2024年12月5日朝日新聞が「通天閣、南海電鉄の傘下に」と掲載した。
現在の「通天閣」は2代目である。初代は神聖天皇主権大日本帝国時代の1912年(明治45)年7月3日に誕生した。「新世界」を開発した大阪土地建物会社の直営事業として「大林組」が請負い建設した。フランス・パリのエッフェル塔(1889年建設、高さ312㍍)がモデルで、75㍍、当時日本一の高さであった。土台はアーチ型の鉄筋づくりで、天井には天女の舞い姿が描かれていた。エレベーターは金網張りの幼稚なものであったが、当時は東京・汐留駅と大阪・専売局に、貨物用が一つずつあるだけで、人間を運ぶものは初めてであった。不幸な出来事も起こった。1916(大正5)年10月9日夕方、山口県出身の24歳のノイローゼ症状があった店員が展望台の欄干を乗り越えて、飛び降り自殺したのである。以後は展望台に金網がめぐらされた。1920(大正9)年7月に「ライオン歯磨」の電飾広告が取り付けられた。これは全国の電飾広告のハシリであった。
1938(昭和13)年9月に、吉本興業に身売りした。1943(昭和18)年1月16日に、芦辺劇場西隣の映画館「大橋座」から出火があり、被災した。アジア太平洋戦争中には、金属供出が及び、1943年2月に解体され300㌧ほどの鉄屑となった。
敗戦後の日本国1956(昭和31)年10月、2代目「通天閣」が初代のものより北へ約20㍍よりにそびえ立った。地元の人たちがお金を出し合って「通天閣観光会社」を設立し、「奥村組」の施工で再建したものであった。高さ103㍍で世界初の円形のエレベーターを付けた。
(2024年12月5日投稿)