴的行為(公的行為)」がそれに当たる。また、「慈愛」の顔は女性皇族の「慈愛」の顔で、彼女たちはそれに適った役割を担ってきた。「坤徳」という言葉があるが、これは「皇后の恩」という意味であり、皇后及び女性皇族は積極的に社会事業に関わってきた「顔」である。

 「軍国」の顔は、天皇陸海軍の最高司令官であり、元首であり、政治と軍事の最高権力者の地位にあった事。また、男性皇族は全員軍人となり、軍国日本の象徴であった事である。 

 敗戦により、神聖天皇主権大日本帝国政府が崩壊したあと、新憲法の下に、国民主権の新しい日本国が樹立され、天皇・皇族も、憲法を「尊重擁護」しなければならない立場に立つ事となった。という事は、天皇・皇族は、政府の1機関と考えるべきであるから、憲法第20条3項に定められた「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」という事や、第89条に定められた「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」という事を「尊重擁護」しなければならないという事である。

 そのように考えると、朝日新聞は、皇后が上記の「御養蚕始の儀」を手前勝手に「伝統」として継承してきた事自体を憲法違反の行為として問題とすべきであり、また、軽率に「伝統」という言葉を使用して説明をするべきではなく、皇后(天皇家)に対して直ちに廃止するよう要求する事を目的として記事を書くべきなのではないのだろうかと考えるのだが。

 皇后や天皇・皇族も「御養蚕始の儀」を行う事などが今日まったく無意味である事を理解すべきである。また、そのために、主権者国民の税金がいかに無駄に費やされているかを理解すべきである。

憲法第88条「すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない」

(2020年6月19日投稿)

※2022年6月12日朝日新聞は「皇室の伝統行事「養蚕」は明治以降、歴代皇后が継承し、約150年続いてきた。皇后さまは2020年から取り組んでいる。今年は5月11日に「御養蚕始の儀」に臨み、同月19日には天皇陛下とともに蚕に桑の葉を与える「御給桑」を、今月1日には長女愛子様も加わってご一家で、御給桑と、繭造り用の器具である蔟に蚕を移す「上蔟」も行った」と載せた。

※2022年7月13日朝日新聞は「皇后さまが、皇居内の紅葉山御養蚕所で『御養蚕納の儀』に臨んだ。宮内庁によると、皇后さまは、純国産種の「小石丸」と、白繭、黄繭の生糸の束を供えた神前に拝礼した。同庁は同日、生糸の写真を公開した。同庁によると、皇后さまはコロナ禍に伴う様々な制約などがある中、無事に御養蚕納の儀を迎えられ、関係者に感謝の気持ちを示していたという。美しくつややかな生糸を見た皇后さまは、歴代皇后が大切に引き継いできた養蚕を今年も無事に終えられた事を、感謝の気持ちとともに、感慨深く思っている様子だったという。」と載せた(2022年7月13日)。

※2024年6月5日朝日新聞は「皇后さまは4日、皇居内にある紅葉山御養蚕所で、カイコに桑の葉を与える『御給桑』に臨んだ。今年は純国産種『小石丸』約5万頭などを飼育しており、この日は小石丸のカイコ400頭に桑の葉を一枚一枚丁寧に与えていた。カイコがすぐに葉の上に登ってくる様子を見て『もう(葉の上に)上がってきている』などと目を細めつつ、作業にあたっていた。養蚕は明治時代から皇后に受け継がれている伝統行事。」と載せた(2024年6月5日)。

 

 

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