明治神宮は2020年で創建100年を迎えた。安倍自公政権はその「神宮外苑」には「新国立競技場」を建設した。そして、予定通りに「東京五輪パラ」が実施できていれば、「明治神宮」もその祝典のようなものを実施していたであろうと考えて良いであろう。
神聖天皇主権大日本帝国政府がどういう理由で明治神宮を建設したのかという事については別稿のカテゴリー「明治神宮」「明治神宮と神宮外苑競技場(新国立競技場の前身)の建設は天皇崇拝と天皇制国家への忠誠(国家神道)の普及」を参照してください。この稿ではそこに書かなかった事を紹介します。それは明治神宮と渋沢栄一との関係についてです。渋沢については今年2021年2月からNHK大河ドラマが主役に取り上げ、新1万円札にも登場する事になっていますが、なぜ今なのかという事の答えにもなる事です。
明治天皇は1912年7月29日夜(公式発表は30日未明)に死去したのですが、その直後から、渋沢栄一を筆頭として東京の政財界では「天皇陵」を東京に設ける事を目標とする運動が起こりました。しかし、しばらくして帝国政府宮内省は陵墓を「京都伏見」に設ける事を発表しました。それをきっかけに、渋沢は明治神宮の東京建設を主導していく事になるのである。
しかし面白い事に渋沢は、元々神社は嫌いだったようである。神社仏閣に祈るという行為を「迷信」として忌避していたようである。そういう事情から、渋沢がこだわりをもって関わり続けたのは、近代的な施設が集まる「外苑」であった。つまり、渋沢は、「天皇皇室は尊崇したが、神社は重視しなかった」のである。しかし、帝国政府によるその後の国民への国家神道の洗脳の強化により、渋沢のような意識を有する国民は「非国民」として扱われていったのである。
また、渋沢は日米友好を願っていたのか、彼が死去する前年の1930年に、明治神宮外苑にある聖徳記念絵画館に、1879年8月に来日した米国のグラント将軍(第18代大統領。沖縄領有問題調停で清国と日本帝国に2分割案提示)が明治天皇と会見した時の模様を描いた壁画、表題「グラント将軍と御対談の図」を奉納している。
しかし、友好を願っていたとすれば渋沢にとって皮肉な事であるが、彼が推進し帝国日本政府が建設した神宮外苑競技場において、1943年10月21日、東条英機政府が学徒出陣壮行会を実施する場として使用する事になるのである。
安倍自公政権が、何があっても東京五輪パラを実施しようとした背景や菅自公政権がそれを継承し、一年延期はしたものの今年こそは何があっても実施しようとしている背景には、上記の「明治神宮創建100年」を記念する式典を実施し明治神宮の存在を国民の頭に刷り込む事と、渋沢栄一がその建設を主導したとして讃美するとともに、日本の資本主義の基礎作りに貢献したと一面的な評価で正当化し讃美して国民を洗脳する事を狙っているからである。歴史認識を彼らにとって都合の良いように書き換え(歴史修正主義)ようとしているのである。
(2021年2月19日投稿)