沖縄戦は1945年6月23日に終わっていない。
沖縄守備軍司令官・牛島満中将は、6月18日に、参謀次長と第10方面軍あてに訣別電報を送るとともに、部下将兵に対して、今や刀折れ矢は尽きたが「最期まで敢闘し悠久の大義に生くべし」と命じた。そして、6月23日未明、牛島司令官と長勇参謀長は、摩文仁の軍司令部豪内で自殺した。
このため、沖縄守備軍の指揮系統は失われたが、沖縄戦は終結しなかった。今日、6月23日を沖縄戦の終戦としているが、沖縄戦は9月初めまで継続していた。
慶良間列島の阿嘉島に駐留していた海上挺進第二戦隊(戦隊長・野田義彦少佐)の将兵が米軍の降伏文書に調印したのは1945年8月22日で、武装解除されて捕虜となったのが8月23日である。
渡嘉敷島の海上挺進第三戦隊(戦隊長・赤松嘉次大尉)の将兵の投降も8月24日である。
第24師団第三十二連隊の将校55人と兵卒342人が集団で降伏したのが8月27日である。
また重要な事は、米上陸軍主力の第10軍司令官スチルウェル大将が、米極東軍司令官マッカーサーから南西諸島の大日本帝国軍の無条件降伏を受け入れるよう指示を受けたのが8月26日である。そして、南西諸島の大日本帝国軍の代表が嘉手納の第10軍司令部へ出頭し、降伏文書に調印したのが9月7日である。
つまり、宮古島から第28師団師団長・納見敏郎中将と奄美大島の高田利貞中将が陸軍を代表して、また、加藤唯男少将が海軍を代表して9月7日に降伏文書に調印して沖縄戦は正式に終了したのである。
(2022年6月5日投稿)