2023年5月5日の朝日新聞が「いちからわかる!節供って元々どんな日?」欄に、「太陰太陽暦(旧暦)から西洋式の太陽暦に切り替わるなどしたことから、明治政府は五節供を廃止した」と説明しているが、これは正しい説明とは言えないし、誤った歴史認識を植えつける事にもなる。
神聖天皇主権大日本帝国政府は、天皇を唯一最高の権力者及び神的権威としていただき、中央集権の官僚制度と国民皆兵による常備兵制度とを整備し、全日本を統一的に支配する新しい国家のしくみである近代天皇制度を確立していった。
その際、臣民(国民)教化を目的に、国家神道思想・天皇崇拝に基づく祝祭日(三大節及び四大節)を制定し、江戸時代を通じて培われた来た祝日「五節供」をいわれのない「迷信」であるとして廃止したのである。
三大節とは、1月1日四方拝、2月11日紀元節(架空の神武天皇即位日)、11月3日天長節(天皇誕生日)。11月3日は後に明治節(明治天皇誕生日)とされ、天長節とは別のものとし「四大節」とした。
この政府の政策に対して、臣民(国民)はどのような反応を示したのか?小川為治『開花問答』初編、二編には、「……改暦(明治5年12月3日=6年1月1日)以来は五節供・盆などという大切な物日を廃し、天長節・紀元節などというわけもわからぬ日を祝うことでござる。4月8日はお釈迦様の誕生日、盆の16日は地獄の釜のふたの明く日というは、犬打つ童も知りております。紀元節や天長節の由来は、この旧平のごとき牛鍋を食う老爺というとも知りません。かかる世間の人の心にもなき日を祝せんとて、政府よりしいて赤丸を売る看板のごとき幟(日の丸)や提灯を出さするのは、なお聞こえぬ理屈でござる。元来祝日は世間の人の祝う料簡が寄り合いて祝う日なれば、世間の人の祝う料簡もなき日をしいて祝わしむるは最も無理なることと心得ます」とあり、臣民(国民)がこの政策を、いかに不愉快で迷惑千万なものとして受け止めていたのかを知る事ができる。
上記の四大節についてはアジア太平洋戦争の敗戦後、国民主権・基本的人権尊重を原則とする新憲法制定に伴い「廃止」に至った。
朝日新聞記者は、上記のようなところまで深みと広がりのある内容を掲載し、読者国民が歴史認識を培ううえで役立つような内容にする事に留意する必要があるだろう。でなければ今後、読者は減少するであろう。
(2023年5月7日投稿)