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安重根の評価にうかがえる菅首相(自民党政権)の歴史認識とその思想

2024-10-24 18:19:48 | 菅首相

 2014年1月19日、中国黒竜江省ハルビン駅に「安重根記念館」が開館した。韓国大統領・朴槿恵氏が前年の13年6月、中国国家主席習近平氏に対し記念碑設置を要望したのに応えて作られたものだ。記念館はハルビン市政府と国鉄当局が出資し駅の貴賓室に作られた。また、暗殺現場が起きた駅ホーム上には、「安重根が伊藤博文を銃で撃ち殺した事件が発生した場所」という中国語文と事件の日付(1909年10月26日)を示したプレートが掲げられた。 

 「安重根」という人物は、韓国では神聖天皇主権大日本帝国からの侵略を排除し独立を目指した英雄的運動家と評価されており、ソウルの南山公園に「安重根義士記念館」を建設(1970年10月27日開館)ている。というのも「大韓帝国」に対し植民地化を推し進めるために「日韓議定書」(1904年)、「第1次日韓協約」(1905年)につづけて「第2次日韓協約」(1905年、外交権を接収)を押し付け、「韓国統監府」を設置し、初代統監にもなった伊藤博文を暗殺し、植民地化への動きを阻止しようしたからである。

 抵抗せず逮捕された安重根は検察官の尋問に伊藤博文銃殺に対し15の理由(伊藤博文の罪悪15か条)を答えていた。それは、

1、韓国の閔妃明成皇后(第14代国王高宗の妻)を殺害(1895年)した事。

2、大韓帝国の初代皇帝光武(高宗)皇帝を廃位させた罪。

 光武皇帝(高宗)は1907年、第2回万国平和会議に密使を送り大日本帝国政府の侵略を訴え独立回復を提訴しようとしたハーグ密使事件で退位させられた。

3、第2次日韓協約と第3次日韓協約(1907年。内政権を接収)を強制締結した罪。

4、独立を要求する無辜の大韓帝国民を虐殺した罪。

5、政権を強制的に政権を強制的に奪い、統監政治体制に変えた。

6、鉄道、鉱山産業と農地を強奪した罪。

7、日本が第一銀行貨幣を強制的に使用して、大韓帝国の経済を撹乱した罪。

8、大韓帝国軍隊を強制的に解散した罪。

9、民族教育を妨害した罪。

10、大韓帝国民の外国留学を禁止し、植民地化した罪。

11、大韓帝国の歴史を抹殺し、教科書を押収して焚焼した罪。

12、大韓帝国民が日本の保護を望んでいると世界に嘘を広めた罪。

13、現在大韓帝国政府と神聖天皇主権大日本帝国政府との間には争いが絶えないが、大韓帝国は太平無事であるかの如く天皇を騙した罪。

14、大陸侵略によって東洋平和を破壊した罪。

15、日本天皇の父太皇帝を殺害した罪。

という内容である。

 1910年2月7日から始めた関東都督府高等法院裁判は1週間後の14日、「死刑」を言い渡し、同年3月26日午前10時には絞首刑に処した。

 安重根は「伊藤殺害は韓国独立戦争の一部であり、また私が日本の法廷に立つようになったのも戦争に敗れて捕虜になったからである。私は個人の資格でこの事を決行したのではない。大韓帝国義軍参謀中将の資格で祖国の独立と東洋平和のために実行したのであるから『万国公法』によって処理すべきである」と主張した。

 しかし、事件が帝政ロシアの租借地域で起きているし、安重根は大韓帝国民であるにも関わらず、大日本帝国政府は日本刑法により裁判を行使した。また、外国人弁護団を認めず、大日本帝国政府が一方的に日本人官選弁護人を指名して裁判を進めた。さらに、被告の発言権を封鎖した状態で速決した。

 神聖天皇主権大日本帝国政府がこのように扱った安重根を、中国政府と大韓民国政府が記念館を設立して顕彰する行為に対し、首相は、官房長官時代にどのような発言主張をしていたのだろう。そこには菅氏の歴史認識や思想が明確に顕わになっている。

 2013年11月19日の記者会見では「中国・ハルビン駅で安重根が伊藤博文を暗殺した現場を示す碑を設置する動きについて、『我が国は安重根を犯罪者と韓国政府に伝えている。このような動きは日韓関係のためにはならない』と主張した。

 これに対し趙泰英・韓国外交省報道官は同日の定例会見で「日本の帝国主義時代に伊藤博文がどんな人物だったのかを振り返れば、官房長官発言はありえない」「安重根義士は我が国の独立と東洋の平和のために命を捧げた」と非難指摘した。

 2014年2月4日には安倍自公政権は、「記念館が建設された事は遺憾」「安重根は伊藤を殺害し、死刑判決を受けた人物と承知している」とする答弁書(新党大地・鈴木貴子衆院議員の質問書へのもの)を閣議決定した。

 2014年5月9日の菅官房長官の記者会見では「前世紀の事件について、一方的な評価に基づいた主張を韓国と中国が連携して国際社会に展開するような動きは、地域社会の平和と協力の構築に資するものではない」と批判した。

(2020年10月12日投稿)

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「竹島の日」式典 衛藤担当相出席せず:担当相も領土議連も認識は浅薄、外務省HPは完成版でない誤った日本輿地路程全図を掲載し国民を欺瞞

2024-10-24 18:15:14 | 領土問題

 2020年2月22日に松江市で開催された「竹島の日」記念式典には安倍自公政府代表として藤原崇・内閣府政務官が出席した。これにより8年連続で政務官対応となった。しかし、衛藤晟一領土問題担当相の竹島についての認識は浅薄であるだけでなく、2月18日の会見に見られる竹島についての領土問題解決への姿勢も、「新たな形で何か打ち出せるとという戦略が決まったわけでもない。私が行くとか副大臣がいくとか仕掛けようと思ったが、まだ出来ていないので例年通りやるしかないというのが本音だ」という言葉からも、ゲーム感覚のような極めて幼稚で単純な捉え方をしているように述べていると思われる。この事は超党派の国会議員からなる「日本の領土を守るため行動する議員連盟」も同様であると思われる。

 なぜ、上記のように思うのかというと、外務省がHPで「竹島」について掲載している長久保赤水(1717~1801年。水戸藩の儒官)の地図「日本輿地路程全図」は、正しいものとは言えないからである。また、外務省は故意にその正しくない地図を掲載していると考えられるので、外務省に指摘しHPを改訂させるべきであると考える。

 なぜなら、「日本輿地路程全図」は、1775年の元版では鬱陵島と竹島が、隠岐と同じように黄色に彩色している。しかし、1778年の改訂版では両島を朝鮮国と同じ「白抜き」にしている。なぜならそれは、江戸幕府が鳥取藩に対して、「鬱陵島と竹島は日本の領土ではないので渡海しないように」という命令を出したからである。そして、1791年の最後の完成版でも改訂版と同様に、鬱陵島と竹島は「白抜き」にしているからである。

 安倍自公政権は、領土問題においても自政権にとって都合が良いように、主権者国民(そして世界の国々)に対し、堂々と「誤った情報=ウソ」を伝え、それを刷り込み欺こうとしていると見なしてよいだろう。

(2020年2月26日投稿)

 

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竹島が李氏朝鮮(現韓国)の領土だった事を証明する政府命令による佐田白茅と森山茂の朝鮮国調査

2024-10-24 18:11:34 | 領土問題

 2019年7月23日、ロシアと中国が日本海と東シナ海上空で行った初の共同警戒監視活動に関して、菅官房長官が「竹島は我が国固有の領土である」と述べたが、明治初期の神聖天皇主権新政府の政策に関する史料では、「竹島」は紛れもなく「現韓国」の領土である事が明白である。

 明治新政府は、一般大衆に支持されず、士族大衆からも反対されていた。新政府の最高位である議定の公卿や大名の多くは政治能力を有していなかった。その新政府の危機を乗り越える方策の一つに、諸藩及び不平士族の眼を海外に反らし、その間に中央政府の権力を確立しようとするものがあった。その意志をうかがわせるものに木戸孝允の「征韓論」がある。1868年12月14日の日記に「明朝岩倉公(東京へ)御出立に付、前途の事件御下問あり。よって数件を言上す。その大なる事件二あり、一は速やかに天下の方向を一定し、使節を朝鮮に遣わし、彼の無礼を問い、彼もし服せざるときは罪を鳴らして攻撃、大いに神州の威を伸長せんことを願う。然る時は天下の陋習忽ち一変して、遠く海外へ目的を定め、随って百芸・機械等、真に実事に相進み……」とあるのがそれである。

 明治新政府は1868年10月、対馬藩主に命じ、神聖天皇主権の新政府成立の通告とヨーロッパ流の国交を朝鮮国に要求させた。しかし、明治新政府の征韓(朝鮮征服)の野望を見透かしていた朝鮮国は拒絶し続けた。そのため、明治政府は1869年12月、将来の対朝鮮政策をたてるため、久留米藩の佐田白茅大和の森山茂に渡朝させ、13の項目について調査する事を命じた。その項目の①②③は、従来の日朝の交際様式、④朝鮮の独立の程度、⑤「皇使」派遣の際軍艦を入れる港の有無、⑥朝鮮が露国に心酔しているとの説の実否、⑦朝鮮の軍備、⑧朝鮮内治の状況、⑨貿易物資の有無、物価・貨幣の良否、⑩歳遣船(対馬藩が朝鮮から特許を受けて行う貿易)の利害、⑪対馬藩の朝鮮交際の経費、⑫草梁より内治へ旅行の可能性、などであり、①②③⑨⑩⑪は旧来の宗氏を介した国交を改める意図と関係しているが、他の項目は、すべて軍事的政治的意図に関係するものであった。そして、⑬番目の項目には、竹島・松島が朝鮮付属となった理由、なるものが存在しているのである。この松島なるものは、現在の安倍自公日本政府が、大韓民国政府との間で領有権を争っている「竹島」の事なのである。

 この歴史史料が示している事は明らかに、明治初めには、神聖天皇主権日本国政府はここを「朝鮮国」の領土であると見なしていたという事以外の何ものでもないという事実である。

(2019年7月26日投稿)

 

 

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