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西南戦争田原坂の戦い以降に見る西郷軍、「玉砕」の生みの親、太平洋戦争での日本軍の戦闘とまったく同じ

2025-01-28 22:53:17 | 戦争遺跡

 西南戦争(1877(明治10)年2月15日~9月24日)田原坂の戦いで、西郷軍はどのような戦い方をしたのか。当時の新聞記事に見てみよう。一言でいえばそれは、太平洋戦争の末期の日本軍の戦争指導者の戦い方とまったく同じであったといえる。

 政府軍については、「……前報に田原坂の樹木は一寸間毎に銃丸を打ち込まれざるはなしと記したるが、官兵(政府徴兵軍)の費消する数を聞くに田原、二俣等の戦には、1日概数25万発(スナイドル銃)に下らず、その最も多き日は35万発より40万発に及び、大砲は12門にて1000発以上を打発したり」(郵便報知新聞・1877(明治10)年4月11日)

 それに対し西郷軍は、「賊兵弾薬に乏しきにや、田原坂の戦いに河原の小石を以て銃丸に用いたるよし」(朝野新聞・明治10年4月11日)。また「賊徒の屯集したる田原坂の胸壁中に、馬の骨を数知れぬ程積置きたるを見れば、兵糧欠乏ゆえ馬を屠殺して喰らいしなるべし」(東京曙新聞・明治10年4月5日)

 西郷軍は、田原坂の戦いで敗北後、潰乱状態となり、奇襲や斬り込みなどゲリラ的戦い方となり、「玉砕」という言葉を使用するようになった。

 「この頃日向の宮崎にて戦死せし賊が死体の懐中に左の通りな廻文が有りしよし、その写しは『諸隊順達』。瓦となって完からんより玉と成って砕けよとは、各自予て知る所、今更又何をかいはん、当軍さきに告示せし如く、既に金城湯池を失い、わずかに日向の一地に拠るのみ、然りと雖も未だ一人当千の勇士に乏しからず、豈おめおめと敵に降り軍門に惨刑せらるるを愧じざらんや、国に報い義を重んずる者、戮力奮戦以て同日同刻に斃れんことを期す」(浪花新聞・明治10年8月26日)と「玉砕」を命じている。

 この背景のある西郷軍幹部の当時の意識は、「最早賊徒の兵気は余程衰えたるものと見えて、この頃降伏人の云う所に拠れば、近頃は別府晋介、逸見十郎太らをはじめ賊徒の重立たる者は皆砲塁の後ろに抜刀をして控え、若しや兵士に卑怯の者か或は敵に降らんとする者あれば、直ちにその場において首を刎ね、以て兵気を鼓舞するくらいの勢いなりという」(東京日日新聞・明治10年7月24日)状況となっていた。

 この後の西郷軍の様子は、「確乎たる部署もなく亦一定の戦略もなく」「十分の糧食を輸送する事を得ず」「その糧食窮し」「その弾薬乏しく到底戦わずして自ら斃れ」「官軍に抗するものなかりき、この如きが故に賊兵の降伏は昨今最も夥しく、6000名に達したり」「西郷これ無恥の最も甚だしきものなり」(東京日日新聞・明治10年9月5日)と報道されている。

(2018年2月25日投稿)

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朝日新聞記事「私のイチオシ コレクション『日本の活版印刷』」:中西学芸員が失格?聞き手高木記者が失格?

2025-01-28 22:48:49 | 文学・歴史

 2021年1月26日の朝日新聞の記事欄「私のイチオシ コレクション」に印刷博物館(東京都文京区)の学芸員・中西保仁氏が「日本の活版印刷」という記事を提供していた。

 それを読んで私は同じ博物館学芸員資格を有する者として、非常に残念に思うとともに中西氏に学芸員としての責任の重大さを自覚してほしいと感じた。それはなぜか?それは活版印刷技術がもたらされた事についての説明文が、事実に基づいた丁寧なものとなっておらず、読者に誤った認識を伝えるものとなっているからである。また、この説明文が「聞き手」の高木彩情氏の編集によるものであれば、編集者の不見識によるものであるか、故意にこのようにしたかのいずれかという事になるが。いずれにしても記者失格というべきであろう。

 その説明文は、「日本に活版印刷技術がもたらされたのは16世紀末。欧州から天正遣欧少年使節団を通じて、アジアから朝鮮出兵した豊臣秀吉を通じて、違う文化圏の技術が偶然同時期に伝わりました」という説明分の中の「朝鮮出兵」という表現と、それによって「伝わりました」とする表現である。

 定説では、豊臣秀吉は「朝鮮を侵略した」のであり、その際に「多くの活字と本、それに印刷の技術者を略奪して連れて帰ってきた」事を説明すべきであろう。このような点も丁寧に説明するのが博物館学芸員の仕事であると思いますがいかがでしょうか。中西氏自身が記事のような説明をしたとすれば、彼自身、学芸員として勉強不足であるし、学芸員としての責任感の乏しさが感じられ、学芸員としては失格でしょう。また、「聞き手」の高木氏が、中西氏の説明をそのまま自身で確認せず記事にしたのであれば「記者失格」でしょう。まして高木氏の編集によるものであれば、大手メディアとしてこれはフェイクの発信であり、「犯罪」的行為と言っても良いでしょう。読者は記事を批判的に読む習慣を持たなければいけません。そのためには、ウソを見抜く広い知識を持つ必要がありますし、そのための努力を惜しんではいけないでしょう。

ちなみに、金属活字による印刷技術は、13世紀の朝鮮半島の高麗国(918~1392)で発明されている。最も古い金属活字での刊本とされているのは、1974年にフランス国立図書館で発見された『直指心体要節』で1377年に刊行されたものである。現在、世界最古の金属活字印刷本として、ユネスコ世界記憶遺産に登録されている。李氏朝鮮国時代になると、第3代国王太宗(1400~18)の代の1403年に金属活字鋳造所が造られ、次の世宗(1418~50)の代には書籍出版が盛行し、訓民正音(朝鮮文字、ハングル)も制定された。

 (2021年2月1日投稿)

 

 

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