安倍・菅自公政権が圧力をかけた結果であろう、NHKが政権の意に応じるように「大河ドラマ」で「日本資本主義の父」として絶賛し美化すべき人物像に創作して取り上げ、国民にそれを植えつけ(洗脳)ようとしていると思われる渋沢栄一という人物ついて少し紹介したい。神聖天皇主権大日本帝国政府は、殖産興業政策において、綿紡績業に対してどのように対処したのだろうか。棉から綿糸をつくる綿紡績業は、1877年に東京上野公園で開催された第1回内国勧業博覧会に臥雲辰致(がうんたつむね)が出品した綿紡機(ガラ紡機)が「本会第一」と評判となり、当時は特許法が制定されていなかった事もあり、各地に模造品が現れ大いに普及した。政府は愛知や広島に官営模範工場をつくるとともに、民間の政商に融資した。渋沢栄一は政府から融資を受けるとともに、華族の所有公債や大商人の出資により、1883年には蒸気機関で動く1万500錘の紡績機械を英国から輸入し、日本初の採算のとれる大紡績工場「大阪紡績会社」を大阪三軒家に設立したのである。86年以降は三重紡績なども続々と設けられ、90年の綿糸生産量は、輸入綿糸を超え、日清戦争後は中国向け輸出が激増し、97年には輸出量が輸入量を上回り、日本の産業革命の中核となった。しかし、この紡績業は製糸業とともに、年少の女工たちの低賃金で1日10数時間働かされる過酷な労働によって実行された。そして、大量の輸入艦船・機械類や外国人教師(官傭外国人・お雇い外国人)の外貨は、彼女たちにより賄われていたのである。単純に個人を英雄視したり美化すると、歴史を正しく理解できない。そして、渋沢栄一個人を賛美美化する歴史認識は、神聖天皇主権大日本帝国政府やそれに保護され政府を支えた政商や財閥などの側に偏った歴史認識であると言える。
(2021年3月12日投稿)