原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

サイゼで初デートはアリかナシか!??

2022年03月12日 | その他オピニオン
 私め原左都子が一番最初に「サイゼリア」へ行ったのはいつだったか? と今思い出してみるに。


 娘が3歳頃のことだっただろうか?
 イタリアンレストラン「サイゼリア」が、この世に出現した当初だったと記憶している。 
 (料理嫌いな原左都子故に)度々外食をする一家だったのだが、ある時亭主がその店舗へ家族を連れて行ってくれた。
 当時、私はこの「サイゼリア」がリーズナブル価格でイタリアンを提供していることを露知らずして、その店舗を訪れてみると。
 
 いやいや、一見れっきとしたイタリアンレストランだ。
 レストラン室内空間がゆったりして隣席が遠いし、テーブルは大きいし。 これ子連れには程よいレストラン、との印象だった。
 そして注文して出てくる料理や酒類も、問題なく美味しいではないか。 
 さて食事が終わってレジで会計をすると、何とも安価なこと!!

 よくできたレストランの印象を抱いたものだ。


 時が流れ我が子が大きくなった後も、私は一人での外食(昼食・夕食)時にこのサイゼリアを選択することは多かった。

 当時よく行ったのは、横浜・綱島のサイゼリア。 ここに我が賃貸運用物件があり、その退入室手続き処理等々の用件でオーナーとして出掛けた際に、何度か立ち寄った。
 その頃には“一人席”が充実していて、それはそれで寛げたものだ。

 あるいは、現在では自宅近くのサイゼリアに娘と二人でよく出掛けたものだが。
 残念ながらコロナ禍の影響で、ここ2年程は行っていない。



 さて、そのサイゼリアに関するネット情報を、今朝方発見した。 以下に、要約引用しよう。

 あえての「サイゼ初デート」で「女性の性格を見極める」という男性のあまりに緩慢な思考回路 


 数年前から、「初デートがサイゼリヤはアリか、ナシか?」
 ……という論争がネット上をたびたび賑わせている。
 説明するまでもないが、『サイゼ(リヤ)』とは、リーズナブルな価格でなかなかに美味しいイタリア料理を提供している、「庶民の味方」的な(チェーン系)飲食店の代表格とされるファミリーレストランのことである。ファミレスとはいえ、トラットリア調の内装やメニューを(ほぼ)忠実に再現しているため、「じゃあ、デートで使っても全然かまわないのでは…!?」みたいな問題提起がどこからか出てきて、今日(こんにち)の論争へと発展した……と推測できる。
「アリ派」の意見は、おおよそだと 「楽しく過ごせたら、どんな店でもOK!」
「かしこまった高級店だとかえって緊張してしまうけど、サイゼならリラックスして会話ができる」
「ぶっちゃけ“食”にはあまり興味がないので、そこそこの味だったらどこでもいい」
 ……といった論調であるが、なかには
「(初デート)サイゼで反応を見ることによって、金目当ての女性を排除できる」
……なんて風なことをおっしゃっている男性も散見する。本当に「サイゼ」で女性のそこらへんのことを見極めるのは可能なんだろうか? 正しいのか? (中略)
  もちろん、お金をケチる気なんぞさらさらなく、「自分が美味しいと何度もリピートしているやきとんやモツ煮込みやレバーのたたきを彼女にも食べてもらいたい」という単純でピュアな動機しか私にはなかった。もしかすると「あえて定番のデートコースを外し、穴場的な大衆店でアダルトなサプライズと余裕を演出する」程度の野心はあったのかもしれない。
 しかし、そんな私の独りよがりな目算はモノの見事に打ち砕かれ、彼女のご機嫌は右肩下がりにナナメっていくいっぽう……。トドメには、「ああいうお店も嫌いじゃないけど、初デートだからせっかくオシャレしてきたのに…」
 ……と、涙目で捨て台詞を残し、彼女は足早に去っていった。それ以降、彼女とは一度も連絡が取れていない。
 さて。この彼女がいわゆる「性格が悪い女性」だと思いますか? いやいや! 「せっかくの初デート」に向けて、それなりの前準備をしてくれた女性の “好意” を無神経にも踏みにじった私がすべて悪いのだ!! なにが「サプライズ」だ!? なにが「アダルトな余裕」だ!? むしろ、別れ間際に「デリケイトな乙女心」をきちんと “レクチャー” してくれたぶん、彼女は「誠実で親切な女性」なのではないか?
 ここまで語った私のトホホな例は「無神経」だっただけでまだマシ(?)だが、こうした一連のトリッキーなパターンを、相手が「高級なお店はイヤ!」と頑なにリクエストしていたならまだしも、確信犯的に、しかもよりによってサイゼ様を「女性の性格の見極め」に利用するのは、男性側の緩慢と傲慢以外の何物でもないのではなかろうか。その手のジャッジは、3回目や4回目のデートでも決して遅くはないのだから……。

 (以上、ネット情報を要約引用したもの。)




 最後に、原左都子の私見でまとめよう。

 ちょっと恋愛中の若い皆さん、くだらない議論はやめましょうよ。

 いや確かに経済バブル期に未だ独身だった私のデート場所とは。
 赤プリ等々プリンスホテルのフレンチレストラン・トリアノン、代官山の小川軒、帝国ホテルのレストラン、横浜ロチェスター等々だったものだが。


 サイゼリアの何が悪い!??

 あっ、そうそう。
 当時は居酒屋が急激に流行り始めた時代でもあり、「つぼ八」や「村さ来」「天狗」等々にもよく立ち寄ったものだ。

 私の場合、長き独身時代からバリバリの“料理嫌い”であった故に、相手が彼氏であろうが女友達であろうが、一人飯であろが、とにかく外食自体が嬉しかった。

 要するに、一貫して“何処で何を食べても飲んでもいい派”であったがために、特に彼氏どもにとっては私は扱いやすい女だったことだろう。 しかも何を飲んでも食べても喜んでいる私は、誰しもに愛されたことであろう。😜 
 それが幸いして、実に沢山の相手に外食へお誘い頂いたものだ。

 そうそう、屋台にも彼氏に連れられてよく行ったなあ。
 おでん屋、ラーメン屋、等々。 これなど独特の風情があるし、当時の特徴だった周囲の見知らぬ客とも一緒に盛り上がれるし、特別な楽しみがあったものだ。



 そろそろ表題テーマである、「サイゼで初デートはアリかナシか!??」の結論だが。

 原左都子としては、「大あり!!」と言っておこう。😁 😆 

 ただ女性の特質も千差万別だから、特に初デートの場合ははやり相手の女性の好みを尊重してあげる方が、その後の付き合いが上手くいくかもねえ。

 逆の立場で、私側から初デートの男をサイゼリアに連れて行って嫌われたとしても、それでいいなあ。

 そんなちんけな男、こちらから願い下げだぜ!😛 

プーチンは撤退する外国企業を接収するのだって?!?

2022年03月11日 | 時事論評
 先程、ネット上でみたロシア関連ニュースを以下に引用しよう。



 ロシア、撤退する外国企業を接収へ−5日以内の営業再開か売却迫る
2022/03/11 00:15

  (ブルームバーグ): ロシア政府は同国から撤退する外資系企業を接収、あるいは国有化する案を策定した。ロシアのウクライナ侵略を受けてイケアやマクドナルドなど外国企業の撤退が相次いでいる。
  ロシア経済発展省は外国人の持ち分が25%を超える撤退企業を一時的に管理下に置く方針を明らかにした。
  同案の下で、モスクワの裁判所が取締役会メンバーなどからの外部管理受け入れの要請を検討する。その後、資産と従業員を保護するための取り組みの一環として、外資系企業の株式を凍結する可能性がある。
  経済発展省の発表によると、外部管理にはVEB.RF(ロシア開発対外経済銀行)などが参加する可能性がある。企業の保有者は5日以内にロシアでの営業を再開するか、株式売却など他の選択肢を選ぶかを決めなければならないという。
     同措置は株主を含む経営陣がロシアの法律に反して事業活動の管理を事実上終了させた企業に適用されると経済発展省は説明。2月24日以降に経営陣がロシアを離れたり、資産を移転したりした企業も対象となる可能性があるとしている。
  発表によると、接収された企業は改めてパッケージ化され、3カ月後に競売で売却される可能性があり、新しい所有者は従業員の3分の2を維持し、1年間は営業を続ける必要がある。この措置はまだ承認されてはいない。



 原左都子の私見に入ろう。

 ロシアのウクライナ侵攻を受けて、イケアやマクドナルド等々の外国企業の撤退が相次いでいる現状。
 この情勢を、至って当然の成り行きと受け止めている私だ。
 あんな独裁者が一方的にウクライナ相手に戦争をしかけている国家で、いつまでも店舗を営業していられる場合ではなく、外資系企業の誰しもが撤退を強行するに決まっていよう。

 そうしたところ、このロシア側のやり口発表で、どっちがどう転ぶのだろうだろうか??

 未だロシア側発表の措置は承認されていないとは言えども。
 接収された企業は改めてパッケージ化され、3カ月後に競売で売却される可能性があり、新しい所有者は従業員の3分の2を維持し、1年間は営業を続ける必要がある、との発表内容。

 現在ロシアに進出している国際企業のほとんどが巨大規模であり、まさか、プーチンの手のひらで易々と転がされはしないだろうが。

 どうかロシア国民の利便性をも考慮しつつ、スマートな撤退が叶う事を祈るしかなさそうだ。 


ウクライナ大統領ゼレンスキー氏の善戦を祈る

2022年03月10日 | 時事論評
 昨日2022.03.09付朝日新聞夕刊「NEWSダイジェスト」より、「ゼレンスキー氏『最後まで戦う』」と題する記事を、以下に引用しよう。


 ウクライナのゼレンスキー大統領は8日、ビデオ中継を通じて英議会で演説した。  侵攻を続けるロシア軍に対し、「我々は降伏しない、負けない。海で空で最後まで戦う」と決意を語った。 民間人の犠牲が続く中、ウクライナの上空に飛行禁止区域を設定することも改めて求めた。
 ゼレンスキー氏は、13日目に入った侵攻を「私たちが始めた訳でもない戦争」と呼んだ上で、「それでも私たちは戦争を遂行しなければならない。ウクライナという国家を失いたくない。 ナチスが戦闘を始めた時、かつて皆さんが英国のために戦わなければならなかったのと同様に、国家を失いたくない」と訴えた。 「どんな犠牲を払っても戦い続ける」と強調した。
 ゼレンスキー氏は演説でロシアを「テロ国家」に認定すること、ウクライナの上空に飛行禁止区域が設定されるよう支援することを求めた。 ウクライナは飛行禁止区域を国際社会に求めてきたが、英国を含めた北太平洋条約機構(NATO)は応じていない。

 (以上、朝日新聞記事より引用したもの。)


 このゼレンスキー氏に関する別情報を、以下に紹介しよう。

 ロシア大統領 プーチン氏と対峙するのが、ウクライナのゼレンスキー大統領だ。
 ゼレンスキー氏は元コメディー俳優で、世相を鋭く笑いに変える芸風で人気者になった。「裸でギター」や「股間でピアノを弾く」といった宴会芸も得意で、15年にウクライナで放送されたドラマ「国民の僕(しもべ)」に出演。高校教師が大統領になって奮闘する役を演じた。
 そのドラマの脚本に合わせたかのように19年の大統領選に出馬すると、73%という高得票率で当選。ウクライナ政治に新風を吹き込んだ。
「ところが、大統領に就任してからは、ウクライナ政治の腐敗一掃の公約実現は難しく、経済も低調なまま。昨年には、国外の租税回避地(タックスヘイブン)の秘密企業に資産を移動させていたことが報道で発覚し、支持率が19%まで落ちました」(外務省関係者)
 日本国内でもゼレンスキー氏の評価は決していいものではなかった。ウクライナ侵攻前までは「政治は素人。何をやるかわからない」(官邸幹部)の声もあったほどだ。

 (以上、ゼレンスキー氏に関するネット上の“別情報”を引用したもの。)


 
 下のネット情報に関してだが、他の情報源からも同様のゼレンスキー氏に関する“マイナス情報”を見聞する機会は多い。


 ただ、原左都子の印象では。
 プーチン氏のウクライナ侵攻が始まって以降のゼレンスキー大統領に関しては、冒頭の朝日新聞記事のごとく、研ぎ澄まされた表情で果敢にプーチン氏相手に闘っていると評価できるのではなかろうか。

 いやもちろん、その状況は決して安易とは言えないどころか。
 プーチンは約束を破っては、ウクライナの核施設や小児病院等弱者施設への攻撃を日々激化させ、ウクライナ市民の死傷者は増え続けている。
 
 このプーチンの“汚な過ぎる手口”情報を見聞するにつけ、既に人間としての尋常性を失ってしまっているプーチンという人間の空恐ろしさを思い、心のやりどころの無さに怯える私だ。


 そのプーチンはとにもかくにも、いの一番にウクライナ大統領を自分の都合の良いロシア寄り人物に変えたいらしいのだが。

 NATOの状況を報道で見聞して私が思うには、どうやら加盟国は自国の危険を避けるのを第一義とする思惑であることに気付かされる。 
 それは当然であるのだろうが…

 何とか、ウクライナのゼレンスキー大統領の立場を慮る見方がこの国際政治社会に出現しないものだろうか??

 いつもTシャツ姿かつ真剣な面持ちでメディアに登場するゼレンスキー大統領が、周囲からの適切な支援を得つつ善戦を続行できることを、心より祈りたいものだ。


ロシアのウクライナ侵攻でプーチン氏は「両国の歴史的一体性」を強調するが…

2022年03月08日 | 時事論評
 (冒頭写真は、2022.03.07付 朝日新聞記事「ウクライナとロシア 歴史の実相は」より、両国周辺の地図を転載したもの。)


 当該記事より、ウクライナとロシア両国の「歴史的一体性」を強調するプーチン氏の姿勢に関する東京大学教授・松里公高氏による説明の一部を、以下に要約引用しよう。

 ウクライナとロシアを隔てる国境線はソ連時代にできたもの。 
 歴史的起源は、9~10世紀ごろに栄えた「ルーシ」にある。
 ムスリムが地中海の制海権を握る中、バルト海と黒海を結ぶ河川貿易路が成立した。 ウクライナを南北に流れるドニエプル川などの河川沿いにできた都市国家を公国と呼び、キエフ中心のその穏やかな連合体をルーシと呼ぶ。 この「キエフ・ルーシ」がコンスタンチノープル(現イスタンブール)を中心に栄えていたビザンツ(東ローマ)帝国から、後に東方正教となるキリスト今日を受け入れた。
 ルーシと生協の伝統をもつ「東スラブ人」を根っことするのが現在のロシア、ウクライナ、ベラルーシだ。
 13世紀にモンゴル人が侵入し、キエフ・ルーシの時代は終わる。
 その後東西ルーシが分かれ、モスクワなどが含まれる東ルーシは、今日のっロシアの起源となる。 西ルーシはウクライナやベラルーシに相当し、モンゴル衰退後はリトアニア大公国が拡大する。
 現在ロシア人が好きなのは、ウクライナやベラルーシは同根の兄弟だという主張だ。 一方でウクライナ側は、キエフ・ルーシはウクライナ国家の起源であり、その時点で、自民族の特性が成立しているとみる。 ベラルーシならば、リトアニア大公国の伝統を強調するだろう。
 歴史は互いのアイデンティティを正当化する源泉だ。 ただ、こうした歴史が大きな論争になったのは、1990年代のソ連崩壊と各国独立の時期だ。 いわば古くから歴史画ある方が偉いというような主張をする。 (中略)
 ちょうど300年後、ソ連共産党の指導者フルシチョフがクリミア半島を、ロシアからウクライナに割譲した。
 現在のウクライナは、ロシア領のほかに、ドイツやハンガリー領だった地域など、6つの地域区分ができる。 現在の動乱の説明としては対ロシアの関係をめぐるウクライナ東部と西部の地域対立があると言われるが、そんな単純な二分論では語れない複雑な歴史がある。 (中略)
 現在のプーチン大統領の主張とは、ソ連共産党が民族を創出したためにウクライナが分離したのはけしからん、との論理だ。 しかし、民族意識に基づいて今の国境線を変えたい、という主張は通らないし、戦争の理由にならない。 ソ連崩壊時に国際法上の原理に基づき、それまでの行政境界線を国境にして、15の連邦構成共和国のみ独立を承認したといういきさつがある。
 ただ、環黒海地域では、ウクライナ内のドンバス地域のように分離の動きが戦争につながりやすく、数々の非承認国を生んでいる。 欧州と中東のはざまでロシアやトルコが影響を及ぼし合い、欧州諸国のような主権国家の建設が困難に直面している状態だと言っていい。

 (以上、朝日新聞2022.03.07付記事を要約引用したもの。)



 ここで一旦、原左都子の私事に入らせていただくが。

 私は2度目の大学・大学院にて「経営法学修士」を取得すると同時に。
 高校・中学「商業」「社会」の教職免許を取得している。

 私が教職免許を取得した時代は、未だ「社会」が「地歴」「公民」に分かれていなかった時代背景だった。
 そのため「社会」の教職免許を取得していれば、原則として「地理」「歴史」も教えようと思えばそれが叶った頃だ。
 いえもちろん、その心得が無いに等しい私がそんな冒険はしないし、そのオファーも無くて命拾いだったものだ。
 参考だが、私が商業高校教員として就業した高校現場では商業科諸科目と並行して「現代社会」を受け持たせてもらい、この教科に関しては私なりに充実した授業を施せたと自負している。

 要するに、「社会」教職免許を取得しているにもかかわらず、「地理」「歴史」に関しては、さほど精通していない身ということだ。


 そんな私にとって、現在勃発してしまっているプーチン氏によるウクライナ侵攻の現実には、日々心が痛む思いだ。

 もう少しでもロシア及びその周辺情勢の歴史や地理関係に詳しければ、もっと詳細にその動向が掴め私なりの下手な論評が可能になるのに、と地団駄踏みつつこの情勢を日々見守っていた。
 
 そうしたところこの朝日新聞記事に出会い、私なりに「ウクライナとロシアの歴史」の実相を少しは鳥瞰できたか??、との気になれそうか。


 それにしてもだ。
 プーチン氏の主張である、「ソ連共産党が民族を創出したためウクライナが分離したのはけしからん!」とのこの論理はひとまず置いておくとしても。

 それがためにウクライナを執拗に攻撃し続け、核施設までにも狙いを定めて攻撃しているプーチン氏の怨念とは一体何なのか!!?

 ウクライナ人の犠牲者は子供たちにまで及び、生まれたての赤ちゃんが逃げ着いた他国の地下に避難せねばならない状況だ。


 人の怨念とは実に空恐ろしいものだが。

 これ程までのウクライナ人民の犠牲を伴って尚、プーチン氏の怨念の程が未だ収まらない状況を懸念してやまない。


すべての絵柄が異なる便箋

2022年03月07日 | 芸術
 (冒頭写真は、おしゃれ雑貨通販として著名な ©FELISSIMO製の “すべての絵柄が異なる便箋” の一部。)



 原左都子が一昔前に“手紙魔”だった事実を、本エッセイ集バックナンバーにて綴り公開している。


 昔の“手紙魔”とは手紙を書いて出す趣味と並行して、おそらく葉書・便箋・封筒等のコレクションにも励んだことであろう。

 私もその例外ではなく、小学生時代からそれに慈しみ。
 その後パソコンが普及して皆が手紙を綴らない時代に変遷して以降も、便箋・封筒類のコレクションを続けていた人種である。


 この©FELISSIMOコレクションは、その中でも至って異質だ。

 便箋・封筒類とは何十枚か同じ絵柄のものをまとめて販売しているのが通常で、それらももちろんのことコレクションした。

 ところが、この©FELISSIMOコレクションは、たしか全部で500枚の便箋の絵柄が全部異なる!! のが特徴だった。

 それに目を付けた私は、早速©FELISSIMOにて買い求めた。
 我が娘が2歳頃のことと記憶しているため、おそらく26年程前の話だが。


 到着後、これ程感激した通販物は無かったともいえよう!

 500枚全部をすぐさま確認したが、ほんとにほんとに500枚の便箋全ての絵柄が異なるのだ!!

 届いた当初は使用するのがもったいなく、その500枚を何度も眺めては悦に入っていた。

 その後、実際使用し始めて。

 時が流れ、昨日久々にこの“500枚便箋”を発見したところ。
 もう既に300枚程は使用済みだっただろうか。

 残りの便箋を眺めると、これが時の経過にかかわらず実に素晴らしい!

 そして、残りの便箋の一部を先程写真撮影したとのいきさつだ。



 手紙文化とは、メールの利便性とはまたまったく異質の情緒があるものだ。

 この絵柄には、あの人にこんな手紙を書いて送りたい。
 あの方には、この絵柄であの話を聞いてもらおうか??

 などと胸わくわくと便箋を選ぶ瞬間にも風情があり、ロマンが漂うものだ。😍 😉