OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ビートルズ本命盤の輝き

2010-12-06 15:54:10 | Beatles

■Ob-La-Di Ob-La-Da c/w While My Guital Gently Weeps
                       / The Beatles (Apple/ 東芝)

リアルタイムの我国において、ビートルズの人気が頂点に達していたのは、おそらく昭和41(1966)年の来日公演の頃だったと思います。

しかし翌年になって、当時としては難解の極みだった「Strawberry Fields Forever」が出たことにより、何か一般的な人気が冷め始めたように思うのですが、如何なもんでしょう? 少なくともリアルタイムで少年時代のサイケおやじは、ついていけないものを感じていました。

また同じ頃、我国の芸能界はGSブームが爆発し、そこに登場していくる幾多のバンドは明らかにビートルズを筆頭とした「歌えるエレキバンド」を模倣していましたから、つまりは身近なアイドルに浮気してしまった大勢の女性ファンが、ビートルズ熱を冷ましてしまった一因ようです。

ちなみにその頃のラジオでも、やっぱりメインはGS曲で、ビートルズはあまり流れなくなったなぁ……、という感慨もあるのです。

しかし、そんなブームの諸行無常の中で、久々にビートルズが一般的に復活したのが、本日ご紹介のシングル曲「オ・ブラ・デイ・オ・ブラ・ダ」でした。

これは説明不要、ビートルズが1968年晩秋に出した2枚組LP「ザ・ビートルズ」に収録されていたわけですが、その通称「ホワイトアルバム」は我国でも翌年1月に発売されながら、なんと4千円という無慈悲な価格でしたから、中高生あたりには、その全てを自分の物として楽しむ事は不可能に近かったのです。

しかも当然ながらマスコミは、その内容の良さを喧伝していながら、それでもラジオの洋楽番組では特集として、件の新作アルバムから数曲を流すのがやっとという有様でした。

ちなみに当時は未だ国営FM放送でアルバムを丸ごと放送するなんていう、太っ腹な番組は無かったと思いますし、それは確か昭和44(1969)年春頃のスタートだったと記憶しています。

ですから、ますますビートルズの新譜に対する欲求不満は精神衛生からも全く厄介な存在として、これじゃ~、ビートルズの人気が落ちるのも、さもありなん……。

なぁ~んて、不遜な事を悔しい気分で思っていたのですが……。

そんな時期にラジオを中心にヒットし始めたのが、この「オ・ブラ・デイ・オ・ブラ・ダ」という、ウキウキと楽しい名曲でした。

うっ、これはビートルズのっ!?

当時のサイケおやじは、未だ「ホワイトアルバム」を全て聴いたことが無かったにも拘らず、ラジオで数回は接していた、このハッピーな歌が好きになっていましたから、てっきりビートルズかと思ったのですが……。

今日では、それはマーマレイドというイギリスのポップスグループが演じたカパーだろうという推測が当然でしょう。しかしサイケおやじの記憶では、幾つものカパーバージョンが同時多発的に流行っていたように思います。

中でも特に印象深いのが、我国GSの人気バンドだったカーナビーツの日本語バージョンでしたねぇ~♪ それが、デズモンドとモリーを太郎と花子に置き換えた、下段掲載のシングルです♪♪~♪

そして、そんな流行があれば、残るは絶対にビートルズのオリジナルバージョンですから、ついに昭和44(1969)年春、堂々のシングルカットが実現したのです。

しかも、このシングル盤は様々な意味合いから、今日でも話題の1枚なんですよ。

まず世界中で我国が先駆けた独自のシングルカットであることは、嬉しさの極みでしょう。なにしろ問題の「ホワイトアルバム」は高価な2枚組でしたからねぇ。

当然ながら、シングル用マスターなんてものは世界中に存在していませんでしたから、これは日本へ送られていたコピーマスターから制作した所為で、恐らくはリアルタイムで初めてのステレオミックスのシングル盤になっているはずです。

さらに我国では、これが初めての「アップル」レーベル使用の1枚!

そのあたりの事情は「Hey Jude」の項にも書きましたが、まさに記念すべきコレクターズアイテムになっていると思います。

肝心の楽曲そのものについては、仕上がりの楽しさとは裏腹に、今日では当時のビートルズの人間関係の悪さを象徴する1曲と認定されるほどで、実際、イントロから強い印象を残すピアノは、ポールから何回もダメ出しされたジョンが、マジギレしてのヤケッパチで弾いたもんだとか、ジョージやリンゴ、あるいは現場の制作スタップも含めて、ポールの横暴さには辟易していたという証言が山のように残されているんですから、この明るく前向きな歌とは裏腹な事情には、いやはやなんとも……。

また問題児のポールは、この曲の印象的な「オブ・ラ・デイ・オブ・ラ・ダ」というフレーズをジャマイカ人のセッションミュージシャンから盗作(?)したとか、いろんな問題行動もあるようですが、それにしても、これほどリスナーやファンを素直に楽しい気分へと導く歌もないでしょう。

流石はビートルズっ!

既に述べたように、「ホワイトアルバム」を買えなかったサイケおやじは、それゆえに他人から何を言われようと、ど~しても、このシングル盤をゲットしようと固い決意で入手したわけですが、手元にやってきたレコードへ針を落したのは、B面の「マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス / While My Guital Gently Weeps」の方が先でした。

というのも、A面の「オブ・ラ・デイ・オブ・ラ・ダ」は耳に馴染み過ぎるほど好きになっていましたが、もう一方の「マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」はほとんど聴いた事が無く、しかし既に名曲名演という噂を耳にしていましたからねぇ~♪

これも今となっては説明不要だと思いますが、妙にアンニュイな気分にさせられる曲調とジャストミートしたジョージの音程が些か危ういボーカルの歌い回し、さらに素晴らしいアクセントというよりも、同等の主役を演じているエリック・クラプトンのギターソロ♪♪~♪

まさに泣いているギターの気分は、せつなさの極北でした。

ちなみに、ここでの参加ギタリストがエリック・クラプトンであるという真相は、何時の間にか知らされた情報ではありますが、既に当時は神様扱いだったギタリストがビートルズの助っ人を演じるというスーパーセッションには、震えるばかりです。

そしてミエミエの狙いが、ここまでズバッとストレートにキマッていながら、イヤミになっていないのは、万事が控えめだと思われていたジョージの人徳でしょうか。

とにかく「ホワイトアルバム」の収録作品中、ダントツの完成度を極めた名曲名演であることは否定出来ないでしょう。

そしてA面の何も考える必要の無い幸せ気分の歌とは正逆の、まさにB面に収録されるに相応しく、また勿体無い贅沢なシングル盤の構成には万歳三唱♪♪~♪

ということで、やはり「本命盤」とジャケットに堂々の記載があることに嘘偽りはありません。

時代的には永遠の名曲「Hey Jude」に続くシングルヒットとされる我だけの事情ではありますが、実は「オ・ブラ・デイ・オ・ブラ・ダ」の方がさらに世間には馴染んでいたように思います。

最近の暗い年末事情には、こういうノーテンキ直前のハッピーソングが求められるのかもしれませんね。

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ビートルズのブート金字塔

2010-12-02 15:23:14 | Beatles

■Ultra Rare Trax 2010 Remaster Vol.1 (TSP / IMP)


ビートルズの海賊盤史上、最もインパクトが強かったブツの中でも、1988年に初出した「ウルトラ・レア・トラックス Vol.1 (掲載ジャケ・下)」は特に大きな衝撃でした。

それはスタジオ録音のアウトテイク集で、しかもCD優先の発売であった事から、正規盤と遜色の無い優良な音質で、これまで聴いたことの無かったビートルズが楽しめたのです。

これは当時、西ドイツにあったとされる The Swing'in Pig = TSP という、ブートでは名門の業者が出した自信作として、その内容の良さもありましたから、忽ち世界中で評判を呼び、売れまくったのは記憶に新しいところです。

なにしろマニアックな音楽雑誌ばかりではなく、欧米では一般新聞の特集記事になるほどの騒ぎでしたし、ブートでありながら普通のレコードショップで堂々と販売されるという実態は、ひとつの事件でもありました。

それは我国でも同様で、ブート屋はもちろんのこと、大手輸入盤屋でも正規盤と同じコーナーで売っていたんですよねぇ~♪

そして同社は続けて「Vol.2」から「Vol.6」まで、シリーズ化してビートルズのアウトテイクを出し、これに他の業者がコピー物を含めて参入したことから、一時は低迷していたブート業界が息を吹き返し、さらに本家のEMIが例の「アンソロジー」シリーズを出す契機になった事実は否定出来ません。

ちなみにソースとなった流出音源の出所は、どう考えてもEMI本社のテープ保管庫しかありえないという結論から、犯人探しとして各方面の関係者が取り沙汰されましたが、未だに真相は不明です。

しかし、こういう違法行為も、実は後の歴史の中では結果オーライというか、それによってファンが喜び、またビートルズ側がレコード会社も含めて、新しい金脈を自らの手で運営管理出来るようになったのですから、世の中は一寸先は闇とばかりは言えないでしょう。

さて、その大ヒットブート「ウルトラ・レア・トラックス」が、ついにというか、恒例のリマスターによって再発されたのが本日ご紹介で、実は1988年に出た最初のシリーズの元ネタとなった6本のマスターリール等を再検証したのでしょうか、そのあたりの事情も含めて、本当に価値のある音源だけを3枚のCDに纏め、ボックスセットにした中から、とりあえず最初の「Vol.1 (掲載ジャケ・上)」を取り上げる事に致します。

 01 I Saw Her Standing There (take 2 / 1963年2月11日録音 / stereo)
 02 One After 909 (take 2 / 1963年3月5日録音 / stereo)
 03 She's A Woman (take 2 / 1964年10月8日録音 / stereo)
 04 I'm Looking Through You (take 1 / 1965年10月24日録音 / stereo)
 05 If You've Got Trouble (1965年2月28日録音 / stereo)
 06 How Do You Do It (1962年9月4日録音 / mono)
 07 Penny Lane (1966年12月29日録音 / mono)
 08 Strawberry Fields Forever (1966年11月28日録音 / stereo)
 09 From Me To You (1963年3月5日録音 /stereo)
 10 Besame Mouho (1962年6月6日録音 /mono)
 11 The Fool On The Hill (1967年9月6日録音 /stereo)
 12 Paperback Writer (1966年4月14日録音 /stereo)

以上の12曲が、初出の「ウルトラ・レア・トラックス Vol.1」に収録されていたものですが、今日のCDの状況を鑑みれば、明らかに収録の曲数が少ないと思う他はありません。

しかし実は、この時には当然ながらというか、アナログ盤も同時発売された事情がありますから、これはこれで商売上の方針として認めざるを得ないでしょうし、リアルタイムでは、既に述べたように内容の衝撃的な素晴らしさから、サイケおやじも含めた大勢のファンは、充分に満足だったんですよっ!

で、肝心の演目については、「Besame Mouho」「How Do You Do It」が後に出た公式盤「アンソロジー 1」に収録されたバージョンと同じですが、音質的には、このリマスターブートの方が迫力のある仕上がりなんですねぇ~♪

ちなみに、その点は初出当時からも言われていたことで、リアルタイムで世に出たばかりの公式盤CDよりもブートの方が高音質という事実には、本当に驚かされたものです。

その意味では「If You've Got Trouble」もテイクそのものは公式盤「アンソロジー 2」に収録された音源と概ねは同一なんですが、こちらではステレオミックスそのものが異なり、極めてモノラルに近いミックスから音圧の高い仕上がりにリマスターされ、これが強烈にR&Rな印象になっています。

そして残りのトラックは、未だに公式バージョンが出ておらず、つまりは珍しくも素晴らしい「お宝」ばかりというところに、このブートの真の価値があるのです。もちろんステレオ&モノラルのミックスが異なっていることも要注意でしょう。

例えば明らかに失敗テイクの「I Saw Her Standing There」にしても、ノリの良さは公式完成テイクよりも素晴らしいほどですし、意想外に粘っこい仕上がりになっている「One After 909」や完成直前のラフな感じが結果オーライの「From Me To You」、さらに試行錯誤も好ましい「She's A Woman」や「I'm Looking Through You」で滲むスタジオでの緊張と緩和の雰囲気良さは、ファンならずとも、思わずニヤリの楽しみだと思います。

そのあたりを個人的に一番楽しめたのが、これぞライプ感覚の「Paperback Writer」で、リードボーカル&コーラスの生々しさが、ドライブする例のエレキベースにビシバシのドラムス共々、ほとんど隠れ名演ですよ。しかも部分的に妙なテープ編集のミスが散見されるという、マニア泣かせの結果オーライ♪♪~♪

しかし、これがサイケデリック期ど真ん中の曲になると、決して一筋縄ではいきません、

「Penny Lane」や「Strawberry Fields Forever」は、ほとんど出来上がっているとはいえ、モノラル&ステレオのミックスが公式バージョンとは完全に異なる部分が多々ありますし、なによりもダビングされたパートや編集作業、そしてミックスダウンそのものの迷い道が面白く聴けると思います。

ですから、ほとんどポールのピアノによる弾き語りで演じられる「The Fool On The Hill」の力強く、シンプルな味わいが愛おしいですねぇ~♪ これだから、ブートはやめられないのです。

 13 I Saw Her Standing There (take 2 / 1963年2月11日録音 / stereo)
 14 There's A Place (take 3)
 15 There's A Place (take 4)
 16 How Do You Do It (1962年9月4日録音 / mono)
 17 Leave My Kitten Alone
 18 One After 909
(take 2 / 1963年3月5日録音 / stereo)
 19 Misery (take 1)

上記の収録トラックは、今回のリマスター再発のボーナスというか、この「ウルトラ・レア・トラックス」が存在するネタばらしという側面からの援護射撃!? 「Reel #1」とジャケットにクレジットされた事から、これが流出したオリジナルソースの最初の1巻をそのまんま、今回リマスターして収めたという趣旨になっています。

ですから、「I Saw Her Standing There」や「How Do You Do It」、さらに「One After 909」がダブり収録なんですが……。

しかし「There's A Place」の2テイク、「Leave My Kitten Alone」、そして「Misery」は続篇となった同シリーズ「Vol.2」に収録され、またまた世界中のファンを歓喜驚愕させる流出バージョンですから、そのリマスター盤も入手してしまえば、これもまたダブリとなるわけですが、まあ、いいか!?▼? とりあず、その元ネタの源流を楽しむという意味では、それなりの意義があろうかと思います。

ということで、繰り返しますが、今も昔も貴重で楽しいブートです。

ちなみに今回のリマスター再発盤は既に述べたとおり、特製の箱に収納された3枚組のセット(下段掲載)がメインで、その3枚目にはオリジナルの「ウルトラ・レア・トラックス」に必ずしも使われなかった音源も入っているのが、巧みなミソかもしれません。

というのも、既に述べたように、このシリーズが大ヒットしてしまった所為により、同業他社が似たような企画のブツを相次いで世に出し、それに伴っての音源流出の更なる増加はまだしも、意図的に業者がフェイクした音源やテレビ&ラジオ出演時のソースまでもが、再利用されるという水増し商品が出回るという始末でした。

ですから元祖「ウルトラ・レア・トラックス」のシリーズにしても、実質的には「Vol.3」あたりまでが本当に価値のあるブツだと、サイケおやじは思っています。

このあたりについては追々、拙ブログで書いていく所存ですが、今回の再発リマスター盤は箱組セットの他にバラ売りもありますので、まずはここからビートルズのブートに入門されるのも素敵な出来事になろうかと思う次第です。

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あの日の屋上は再現出来るか!?

2010-11-28 15:48:15 | Beatles

Get Back c/w Don't Let Me Down / Beatles (Apple / 東芝)

今年もまた、ジョン・レノンを聴くのが辛い季節になりましたですね……。

あの悲劇から、既に30年も経っているのに、自分の中では拭いきれないものが未だにあります。

しかし現実を認識しないとなぁ……。

という気持からだけではないんですが、実は再開したおやじバンドで、ビートルズをやることになり、しかも今回は諸事情からベースを担当するので連日連夜、練習を重ねています。

しかも演目が、あの映画「レット・イット・ビー」でクライマックスとなった通称ルーフトップセッションの再現という、なかなか大それた企画なんですから、額に汗が滲みます。

ちなみにおやじバンドの出演は某クリスマスイベントを予定していますから、時期的にビートルズが屋上で演じた冬のイメージをリアルタイムで感じてもらおうという目論見は言わずもがな、もしかしたら屋上は無理でも、大きなビニールハウスの中でやろうっ!?!

なぁ~んていう、無謀なアイディアまで出ている始末なんですが、どうなることやら……。

さて、そんな事から、本日の1枚は当然ながらビートルズの関連シングル盤を出してきました。

発売されたのは1969年4月で、それは英国先行でしたが、我国でも同年の6月にはレコード屋の店頭に並び、もちろん世界中で大ヒットしています。

そこまでの経緯については「The Beatles / Let It Be の謎」をご覧いただきたいのですが、結果的にレコーディングセッションの成果が曖昧であったにしろ、新曲の発売を求めるマネージメントやレコード会社の思惑が優先し、このカップリングのシングル盤が世に出たのです。

肝心の楽曲については説明不要かと思いますが、ここに収められた「Get Back」は決して屋上で演じられたテイクでは無く、同時期にアップルスタジオで演奏された幾つかのテイクを混ぜ合わせて作られたものですから、後にアルバム「レット・イット・ビー」に収録されたバージョンとも、決定的に異なるものです。

しかし「Don't Let Me Down」は、明らかに映画で観ることが出来たバージョンをメインにし、そこにスタジオでの手直しを入れたものでしょう。

まあ、そのあたりの瑣末な事情は別にして、生演奏を主体としたビートルズのノリの良さは、やはり格別♪♪~♪

映画でも感じられた事ですが、メンバー各々の気持は既にバラバラでも、実際の演奏になれば、そこは下積み時代から苦楽を共にした仲間意識とミュージシャン魂の発露とも言うべき自然体のR&Rグルーヴが全開していると思います。

そして実際に演じてみると、当然ながら、そうしたノリを出すのは容易なことではありません。

特にリンゴのドラミングに顕著なダイナミックなビート感は素晴らしすぎますねぇ。

さらにポールのペースがコピーするには本当に難しい! 中でも「Don't Let Me Down」や「I've Got A Feeling」は至難の技ですよっ!

もちろん、そのリズム隊に一体化して歌い、ギターをかき鳴らすジョンの大らかでタイトなロック魂と意外にも繊細な味わいを醸し出すジョージのギターも良い感じ♪♪~♪

このあたりはブートも含めた音源や映像に接するほど、深い感銘に心が震えるばかりです。

ちなみに無謀な挑戦を試みている演目は以下のとおりなんですが、一応のプログラムも当時のビートルズがやったものに準じるつもり……。

 Get Back
 Don't Let Me Down
 I've Got A Feeling
 One After 909
 Dig A Pony
 Get Back (reprise)

ということで、聴いても、演じても、やっぱりビートルズは凄くて、気持E~~♪

今日も、これから、練習に行ってきますっ!

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9月になれば、ヘイ・ジュード

2010-09-10 16:56:09 | Beatles

Hey Jude c/w Revolition / The Beatles (Apple / 東芝)

毎年、この時期になると、幾分ホロ苦い気分で思い出す歌があります。

それが本日ご紹介の「Hey Jude」で、言わずと知れたビートルズの超有名曲! そして彼等自らが設立したアップルレコード初のシングル盤として、もちろん世界中でメガヒットを記録し、今日では堂々のスタンダードになっていますが、ジョンとポールの絆がギリギリで切れていないことでも歴史に残るものでしょう。

発売されたのは欧米が1968年8月末、そして我国ではちょいと遅れての9月14日だった事も、鮮明に覚えています。

というのも、この昭和43(1968)年当時のビートルズ人気は、我国においても落ち着いた感じになり、2年前の来日公演をピークとした嵐のようなブームは去っていましたし、肝心のレコードそのものが、なかなか新曲も出ないという状況でした。

そして何よりも例の「サージェント・ペパーズ」や「マジカル・ミステリー・ツアー」の混濁したサイケデリックサウンドが、それまでのミーハー的な人気に終止符を打っていたように思いますが、実際、リアルタイムで洋楽ファンの女の子が夢中になっていたのはウォーカー・ブラザースモンキーズであり、野郎どもはニューロックやハードロックの世界に耽溺しつつあったのです。

さらにビートルズがこの前に出したシングルヒットの「Lady Madonna」が、今となってはR&Rリバイバルの先駆けと評価もされながらも、リアルタイムでは時代とのズレがあったことは確か……。

ですからサイケおやじも苦しい小遣い状況の中では、ストーンズの「Jumpin' Jack Flash」を買ってしまい、例の事件に繋がるほどだったのです。

そして以降は、優等生への反発からストーンズ命の世界に入るわけですが、さりとてビートルズが嫌いになれるわけもなく、ついに待望の新曲が出るという情報には密かな喜びを抑えきれませんでした。

しかし最初にラジオで聴いた「Hey Jude」には、仰天して???の気分になりましたですねぇ。

実はサイケおやじがそこで接したのは、曲の後半部分、つまりラ~ララ、ラララッラァ~の延々と続くコーラスパートだったのです。

ご存じのとおり、「Hey Jude」はシングル曲にしては7分超の長さがあって、しかも半分以上は、問題の繰り返しコーラスのパートになっていますから、そこだけを3分ほど聴いていれば、当時の常識から、これが歌と演奏の全て!? と思い込まされても不思議はないでしょう。

もちろん時折入ってくるポールのシャウトは確認出来ますが、このコーラスだけのところは本当にビートルズが演じているのか、当時は謎に包まれていたというわけです。

ちなみに今では明らかになっていますが、そのコーラスパートを主に歌っていたのは、集められたオーケストラのメンバーでしたから、あながちの違和感も当然でした。

しかもこの時は、サイケおやじが初体験の「Hey Jude」に対し、ラジオのDJだった糸居五郎が、ウ~ン、サイコ~♪ なぁ~て言ったんですから、完全に取り残された気分に満たされましたですねぇ……。

ところが同じ番組内で続けて流されたB面曲「Revolition」には、溜飲が下がりました!

如何にもジョンらしいヒネリの効いたハードロックで、しかもビートルズならではのポップなフィーリングがパワフルに演じられていたのですから、たまりません。

当然ながら、この時点では、どうして「Hey Jude」がA面扱いなのか理解不能でした。

以上は、今となっての笑い話です。

サイケおやじにしても、直ぐに「Hey Jude」の最高にハートウォームなポップソングの真相に遭遇し、忽ち魅せられたのは言わずもがな、B面収録の「Revolition」も最高だったことから、速攻でこのシングル盤をゲットする覚悟を決めたのです。

しかし待ちに待った9月14日になってもサイケおやじには肝心のお金が無く、それでも母親を騙して何んとか金策出来た数日後、手にしたこのシングル盤のありがたさは決して忘れません。

ところが好事魔多し!

なんとレコードを買っている現場を今や天敵となった優等生のガールフレンドに見つかり、「どうしたのぉ? ビートルズは嫌いなったんじゃないのぉ~♪」と、実に皮肉たっぷりに痛いところを突かれ、グウの音も出ませんでした……。

そして以降、またまたクラス内では反主流的な立場が強まるのですが、そこで優しいポールの歌が心に染みたのは言わずもがなでしょう。

それはジョンとシンシアの不仲によって落ち込むジュリアンを励ますために、ポールが意図的に作った応援歌という内容があるにしろ、どうしたんだい、落ち込んじゃって? と語りかけるように歌うポールは、流石に上手いと思います。

ちなみにサイケおやじが洋楽曲の歌詞を自分なりに調べて訳すようになったのは中学に入ってからですが、ビートルズにしても相当に他愛無いと知った初期、あるいは意味不明の言葉が多い中期の歌に比べ、この「Hey Jude」はシンプルにして暖かく、本当に当時の自分にはジャストミートでした。

ということで、人生には応援歌も必要というのが、本日の結論です。

最後になりましたが、冒頭で述べたように、このシングル盤はアップルレコードからの第一弾という事ながら、東芝からの日本盤には依然として「Odeon」のレーベルが使われている謎について、なんと両社の契約は年末だったという事情があったようです。

このあたりが今となってはマニアックな部分として、「Odeon」と「Apple」の両方のレーベルを集めるのが本筋とされていますが、なんか罪作りですよねぇ……。

そしてサイケおやじとしては、楽曲の方に思い入れが強いシングル盤なのでした。

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ジョンを聴くのに勇気はいるか?

2010-08-05 16:58:42 | Beatles

Power To The People / John Lennon (Apple / 東芝)

さてさて、猛暑の中で尚更に熱く、目眩がしそうなジョン・レノンの11枚組CDボックスの話題は、これ如何に!?

またしても「最新」をウリにした旧作音源&ソロアルバムのリマスターに加え、数曲の未発表テイク&バージョンが入るというのですから、穏やかではありません。

しかも完全限定!?

と言われれば、自分のような者は買うしかない状況追い込まれるんですよねぇ……。

ちなみにジョン・レノン関連の未発表音源集としては、以前にアンソロジー箱が出て、所謂ホームレコーディングとされるデモ音源、あるいは公式楽曲のミックス違いやアウトテイクが纏められたはずなのに、まだまだこんな出し惜しみが残されているんですから、もう、絶句する他はありません。

一説によれば、ビートルズ関連の音源は、この先の百年ほど後まで、そのリリース計画が出来上がっているらしいので、ジョン・レノンについても、同様かもしれないのです。また、オノ・ヨーコが膨大なそれらの未発表音源を私蔵しているのは周知の事実!

結局、自分が生きている間には、その全てを聴くことが出来ないという未練が残ります。

しかし、こうした企画ボックス物の購買層は、はっきり言えば中年者以上が大半でしょう。

実は告白するとジョン・レノン、あるいはビートルズに限らず、例えばザ・フーの「マイ・ジェネレーション」、キング・クリムゾンの「宮殿」、そしてストーンズの「ならず者」等々のサービス過剰気味の箱物をしっかりゲットしているサイケおやじは、そのシールドを破ることが出来ません。

なにしろ中身は知り過ぎるほどに聴きまくったものばかりですし、リマスターや新発掘音源とされるメーカー側のウリにも、ウンザリ……。

ただ、それでも、持っていないと安心出来ないという精神衛生上の問題が大きくて、お金を払ってしまうんですよね。

さらにいけないのは、それでも少~しは中身を本当に聴きたいという欲望もありますから、ストーンズの「ならず者」なんか、通常盤CDを買ってしまうという情けなさです。

このあたりは周辺からみれば、本当の愚か者でしょう、サイケおやじは!

もう、自嘲することも憚られる行動だと思います。

それは「聴く」よりも「所有する」の比重が大きいという、なんとも哀しい学習行為……。

しかし、そんなサイケおやじだって、純粋に音楽を聴きたくてレコードを買っていた時期が確かにあって、本日ご紹介のシングル盤はビートルズの解散騒動に揺れながら、メンバー各人がソロ活動に邁進していた頃、ジョン・レノンがプラスティック・オノ・バンドを率いて昭和46(1971)年春に発売したガチンコのアジテーションロック!

ちなみにB面はオノ・ヨーコの作品なんで割愛しますが、それでもちゃ~んとジョン・レノンがギターで参加していますし、なによりも当時はシングル盤オンリーの楽曲として、これを買わなければ聴くことが出来なかったのです。

いや、シングル盤オンリーなんていう言い訳以前に、とにかくジョン・レノンの歌を聴きたいというストレートな欲望がありましたですね。

あぁ、あの頃のイノセントな情熱が懐かしいなぁ。

と、猛暑の中でジョン・レノンから勇気を頂戴したいと切望するのでした。

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ポールのウイングスな意地っ張り

2010-06-24 16:39:50 | Beatles

Band On The Run / Paul McCartney & Wings (Capitol)

ポール・マッカートニーという偉大な音楽家の芸歴を振り返ると、ウイングスを率いていた1970年代は「意地っ張り期」というのが、サイケおやじの分類になっています。

まあ、これも毎度お馴染みの独断と偏見として、皆様は失笑と噴飯でしょう。

しかし結論から言えば、その時期のポールは明らかにビートルズとは違った自分だけの個性を追求するべく奮闘していたのであり、つまりはビートルズっぽさを意図的に封印していたと思うのです。

そのあたりがビートルズ以来の頑なファンを落胆させ、実際にウイングス名義で出される諸作がイマイチどころか、子供向け!? とさえ酷評されたことは決して局地的ではありませんでした。

それはビートルズの仲間だったジョンにしても、またジョージやリンゴにしても、各々が発表する楽曲が例の「ホワイト・アルバム」の延長にあるような個人的音楽性をそれほど変えていないことに比較して、ポールはあえてウイングスという自分の思い通りになるバンドまで結成し、ビートルズを捨て去る方向へとシフトしたが如き活動を……。

ですから、ウイングス名義の最初のアルバム「ワイルドライフ」が急造という側面はあったにしろ、その未完成と言うのも憚られる駄作のレッテルを貼られ、続く「レッド・ローズ・スピードウェイ」にしても、その発売当初は決して評判の良いものではありませんでした。

しかし同時期に発表していたシングル曲、例えば「Hi Hi Hi」や「My Love」等々の分かり易いポップロックなフィーリングは捨て難く、当然ながら大ヒットしていましたから、本日ご紹介のアルバムも新作として登場する以前から、相当な話題になっていました。

それは単に音楽性だけではなく、レコーディングがアフリカで行われていること、またウイングスが解散状態となり、現実の演奏はボールと子分のデニー・レインが中心となっていること等々!?

実はこの情報を知り得た当時のサイケおやじは、もしかして最初のソロアルバム「マッカートニー」のような、ほとんどデモテープと大差の無いチープなもの? という悪い予感に満たされていました。

ところが先行シングルとして1973年秋に出た「愛しのヘレン」の爽快さ、そしてついに同年末に姿を現したこのアルバムは、今に至るもウイングス名義では最高レベルの傑作だったのです。

 A-1 Band On The Run
 A-2 Jet
 A-3 Bluebird
 A-4 Mrs. Vandebilt
 A-5 Let Me Roll It
 B-1 Mamunia
 B-2 No Words
 B-3 Helen Wheels / 愛しのヘレン
 B-4 Pecasso's Last Words
 B-5 Ninteen Hundred And Eighty Five

まず、お断りしておきたいのは、掲載した私有LPはオリジナルのイギリス盤とは異なり、B面に「愛しのヘレン」が入ったアメリカ盤ということです。

実は前述した「愛しのヘレン」のシングル盤が我国で発売されたのは昭和48(1973)年12月20日のことでしたが、楽曲そのものは待望の新曲扱いとして、既に11月末頃からラジオで流れていました。

ですからサイケおやじが翌年の正月早々に某デパートで開催された輸入盤セールで、この未だ日本では出ていない新作アルバム「バンド・オン・ザ・ラン」を勇んでゲットしたのは、神様の思し召しでした。なにしろ日本盤が出たのは、それより更に遅れた2月初旬でしたからねぇ。もちろんその時点でイギリス盤は見たことありませんでしたから、「愛しのヘレン」は入っていて当然というのが、今に至るもサイケおやじの強い思い込みになっているのです。

さて、肝心の中身は説明不要と思いますが、とにかくA面ド頭の「Band On The Run」から「Jet」というドラマチックな二連発、さらに続く和みの「Bluebird」という流れが、楽曲の充実もあって、抜群です。特に「Bluebird」は、まさにポールでなければ書けないメロディと歌いまくりのベースワークが良い感じ♪ また既に述べたように、このアルバムのレコーディングセッションは基本的にボール(vo,g,b,ds,key) とデニー・レイン(g,b,key,vo) だけで行われ、ポールの当時の愛妻だったリンダ(vo,key) は、失礼ながら、まあ、そこに居るだけという役割でしたから、「Band On The Run」や「Jet」で聴かれる多重層的なメロディの繋がりや各種楽器の使い方は、緻密なオーバーダビングや熟練したテープ編集の魔法によるものというプロデュースが見事過ぎます。

特に幾つもの小さなメロディを継ぎ接ぎし、ひとつの曲に仕立て上げる手法は、ビートルズ時代の「アビーロード」のB面から連綿と受け継がれたポールならではの十八番ですが、それがこの時期、例えばこのアルバムより以前に出したシングル曲の007映画主題歌「死ぬのは奴らだ / Live And Let Die」、そしてここに収録された「Band On The Run」や「Pecasso's Last Words」で、相当な境地にまで到達しています。特に「Pecasso's Last Words」はアルバム収録曲の様々なパーツをモザイクのように用いた目論見があり、それゆえにB面ラス前という絶妙の位置付けがニクイばかり!

しかし、そうした部分が逆にビートルズ以来のファンの心理を逆なでしていることも、また事実で、あざとさばかりが目立っていることは否定出来ません。極言すれば分かり易さと裏腹のカッコ悪さがあるんじゃないでしょうか。

今日の歴史では、折しもビートルズで同僚だったリンゴが友人関係を総動員した珠玉のポップスアルバム「リンゴ」を、またジョンは人生の機微と夢を綴った傑作盤「ヌートピア宣言」を同時期に発売していますし、ジョージにしても、それに先駆けてソフト&メロウと精神世界の安逸を見事にリンクさせた「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」をヒットさせていましたから、ポールにしても当時は尚更に負けん気が強かったでしょう。

率先してビートルズを辞めた自分は、もう後戻りは出来ないという意地、それでもビートルズを牽引していたのも、また自分というプライドが確かにあったと思います。

それゆえに他の3人がやっていなかったバンド形態に拘ったのも充分に納得出来るのですが、結果的に結成したウイングスはポールのワンマンバンドであり、ビートルズが存在していたリアルタイムからのファンにとっては、共に歳月を積み重ねた分だけ、それは子供向け……。

ですから、この秀逸なアルバムも最初はそれほど勢い良く売れたわけではないようです。

しかしLP収録曲を積極的にシングルカットし、先行した「愛しのヘレン」から「Jet」、そして「Band On The Run」を3連続大ヒットさせたことにより、アルバムもロングセラーとなり、ビートルズ活動停止後のメンバーのソロ作品中では、この時点で最高の売り上げを記録し、ついにはグラミー賞まで獲得するのです。

客観的に聴けば、この「バンド・オン・ザ・ラン」は最高のポップスアルバムのひとつでしょうが、何故か「1970年代ロックの名盤」として認知されることは、未だに無いと思います。

実は告白すると当時、私は周囲の仲間に「このアルバム、良いよねぇ~♪」とか言ったが為に、「おまえ、まだ、そんなの聴いてんの!?」と完全に呆れられた過去があります。

結局、ポールはジョンのような社会を先導する立場にもなれず、ジョージのように内省的な精神性を逆手にとることも出来ず、あるいはリンゴのようなフレンドリーなタレント性も周囲が許しませんから、必然的にプロ意識の強さが金儲け主義と受け取られる損な役割を引き受けてしまったんじゃないでしょうか……。

人類の歴史の中で、この先もポールは偉大な作曲家という地位は揺るぐはずもありませんが、さて、それでは残されたビートルズ以外のレコードは? という問いが、常につきまとう宿命も携えています。

そんなところからでしょうか、1976年頃からウイングスのライプステージでは、ついにビートルズ時代の歌を自ら解禁し、近年では伝統芸能としてのビートルズに邁進するポールの姿が居直りどころか、なにやらせつないものに感じられます。

おいおい、「バンド・オン・ザ・ラン」を出していた頃の意地っ張りは、どうしたんですか?

なんていう些か無礼な質問をしたくなるほどなんですよ……。

もちろんサイケおやじにしても、近年のポールの懐メロライプには、やっぱり嬉しいものを否定致しません。

しかし時折、この当時のレコードを取り出して聴いてみると、ポールならではのツッパリが妙に心地良かったりするのです。

最後になりましたが、このアルバムの如何にもロックな音作りは、ビートルズ時代からのエンジニアだったジェフ・エメリックの手腕であり、なぁ~んだ、結局はポールってビートルズから離れられないのねぇ~♪ と目が覚めてしまうんですが、そこに普遍性が強く打ち出されていることを付記しておきます。

そして個人的にはB面のアコースティックな「Mamunia」や夢見るような「No Words」におけるコーラスワーク全開のハートウォームなトラックから、アメリカ盤だけの「愛しのヘレン」へと続く流れが好きでたまらないのでした。

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ジョン・レノンの告白

2010-05-31 17:14:59 | Beatles

Mother c/w Why / John Lennon (Apple / 東芝)

ジョン・レノンは間違いなく歴史を変えた偉人ですし、天才的な音楽家&思想家だと思いますが、決して神様ではなく、とても人間の本質に正直なロックンローラー!

ですから個人的に一番驚いたのは、ビートルズの分裂騒動に関して、渦中のジョンその人が、精神的に不安定となり、治療を受けていたという現実です。

う~ん、皮肉屋で時には意地悪、さらにはバカ正直な純情男のジョンが、なぁ……。

もっと強い人かと思っていたんですよ。

しかし、そういう事実を知ったのは、もちろん決してリアルタイムではありません。

そして当時の私が聴いていた、ジョンの初めての本格的なソロアルバムといって異論のない「ジョンの魂 / John Lennon Plastic Ono Band」は、シンプルで力強いサウンドに支えられた赤裸々な歌詞が、何故そうなのか? 本当に理解の範疇を超えていたところにも共鳴してくるのです。

ちなみに問題の「ジョンの魂」の英米発売は1970年12月11日、我国では少し遅れて翌年の2月に出ていますから、ジョージの金字塔3枚組LP「オール・シングス・マスト・パス」と同時期の人気盤でしたが、当然ながら若き日のサイケおやじは買えず、友人から借りての鑑賞……。

そこでなんとかゲット出来たのが、中古でしたが、本日ご紹介のシングル盤でした。

A面収録の「Mother」は、前述「ジョンの魂」でも冒頭に置かれた強い印象の名曲名唱として、実に悲痛な響きがハードに歌われています。

ご存じのようにジョンは幼い頃に両親に捨てられ、後に母親と再会するものの、17歳の時に死別していますから、少年時代は物心両面で決して恵まれた環境ではなかったでしょう。そんな思いをストレートにぶっつけた「Mother」という歌と演奏は、その歌詞の辛辣な部分も含めて、時代の中で何かを超越した響きが感じられるのです。

しかし曲メロとアレンジ&演奏はネクラではないんですよねぇ。むしろプラスのベクトルが強いという感じが、これまた凄いのです。

参考までに演奏メンバーを記しておくと、ジョン・レノン(vo,g,p)、クラウス・ヴァマン(b)、リンゴ・スター(ds) という強力なトリオに加え、プロデュースはジョンとヨーコ、そしてフィル・スペクターが関与しています。

良く言われているように、当時のジョンはヨーコに強い影響を受け、活動そのものが賛否両論のギリギリを彷徨っていた頃でもありましたから、この「Mother」も実はヨーコを母親代わりに選んだ自己憐憫の歌だとか……?

まあ、そう言われてみれば、ジョン・レノンは特級のマザコン男!?!

そういう正体を自ら曝け出したところに、またジョン・レノンの天才性があるんでしょうか……。

さて、実は告白しておくと、このシングル盤をゲットしたのは、B面に収録されたヨーコの演じる「Why」を聴きたかったからなのです。

結論から言えば、一般的なポップスやロックの王道から外れた前衛性の強いものだったんですが、それは予想は出来ていても、なかなか実直に聴くことは出来ません。なにしろ「ジョンの魂」と同じような演奏メンバーを従えたアルバム「ヨーコ・オノ / プラスティック・オノ・バンド」が作られ、それは双子のようなジャケットデザインで発売も同時期であったはずなのに、ラジオの洋楽番組では完全に近い無視状態でしたからねぇ……。

結局は買って聴く他はないのです。なにしろそこにもジョンのギターと「声」があるのですから! 聴いたもん勝ちってやつですよね。

ということで、同じ母親を巡る関係でも、何処ぞの総理大臣のように母親からお金を出してもらって政治家ごっこに興じ、国民を裏切ったバカもいれば、母親から捨てられたことを根源的な心の糧とした偉人もいるというが、この世の深いところだと思います。

まあ、そんなことはあくまでも他人の目から見た思い込みでしょう。

本人にしか分からないものが間違いなくあるでしょう。

しかし例えばジョンが「Mother」を歌ったように、そういう正直な部分が少しでも感じられれば、心に響く行き様に共感するのです。

でも、これは難しいです。

そして、それが出来れば、その人は天才になるんだと思うのでした。

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私のMy Sweet Load

2010-05-30 16:48:15 | Beatles

My Sweet Load c/w Isn't It A Pity / George Harroson (Apple / 東芝)

お金が無いことは人生の苦しみのひとつですが、殊更好奇心と欲望が強かった若い頃には煩悩に繋がるほどだといって、過言ではないでしょう。

例えば聴きたいレコードが買えないという現実も、そのひとつとして代表格だったのが、ジョージ・ハリスンの金字塔! 驚愕の箱入り3枚組LP「オール・シングス・マスト・パス」でした。なにしろ日本盤が5千円でしたからねぇ。もう当時の音楽好きの若い男女にとっては、憤りと社会不満を爆発させかねないものがありました。

というのも、実はジョージのソロ活動には既に2枚のアルバムが発表されていたんですが、中身は電子音楽や映画サントラ音源という、些かロックやポップスの主流から外れたものでしたし、加えてビートルズの先行き不安……。

そんな中で大きな光明となったのが、本日ご紹介のシングル曲「My Sweet Load」でした。

シンプルなアコースティックギターのコードストロークと些か線の細いスライドギターが実に印象的なイントロに導かれ、そのメインの曲メロは親しみ易いフレーズを繰り返すだけの展開なんですが、ジワジワと心に染み込んで不思議と気分が高揚されられるという、所謂良い曲♪♪~♪

日本での発売は昭和46(1971)年1月でしたが、既にアメリカでは前年11月末頃に出ていたこともあり、レコード発売前から大ヒットは確実というムードでラジオから流されまくっていたと記憶しています。

そして今では、誰もが一度は耳にしたことがあると思われるのですが、驚いたことに世界中でこの曲がヒットしていた同年春、盗作騒動が勃発したのも印象的でした。

その元ネタは、黒人女性コーラスグループのシィフォンズが1963年にアメリカで大ヒットさせた「He's So Fine」であるとする訴えは、紆余曲折の末に原告側出版社の勝訴となり、確か58万ドル超の支払いを命じられましたですね……。

まあ、このあたりは感性の問題も大きいと思いますし、当時のラジオの洋楽番組では話題のひとつとして、この両曲を比較するなんていう企画もあり、サイケおやじもその時に初めてシフォンズの「He's So Fine」を聴いたんですが、そんなに似ているかなぁ……? というのが最初の印象でした。

ところが事態が変わったのは同年初夏になって世に出た、ジョディ・ミラーという女性歌手の歌う同曲のカパーバージョンで、なんとアレンジが「My Sweet Load」を強く意識!?! アコースティックギターのコードストロークのイントロまでも確信犯的に利用した、実に狙ったものでしたから、裁判所の判断が傾くのもムペなるかな……。

おまけに裁判の途中から、あの悪徳計理士のアレン・クレインが原告側に寝返ったり、シフォンズが「My Sweet Load」のカパーバージョンを出したり、さらにジョージ自身が当時の妻だったパティと親友エリック・クラブントンの不倫騒動に落ち込んだりしていましたから、この結果も致し方ないのかもしれません。

しかし、それはそれとして、とにかくジョージの「My Sweet Load」は素晴らしいですよ、やっぱり♪♪~♪

ジョージの内省的な優しさを強く滲ませる歌唱、それをバックアップするコーラスがひたすらに「ハレルヤ」「ハレクリシュナ」と歌う一途な信頼、あるいは信仰的ムードが、実に上手く融合していると思わざるをえないのです。

もちろんそんな個人的な思い込みは今となっての感想で、リアルタイムでは既に述べたように、全く不思議な高揚感に包まれた気持の良さが、この大ヒット曲の魅力でした。

それは演奏パートのシンプルな構成にも感じられ、特にアコースティックギターがメインの前半から途中でドラムスとベースが加わっての盛り上がりは、まさに信仰集会の趣なんですが、そんな胡散臭いものは少なくとも私には微塵も感じられず、逆に一緒に歌ってしまうほどです。

ハァ~レルゥ~~ヤッ♪♪~♪
ハァ~レリシュ~~ナッ♪♪~♪

ちなみに「ハレルヤ」は黛ジュンの大ヒットで耳に馴染んでいた言葉でしたが、「ハレクリシュナ」って??? 後に知ったところでは、ヒンズー教の神様のことだったのは、皆様が良くご存じのところだと思います。

ということで冒頭の話に戻りますが、この曲が大ヒットしたことにより、前述の3枚組LP「オール・シングス・マスト・パス」が尚更に希求されたんですねぇ。そして叶わぬ思いに現実の厳しさを痛感させられ……。

そんな気分で聴くとさらに刹那の境地なのが、B面収録の「Isn't It A Pity」でした。

切々としながら、何処か醒めた境地を滲ませるシンプルなメロディを湿っぽく歌うジョージ、それを覆い隠すかのような大仰なオーケストラの響き、意外なほど力強いリズム隊の存在は、なんだか何かの終りを告げられているかのような印象を受けてしまうのです。

ちなみに、今では当たり前のように言われているフィル・スペクターのプロデュースとか、それに関わる「音の壁」云々なんていう論説は、リアルタイムではほとんど関心の対象にもなっていなかったと思います。なにしろ問題のアルバム「レット・イット・ビー」制作に関する裏話や発売の経緯についてのあれこれが、当時は今ほど公になっていませんでしたし、フィル・スペクターその人が、既に忘れられた存在だったのですから!?

このあたりを後追いで体験してしまうと、また当時のジョージの音楽についての印象も変わってしまうかもしれませんね。個人的には、この「It Isn't It A Pity」について、なんてモコモコモヤモヤした野暮ったい音だろう……。なんていうのが正直な感想でしたし、それゆえに諦観漂うジョージの歌とメロディが心に染みくるという、なかなか不思議な体験をさせてもらったのです。

ということで、これもまた私にとっては青春の1曲♪♪~♪

そう言えは最初にラジオで聴いた時、曲名から「私の甘い道」ってなんだ!?

という強烈な思い違いをしていたのも、懐かしい思い出なのでした。

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イェ~、イェ~♪

2010-04-11 13:20:49 | Beatles

She Loves You c/w I'll Got You (Parlophone / 東芝)

昭和39(1964)年のちょうど今頃、私が初めて聴いたビートルズのレコードが、本日ご紹介のシングル盤でした。

それは従姉が我が家にあったステレオで鳴らそうと持ってきたものでしたが、今になって思うと、ビートルズの楽曲は、例えば「抱きしめたい」とかは既にラジオで知っていたような記憶があります。

しかしそれがブームになっていたかと言えば、否でしょう。

ですから従姉がこの時点でピカピカの新譜だったビートルズのレコードを買っていたという事実は、なかなか新しい感覚が冴えていたんですねぇ~。現在ではありきたりのおばちゃんになってしまった彼女について、認識を新たにする次第です。

しかも従姉はA面の「She Loves You」よりはB面の「I'll Got You」が素敵♪♪~♪

とか言っていたんですから、少年時代のサイケおやじには完全に???

もちろん後年になれば、その「I'll Got You」も大好きになったんですが、やっぱりズバッと炸裂するドラムスのイントロ! そしてイェ~、イェ~♪ というキメのコーラスが上手いんだか、乱れているんだか、ちょっと分からないその迫力には圧倒されましたですねぇ~♪

さらに全篇に横溢する疾走感、そして一端は終息しそうになって再び盛り上がって終るエンディングのせつなさも、当時の洋楽ポップスでは実に新鮮でした。

しかし少年時代のサイケおやじは、ビートルズがブームになって他の曲を聴けるようになった時、オリジナルよりはR&BやR&Rのカパーの方が、さらに好きになりましたですねぇ。尤もそうした歌と演奏も、その頃はビートルズのオリジナルだと思い込んでいたわけですから、今となっては苦笑です。

それと曲名の日本語表記なんですが、「ラヴズ」の「ウに点々」という書き表し方も、なかなかインパクト、ありましたですねぇ。それまでのサイケおやじは、当然ながら「フに点々」でしたから。

ということで、私にとっての果てないビートルズ天国への階段が、この「She Loves You」だったというのが、本日のお話でした。

ちなみに「She Loves You」はモノラルミックスしか存在しておらず、ステレオ表記のあるバージョンは全てニセステなんですが、1977年に我国で再発されたシングル盤「EAR-20224」は、そのニセステのさらに上を狙ったような、実にミョウチキリンな音になっていますから、これは案外と要注意かもしれません。

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ビートルズ来日のリアル映像集

2010-02-07 16:08:24 | Beatles

The Beatles In Japan 1966 (innergroove = bootleg 3 disc set)

我国の昭和40(1965)年からのエレキブームをロックへと導いた偉業こそ、翌年のビートルズ初来日公演でした。

その私的な感想や体験については、以前にも書きましたが、本日のご紹介はプートながら、それを確実に追体験し、ビートルズ来日の凄さをあらためて検証するには最適のブツ! なんと2枚のDVDRに収められたニュースフィルムやコンサートのライプ映像は、同じメーカーから出た「The Beatles AT Shea 1965」同様、時系列の編集によって臨場感が満点♪♪~♪ そしてもう1枚、CDには2回の公式記録ライプ音源が収められているという、実に強烈なセットです。

☆DVDR-1:約63分
 01 Opening Montage
(sound;Paperback Writer)
        / Haneda Arrivals (1966年6月29日)
        / Tokyo Highway (sound;Mr. Moonlight)
 02 Outside Hotel Footage (sound;Day Tripper)
 03 Interview at 10th floor
 04 Press Conference at Tokyo Hilton Hotel Pink Pearl Room
 まずは来日公演に至る顛末が、いろんな映像をバックに字幕で解説され、ビートルズの入国が幾分遅れたのは台風の所為だったとか、リアルタイムのテレビ放送でも特に印象的だった「Mr. Moonlight」をBGMにした首都高速の場面、武道館を使った興行に反対する右翼団体、そしてインタビューの映像がたぷりとご覧になれます。
 もちろんそれらは丁寧な字幕入りですが、映像はモノクロ主体で、中には公式記者会見の場面のように、フィルムが完全でない部分もありますし、司会者のトンチンカンな仕切りや分かっていない質問も、今となっては恥ずかしくなるばかりとは言え、それも貴重な記録だと思います。
 中でも今や伝説となっている、MB勲章をもらったことへの関連質問で、ジョンがコースターをひらひらさせたシーンは必見!

☆DVDR-2:約72分
※1966年6月30日
 01 Outside of Budokan Footage
(sound;Nowhere Man)
 いよいよ歴史的な公演の初日!
 もちろん武道館や会場周辺には夥しい警官が動員され、集まったファンの様子も緊張気味に映されているのが印象的です。
 またメーカー側が入れた字幕解説も面白く、中でもホテルから武道館への移動時間がリハーサルでは5分だったものが、本番では7分かかってしまい、警視総監が遺憾を表明とは笑えますが、それだけリアルタイムでは真剣な出来事だったのです。

※武道館ライブ:1966年6月30日、夜の部
 02 Opening
 03 Rock And Roll Music
 04 She's A Woman
 05 If I Needed Someone
 06 Day Tripper
 07 Baby's In Black
 08 I Feel Fine
 09 Yesterday
 10 I Wanna Be Your Man
 11 Nowhere Man
 12 Paperback Writer
 13 I'm Down

 今では良く知られているように、ビートルズの来日公演のテレビ放送は2回録画され、これがその最初の映像ですが、リアルタイムではオクラ入りしています。それはマイクの不備から演奏中にメンバーがそれを直したりする場面があって、マネージメント側から不許可になった所為でした。
 しかしビートルズ本人達のノリは悪くありませんし、カメラワークも基本に忠実というか、良く撮れていると思います。またメンバーの衣装がダーク系の上下というスーツに赤いシャツ! これが実にカッコ良すぎますねぇ~♪
 ちなみにこの29日の映像が初めて公開されたのは昭和54(1979)年、「たった一度の再放送」をウリにした日本テレビの特別番組でしたが、リアルタイムを体験した多くのファンがびっくりしたのは、実際に放送されたライプとは別物だったという喜びでした。つまり現実の放送では、翌日の昼の部が使われていたというわけです。
 しかもカラー映像ですからねぇ~♪
 というのも、実はリアルタイムでもカラー放送だったのですが、当時はカラーテレビそのものが普及しておらず、私も含めて、多くの日本人はモノクロ映像を楽しんでいたはずですから、感動もさらに深いということです。
 肝心の演奏では、いきなり「Rock And Roll Music」と「She's A Woman」のR&R二連発で煽っておいて、ジョージの会心作「If I Needed Someone」へともっていくプログラムが絶妙! ここでバンド全体のグルーヴとビート感が、ガラっと変化するのは快感ですよ♪♪~♪ また「She's A Woman」の最初では、出番の無いジョージが観客に愛想を振りまくあたりが、如何にも当時のショウビジネスの実態かもしれません。お馴染み、ジョンのハナモゲラMCに導かれた「Day Tripper」も流石です。
 そして貴重なのが「Yesterday」のエレクトリックバンドバージョンでしょう。
 さらに当時ピカピカの新曲だった「Paperback Writer」のリアルライプバージョンも、危険きわまりないロックのビートが完全炸裂した名演だと思います。というか、明らかにニューロックって感じですねぇ。サイケデリックなコーラスも良い感じ♪♪~♪
 またヒット曲の定番演奏としては狂熱の「I Feel Fine」、リンゴの歌がノリノリの「I Wanna Be Your Man」、何時聴いても胸キュンな「Nowhere Man」や「Baby's In Black」のソフトロックな味わいも素敵です。
 ただし、これは各方面で指摘されていて、私も同じ思いなんですが、ビートルズ本人達のライプの現場でのテンションが、前年に比べると落ちているのは否めないと思います。それは巡業でもホテルに缶詰め状態、会場内外での狂騒、一般マスコミの無理解やビジネス面のあれこれ……、等々がビートルズが絶頂期の音楽性と必ずしも合致していない現実の現れだったのでしょう。
 ところでこのパートは後にビデオ化され、確かLDも発売されていたわけですが、今回のリマスターはプートでありながら、これまでで最高だと思われます。しかし例のアンソロジープロジェクトで使われた映像には叶いませんので、念のため。

 ※1966年7月1日のドキュメント
 14 John & Paul's Breakout
(sound;If I Needed Someone)
 このパートでは、これも伝説になったジョンとポールのホテル脱出が解説されます。
 それによるとジョンは原宿と材木町の骨董屋で買い物、ポールは皇居へ行ったというスチールが証拠提供でご覧になれますよ。
 また当時の東京の戒厳令的な様子も、ヤバイ雰囲気のフィルムで収められています。

※武道館ライブ:1966年7月1日、昼の部
 15 Opening
 16 Rock And Roll Music
 17 She's A Woman
 18 If I Needed Someone
 19 Day Tripper
 20 Baby's In Black
 21 I Feel Fine
 22 Yesterday
 23 I Wanna Be Your Man
 24 Nowhere Man
 25 Paperback Writer
 26 I'm Down
 これが現実的にテレビ放送されたパートで、約30分のステージはカラー映像ですが、部分的な劣化が勿体無いかぎりですねぇ……。しかしリアルタイムではモノクロでしか体験出来なかったことを思えば、贅沢は今のところ、敵でしょう。
 メンバーの衣装は薄いブルーに赤っぽい縞のジャケット、赤いシャツに黒いスポンという、これも垢ぬけたファッションがニクイばかりです。
 またテレビ放送の時にも思っていましたが、ジョンとジョージのギターが、それまで見ていたものと違っていて、それは実に素敵なエピフォン・カジノ! また「If I Needed Someone」でジョージが弾くリッケンバッカーの12弦も強烈な存在感でした。
 ちなみに演目は6月30日と同じですが、このブツに関する限り、音質は前者の方に迫力が感じられます。
 そして演奏面では、まず「She's A Woman」でのジョンのリズムギターなんですが、6月30日ではシャープなカッティングで全篇を押し通していたものが、こちらでは前年のシェアスタジアム公演と同じく、中盤からのストーンズ風なノリを復活させています。
 また「I Feel Fine」ではレコードと同じく、あのフィードバックからイントロのリフに入るパターンをやってくれるんですから、たまりません。「Day Tripper」でのツインリードも強烈ですよっ!
、それとジョージのギターが、それなりに安定していますし、弾き方の指使いも、わりとはっきりと映っているのが嬉しいところでしょう。
 その意味でポールのMCの安心感、リンゴのドラミングの上手さも、あらためて実感されると思いますから、オーラスでポールが激唱する「I'm Down」は最高の極みつき! 冷静に聴けば、相当にハチャメチャな演奏なんですが、テレビの前でエキサイトさせられた少年時代の気分が完全に再燃します。

※Beatle Costume Repor
 27 ビートルズの衣装分析、テレビ視聴率等々の解説
 28 スタッフのトニー・バロウズが撮った8ミリフィルム映像

 これが貴重な7月2日のステージライプ映像!
 広報担当のトニー・バロウズが記録した8ミリフィルムで、非常に短いながらも感動的です。

 29 ビートルズの離日:1966年7月3日
 公演終了後からのビートルズの動向をスチール写真と字幕で解説しています
 フィリピン暴動やキリスト発言、そんなこんなの経緯からライプをやめてしまうビートルズの行く末が……。

☆CD
※武道館ライブ:1966年6月29日、夜の部
 01 Opening
 02 Rock And Roll Music
 03 She's A Woman
 04 If I Needed Someone
 05 Day Tripper
 06 Baby's In Black
 07 I Feel Fine
 08 Yesterday
 09 I Wanna Be Your Man
 10 Nowhere Man
 11 Paperback Writer
 12 I'm Down
※武道館ライブ:1966年7月1日、昼の部
 13 Opening
 14 Rock And Roll Music
 15 She's A Woman
 16 If I Needed Someone
 17 Day Tripper
 18 Baby's In Black
 19 I Feel Fine
 20 Yesterday
 21 I Wanna Be Your Man
 22 Nowhere Man
 23 Paperback Writer
 24 I'm Down
 こちらは映像から音源だけを抜き出したCDで、当然ながらモノラルミックスですが、マスタリングがきっちりしていますから、聴き易いです。そしてリンゴのドラムスの上手さとか、ポールのペースの躍動感が、個人的には高得点でした。
 映像では、そんなに感じなかったんですがねぇ。

ということで、これまた先日ご紹介の「The Beatles AT Shea 1965」と同じメーカーよる良い仕事♪♪~♪

なんとも熱くて、実にせつない映像集ですよ。

気になる画質は「-A」から「+B」程度なのが悔やまれますが゛、それでもこれまでで最良の素材を丁寧にリマスターしてありますし、音源とのシンクロも絶妙です。おそらく将来、絶対に公式復刻される映像のはずですが、ここまで日本側の記録を集められるか否かは、このブツが参考にされるんじゃないか?

本当に、そう思っているのでした。

コメント (7)
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