2023年12月8日朝日新聞は、太平洋戦争開戦82年という事で、神聖天皇主権大日本帝国海軍による、当時米国自治領ハワイ準州であったオアフ島真珠湾奇襲攻撃に関連した記事を、真珠湾の「軍神」という見出しで載せた。当時の軍部やメディア(朝日新聞)はどのように国民に対し伝えたのかを紹介しよう。
「軍神」とは、戦時中に功績を立て戦死した軍人を讃える言葉であった。その代表的なものの一つが「真珠湾九軍神」であった。「九軍神」とは、太平洋戦争開戦となる真珠湾奇襲攻撃の際、5隻の小型潜航艇(2人乗りで計10人)に乗り(特別攻撃隊)、真珠湾近辺へ出撃したが、4隻は撃沈され8人が戦死、1隻は座礁し、1人は水死し、他の1人酒巻和男少尉は捕虜(朝日新聞などメディアはまったく伝えず国民は戦後初めて捕虜となっていた事を知った)となったため戦死は9人だったからである。
大本営発表は1942年3月で、軍部は彼ら若い兵士の功績を讃え、2階級特進させて英雄化し国民の戦意高揚に利用した。
朝日新聞は軍部の意向に従い、「軍神」と呼び、功績を讃えた。又「軍神」に対し「特別攻撃隊」の名称を使用し、「英霊の事跡を汚さぬよう国民は自戒すべきである」と主張した。1面全面を使用して報じ、2、3、4面にも関連記事を載せ、吉川英治や三好達治などの作家や詩人の追悼文や詩を載せた。
朝日新聞は、「九軍神」を部数拡大につなげるため、1942年7月から獅子文六により「九軍神」の1人横山政治をモデルにした小説『海軍』の連載を開始した。朝日新聞は軍部の要求以上に「九軍神」を英雄として美化し、国民を戦争に煽る事に力を入れた。
朝日新聞はこの後も、陸軍戦闘機「隼」の操縦士で「ビルマの撃墜王」と讃えられた加藤建夫中佐(戦死後2階級特進で少将)を「軍神」と讃えた。
※1941年12月8日神聖天皇主権大日本帝国政府は、新聞社、通信社に対して「日英米に対する情報宣伝方策要綱」を決定。「大綱」は「世論を誘導」する基本方針として、「開戦は日本の権威と大東亜の生存を確保するためのやむにやまれぬ戦争である事」、「戦争の原因は敵国の利己的世界制覇の野望である事」などを徹底して報道する事を強要していた。
(2023年12月8日投稿)