ユネスコ分担金を安倍政権が支払わないという問題が起こっている。菅官房長官は支払いを保留している事について、10月14日の会見で、「昨年、政府が知らない中で様々な事が決められた。こうした事が正常化されるかどうかを見ながら対応を考えたい」と、中国が申請した「南京大虐殺の記録」を記憶遺産に登録した事を理由とする発言をした。また、審査過程で関係国の意向を聞くなどの見直しを求めている。この発言は、ユネスコの登録審査が「異常な状態」にあるかのような印象を与える事を狙ったものであり、安倍政権の極めて傲慢な姿勢を表した発言であるというべきであり看過すべきではない。
また、支払いを保留している理由はそれだけではないのである。メディアは意図的に大きく取り上げていないのであるが、それは今年6月、日中韓などの民間団体が旧日本軍の慰安婦に関する資料の遺産登録申請をしたからである。
金を積んだり、金を積まなかったりで、自己の意思要求を適える、目的を達成する、つまり金を使って金にものを言わせてあらゆる事柄を解決するという発想があり、適法であるかどうかではなく、公平公正かどうかではなく、正義に適っているかどうかではないのである。もちろん普遍的な理念などカケラも持ち合わせていない。この手法はこれ以外のあらゆる事柄に対する対応に表れている。そして、このような手法を正当なものであると考えているのである。これが新自由主義というものであり、安倍政権の体質なのである。
このような体質を露わにし出したのは、上記のような日本の「侵略戦争」に関する内容が登録申請される動きが出てきてからである。この事は安倍政権が、余程アジアの人々の主張が信用できないという事を訴えたいのか、それとも、余程後ろめたい公けになっては困る認めたくない内容であるという事なのか、という事になると思うが、間違いなく後者であると言ってよい。安倍政権は、学問的には非科学的で恣意的な解釈(捏造)に基づくものであるが、彼らにとっては死守すべき重要な「美しい国」という日本歴史のイメージをそこねる内容を否定したいのである。これは歴史修正主義であり、これを黙認したり許すならば、この先彼らは、これまでの科学的研究で明らかにされた日本歴史のすべての内容を彼らの歴史観によって書き換えていく事だろう。すでに始めているが。また、現在起こっている様々な場所での様々な事象についても彼らの恣意的な解釈がなされていくであろう。これもすでに始めているが。
なぜこのような傲慢な姿勢や手法をとる事ができるのかというと、手本とする前例があるからである。それは、安倍政権の親分である「米国政府」が、パレスチナ加盟に反発して2011年秋から分担金の支払いをやめているのである。
「力こそ正義の外交」の一つの例は「国際連盟脱退」の歴史にも見られる。
「中国は、満州事変が起こると国際連盟規約に基づき連盟に提訴。日本政府も調査団派遣を提案。これを受けて1932年イギリスのリットンを団長とする調査団(英米仏独伊代表の5名)を現地と日本・中国に派遣。調査中に関東軍は「満州国」の建国を宣言させ、斎藤実内閣は日満議定書で満州国を承認。
リットン報告をもとに、連盟は1933年2月の臨時総会で、日本の「満州国」承認の撤回や日本軍の満鉄付属地内への撤兵などの勧告案を、42対1で採択。日本全権松岡洋右はこれを拒否し、総会会場から退場。翌月に連盟からの脱退を通告。さらに1936年のワシントン・ロンドン両海軍軍縮条約失効で、日本の国際的孤立は決定的となった。」
これ以後の日本の歩んだ歴史は周知のとおりである。