OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

山内賢のロックな世界

2011-10-11 15:16:31 | 日本のロック

青春ア・ゴーゴー c/w ただお前だけ!! / 山内賢と日活ヤング&フレッシュ (東芝)

先日の山内賢の訃報は記憶に新しいところですが、日本芸能史においては典型的な二枚目スタアであると同時に素晴らしい歌手、そしてギタリストでもありました。

それは特に和泉雅子とデュエットで昭和42(1967)年に大ヒットさせたエレキ歌謡の名作「二人の銀座」で永遠に忘れられる事は無いと思いますが、この曲は所謂「ベンチャーズ歌謡」の先駆けのひとつでもありますから、必然的に山内賢の資質が活かされた結果だったのです。

と言うのも、実は山内賢はエレキギターの名手としても当時は有名であり、契約していた日活の俳優仲間やスタッフと一緒になって、ヤング&フレッシュというベンチャーズスタイルのエレキバンドをやっていたんですねぇ。

ちなみにヤング&フレッシュの歴史は既に昭和36(1961)年の発足らしいのですが、その頃はおそらく純粋のエレキバンドではなかったんじゃないでしょうか。

それでも翌年に発売された「歌う日活スタア・クリスマスパーティー」というテイチクから出されたオムニバスLPの中では、エレキインストの演奏も披露している事から、我国では相当に早い時期からエレキバンドとして活動していた実績は、加山雄三のランチャーズと双璧だと思います。

ちなみに件のアルバムは石原裕次郎、浜田光夫、高橋英樹、杉山俊夫、そして司会進行役に田代みどりを起用した企画盤で、ヤング&フレッシュはA面ド頭で「White Christmas」をきっちりと演奏し、おそらくは登場歌手のバックもやっていると推察されますが、なかなか楽しいんですねぇ~♪ これからの季節、復刻が期待されます。

ところが肝心のヤング&フレッシュは山内賢が若手スタアとして台頭した事もあってか、ここからしばらくはレコードを残していません。

しかし昭和40(1965)年、日本中にエレキの大ブームが到来した時、ヤング&フレッシュは堂々と日活作品にも登場し、ついに翌年には実質的な主演映画ともいうべき「青春ア・ゴーゴー(森永健次郎監督)」という大傑作が作られるのです。

それにはもちろん山内賢の他に浜田光夫や大田雅子=梶芽衣子、ジュディ・オング等々の青春スタアが出演していますが、勝ち抜きエレキ合戦をテーマに据えたドキュメントタッチの内容からして、日活生え抜きのヤング&フレッシュの存在は欠かせず、当時のメンバーは山内賢(g,vo)、木下雅弘(g)、杉山元(b)、和田浩治(ds) という俳優兼業の4人組ながら、実力的にはプロのバンドとなんらの遜色も無かったと思います。

実際、山内賢のリードプレイやリズムの刻みはキレが良くて、ちょいと驚くほどですよ。

そして前述の映画の公開と合わせて昭和41(1966)年3月に発売されたのが、本日ご紹介のシングル盤!

何んと言ってもA面の「青春ア・ゴーゴー」が作詞:青島幸男、作曲:脇野光司による基本は青春歌謡ながら、エレキビートを大きく導入した事による新展開が当時としては強烈無比でしたねぇ~~♪

実はこの歌、映画本篇にも出演しているスパイダースもレコード化した所謂競作なんですが、聴き比べてみると、確かにスパイダースのバージョンはロックグループとしての本格的なノリやバンドアンサンブルも厚みがあって流石の仕上がりになっています。

しかし日活ヤング&フレッシュのバージョンにはスパイダースとは似て非なる、弾けるようなビート感があって、それは些か隙間だらけの演奏パートに跳ねるような山内賢のボーカルという、あまり使いたい言葉ではありませんが、所謂パンキッシュなフィーリングというところでしょうか。

ただし、そのあたりを不安視(?)したのか、レコード制作の現場では演奏の後半にオーケストラを導入した川口真のアレンジを用い、それが結果的に抑圧されたバンドのエネルギーを誘発したクライマックスの大団円に繋がったと言っては、大袈裟でしょうか。

正直、今日ではロック的に些か的外れなところも否めませんが、それでも山内賢とヤング&フレッシュが爆発させたロック魂は不滅に感じられると思います。

一方、B面収録の「ただお前だけ!!」は作詞:沢ノ井千江児、作編曲:飯田紘久による歌謡フォーク調のパラードなんですが、ここでの自分勝手に煮詰まっていくような表現も、また山内賢のボーカルスタイルのひとつなのかもしれません。

ちなみにこちらのバックは、一説によるとシャープ・ファイブが担当したと言われていますので、そのあたりの面白さも興味津々???

そして言うまでもなく、ここで聴かれるレコードバージョンと映画本篇で使われたフィルムバージョンは完全に異なるテイクであって、当然ながらオーケストラアレンジの入らない純粋のバンド演奏ですから、これも要注意!

現在では上手く纏められた「Tokyo A Go Go!」という復刻CDも出ていますので、近々ご紹介したいと思いますが、そこに収録の幾つかのトラックを楽しんでいくと、前述した煮詰まりスタイルを上手く使った山内賢のボーカルが、如何にロックっぽいか! それを認識させらるとサイケおやじは納得しているのですが……。

ということで山内賢は、これをきっかけとして名作エレキ歌謡の映画とレコードを出していきます。

それは例えば「涙くんさよなら(西村昭五郎監督)」「二人の銀座(鍛冶昇監督)」「東京ナイト(鍛冶昇監督)」「夕陽が泣いている(森永健次郎監督)」から本格的なGS映画「スパイダースのゴーゴー向う見ず作戦(斎藤武市監督)」へと続く、まさに昭和元禄の文化史でもありましたが、やはり中でも最高なのは、この「青春ア・ゴーゴー」が極みつき!

サイケおやじはリアルタイムの春休み、この映画を見て感動に震えた記憶が今も心身に染み込んでいるほどです。

ところが現在、この傑作群がスパイダース出演の諸作はともかくも、何故か復刻の遅れが悲しいところ……。

ご存じのとおり、来年は「日活100周年」として、既に様々な企画やイベントが動き出していますから、ここは絶対にパッケージ化されるべきでしょう。

また山内賢追悼企画として、日活ヤング&フレッシュの音源集成も期待したいところです。

そして素晴らしいエレキブームが如何に日本のロック全盛期であったか、それを後世に伝える事も、リアルタイムで体験した者が成すべき責務と自覚している次第です。

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秋の日のソニー・ロリンズ

2011-10-10 15:35:21 | Jazz

Sonny Rollins Play For Bird (Prestige)

この年齢になると起床してから体調が全般に良いなんてことは滅多にありませんが、今日は珍しく爽快な気分で体力&気力も充実しているのでしょうか、朝っぱらから王道モダンジャズが聴きたくなりました♪♪~♪

そして取り出したのが、本日の1枚です。

一応はソニー・ロリンズ名義のリーダー盤になっていますが、実態は当時のマックス・ローチのバンドかと推察されるメンバーはケニー・ドーハム(tp)、ソニー・ロリンズ(ts)、ウェイド・レッグ(p)、ジョージ・モロウ(b)、マックス・ローチ(ds) という強力布陣!

ちなみに録音は1956年10月5日とされているところから、マック・ローチがクリフォード・ブラウンとリッチー・パウエルを不慮の事故で失った後に再編したバンドという憶測を適用すれば、セッション全体の纏まりの良さも納得されます。

そしてアルバムタイトルどおり、ソニー・ロリンズ以下のメンバーはモダンジャズを創成しながら、前年に逝去した天才アルトサックス奏者のチャーリー・パーカーに捧げるべく、このセッションに臨んだと言われているウリも決して虚説ではないと思いますが、それよりも全篇から楽しめるハードバップならではの魅力を堪能出来る名演集になっています。

A-1 Medley:
     I Remember You
(featuring Sonny Rollins)
     My Melancholy Baby (featuring Kenny Dorham)
     Old Folks (featuring Wade Legge)
     They Can't Take That Away From Me (featuring Sonny Rollins)
     Just Friends (featuring Kenny Dorham)
     My Little Suede Shoes (featuring Wade Legge)
     Star Eyes (Quintet)
 LPのA面全てを使ったメドレー形式の演奏は、何れも生前のチャーリー・パーカーが好んでプレイした演目ということで、流石にバンドのコンビネーションは手慣れた中にもグルーヴィ♪♪~♪ この感触こそが、黒人ジャズの真髄というところでしょうか。
 しかも、ここでは企画の勝利というか、それぞれに主役が設定され、一応の注釈は入れておきましたが、メンバー各々が十八番とする個人芸の冴えを楽しめる流れも嬉しいところで、まずはソニー・ロリンズがチャーリー・パーカーの代表的なブルース演奏だった「Parker's Mood」の一節を絶妙のイントロに配し、続けて歌物スタンダード「I Remember You」のテーマメロディを悠然と吹奏するだけでツカミはOK! もちろんアドリブパートは変幻自在のローリン節が真っ盛りですよ♪♪~♪
 当然ながらリズム隊のハードドライヴな質感は言わずもがな、次曲への転換も絶妙であり、それはケニー・ドーハムが歌心優先主義のフェイクを堪能させてくれる「My Melancholy Baby」で早くも頂点に到達していると思います。
 あぁ、このなんて事のない「間」の取り方は、ちょい聴きにはバランスを失っているようにも感じられますが、そこは百戦錬磨のメンバー揃いですから、侮れません。マックス・ローチとのソロチェンジも含めて、極めてナチュラルなノリが良い感じ♪♪~♪
 そしてウェイド・レッグが主役のピアノトリオによる「Old Folks」が快適に演じられる時、本来は曲メロに仕込まれた哀愁の追求を期待するファン心理を逆手にとられた快感が絶妙!?
 ちなみにウェイド・レッグは公式録音ではチャーリー・パーカーとのレコーディングは残していないと思われますが、そのビバップ保守本流のスタイルは素晴らしいの一言ですねぇ~♪ そこはかとないピアノタッチの質感や歌心の奥深さに直結したコード選びも、全くサイケおやじの好むところです。
 また、そういう伴奏があればこそ、ソニー・ロリンズも安心して派手なプレイに邁進出来るのでしょうか、続く「They Can't Take That Away From Me」では相当に飛躍したリズム感で驚愕のアドリブフレーズを綴りますし、俗に「燻銀」と形容されるケニー・ドーハムにしても「Just Friends」では、なかなか溌剌とした存在感を示してくれますよ。
 ただし、ここまでの流れでは、テンポがミディアムで一様に変化が少ない所為でしょうか、要所でマックス・ローチのドラムスがブレイク的な短いソロを挟んでいます。そして、それが幾分煮詰まったところでラテンビートを入れた「My Little Suede Shoes」がピアノトリオで演奏されるあたりに、ちょいとした上手い仕掛を感じられれば、それは狙いどおりという事でしょうか……。
 しかし最終パートの「Star Eyes」はクインテット全員の合奏から、王道ハードパップのお手本のような4ビートジャズが堪能出来ますよ。
 まあ、正直言えば、もっと熱くなって欲しいのが本音ではありますが、こうしたリラックスムードのモダンジャズを27分ほどぶっ続けて演じてしまいながら、最終的にダレさせないのは容易ではないと思うばかりです。
 ちなみにマックス・ローチのリーダー盤には同様の企画として「プレイズ・チャーリー・パーカー」という人気LPがあって、そこでは相当にイケイケの演奏が繰り広げられていますので、聴き比べも楽しいかと♪♪~♪

B-1 Kids Know
 ソニー・ロリンズのオリジナル曲で、しかもマックス・ローチとのコンビネーションから生み出されるワルツタイムの演奏とあって、リアルタイムでは意欲的なスタイルであったと思われます。
 しかし後追いで聴く我々にとっては、実に和みの王道ハードバップに他ならないでしょう。
 ミディアムテンポで余裕すら感じさせるテーマ合奏からバンドの纏まりは素晴らしく、重心の低いリズム隊のグルーヴも変拍子なんて事に拘る姿勢よりは、むしろモダンジャズ本来のビートを大切にしている感じです。
 それはソニー・ロリンズのアドリブが変幻自在ではありますが、決して暴走する事のない抑制気味の結果であったり、続くケニー・ドーハムの予定調和感が今となっては物足りないと思う、それこそリスナーの我儘に直結するものかもしれません。
 しかし、ここでの「ゆったりフィーリング」は決して「微温湯」では無いはずで、まさに名人芸の成せる技とサイケおやじは神妙に聴いています。
 ちなみにマックス・ローチのバッキングやソロには相変わらずの厳しさや怖さがモロ出しですから、共にリズム隊を形成するウェイド・レッグとジョージ・モロウも緊張している雰囲気が!? そのあたりも滲んでいるように思います。

B-2 I've Grown Accustomed To Your Face
 オーラスはご存じ、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」から人気曲をソニー・ロリンズがワンホーンのカルテットで吹奏してくれる、これまた嬉しい演奏です。
 あぁ、この野太いテナーサックスの音色と豪快な節回しで披露されるメロディフェイクの妙は、流石に天才の証明! グッと凝縮したフレーズを次の瞬間に解放する十八番の手口は、ソニー・ロリンズでしかありえませんねぇ~~♪
 伴奏のリズム隊も、それゆえの安定感を要求されるわけですが、流石はマックス・ローチというブラシの冴えが、ゆるやかなドライヴ感を作り出しているのも凄いと思います。

という事で、実はアルバム全篇が同じようなテンポの演奏ばかりなので、両面を通して聴くと些か飽きるという本音も否定出来ません。

しかし再生時間が20分前後というアナログ盤LPの特性からすれば、これがなかなかちょうど良いんですねぇ~~♪

特にA面のホンワカした心地良さは、もちろんハードバップらしいイントネーションとハードエッジなリズムも「お約束」として秘められていますから、絶品ですよ!

秋晴れの休日には、かなりジャストミートな1枚と再認識しております。

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フラッシュファンの自嘲の告白

2011-10-09 15:36:22 | Rock Jazz

In The Can / Flash (Sovereign)

引き続き本日も美味しいジャケ写ということで、フラッシュのセカンドアルバムを出してきました。

画像が小さいので、ちょいと抽象的かもしれませんが、これをLPサイズと仮定凝視していただければデビューアルバム同様、なんとも「フラッシュ=チラ見せ」な意図がバンド名に偽り無し!?!

 A-1 Lifetime
 A-2 Monday Morning Eyes
 B-1 Black And White
 B-2 Stop That Banging
 B-3 There No More

しかし肝心のバンドそのものは、今に至るもイエスの亜流としてしか語られず、それは一座の看板スタアがイエスを強制退去させられたギタリストのピーター・バンクスであり、しかも音楽性が極めて似通っている事にあります。

それは実際、この「イン・ザ・キャン/ フラッシュ2」には尚更に顕著で、1972年晩秋に発表された時期を鑑みれば、イエスは直前に大傑作アルバム「危機」を出したことにより、結果的にフラッシュの時代遅れ感が明瞭に……。

ちなみに、このアルバムはピーター・バンクス(g,key,vo)、コリン・カーター(vo,)、レイ・ベネット(b,vo)、マイク・ハフ(ds,per) というレギュラーメンバーだけで制作されたんですが、専任キーボード奏者が不在の所為でしょうか、サウンドの厚みとかアレンジの面白さが幾分希薄に感じられます。

そして率直に言わせていただければ、イエスが前年に出した大ヒットアルバム「こわれもの」を後追いしたような楽曲や演奏ばかりなんですねぇ。

例えばA面ド頭収録の「Lifetime」は組曲形式の長尺演奏なんですが、アップテンポで起承転結を狙ったと思われる仕掛が空回り気味……。しかもピーター・バンクスのギターがイエスに自分の後任として入ったスティーヴ・ハウと同じようなフレーズを弾いたりするもんですから、あんたには意地ってものが無いのかっ!

不遜かもしれませんが、思わずそんな詰問をしたくなるんですよ。

まあ、本人からすれば、いきなり高い評価を得たスティーヴ・ハウに対し、俺だって、あのぐらいは簡単にやれるぜ! って事を証明したかったのかもしれませんが、曲調がイエスそのものといって過言ではありませんから、失礼ながら他のメンバーの力量だって比較云々は避けられず……。

結局、こういうトラックをトップに据えてしまうところに、フラッシュの本音と限界があるんじゃないでしょうか?

しかし続く「Monday Morning Eyes」は遊び心も憎めないファンキーロックの新展開として、個人的には好感触なんですが、ここでも肝心な時にイエスを意識しまくったとしか思えないアンサンブルのキメとか、ボーカル&コーラスの方法論そのものが、どうも……。

それでもB面に入っての「Black And White」では、ピーター・バンクスも面目躍如のジャジーなギタープレイが全開の大組曲! 当然ながらアルバム全篇において、本人のギターとシンセ系キーボードが多層的に重ねられる音作りが実践されていますが、これは一番上手く意図表現出来た熱演じゃないでしょうか。

ですから数度の場面転換に伴うボーカルとコーラスのコントラストもイヤミがありませんし、明らかなイエスからの影響が、ここでは良い方向に作用していると思います。というか、実はピーター・バンクス在籍時のイエスを彷彿とさせるところが、実に良いんですねぇ~、それが時代遅れだったとしてもです♪♪~♪

そして「Stop That Banging」が、なんとっ!? マイク・ハフの打楽器によるソロ演奏!?

まあ、短いから良いんですけど、それがイントロ代わりになって続く「There No More」が、これまた大作プログレ路線とは言いながら、実はイエスのサードアルバムに入っていた「Perpetual Change」のコピー改定版じゃねぇのかぁぁぁぁぁぁぁ~!?

う~ん、こういう事を臆面もなくやらかし、しかも直言すれば歌も演奏もコーラスも技術的なものを含めて、全てイエスに及ばないんですから、いやはやなんとも……。

本当に強烈なB級テイスト以下の二流路線も極まれり!?

流石にピーター・バンクスのファンであり、フラッシュのデビューアルバムを愛聴していたサイケおやじにしても、それが痛感されて悲しくなりましたですねぇ。

しかし、だからこそ、フラッシュが愛おしくてたまらない!

そんな感慨は今でも確かにあるんですよっ!

それがこうして時たま、このアルバムに針を落すという行為に繋がり、周囲からは呆れられるわけですが、案外と同じような気持のファンも多いんじゃないかと自分に言い聞かせる事も度々です。

つまりフラッシュは愛すべき「超」二流バンドであり、それは決して自分にとっては悪いイメージではありません。

なぜならば、だからこそ、次は凄いにちがいない! 

そう思わせてくれる「何か」が、あるのです。

ということで、最後は苦しい言い訳かもしれませんが、そういう漠とした期待感があったればこそ、サイケおやじは次なるサードアルバムも迷わずにゲットした過去があります。

もちろんフラッシュは奮戦およばず、売れずに解散という結末も知ってのとおりなんですが、確定した過去を振り返り、未来に希望を求めるのに言い訳は必要ありませんよね。

思わず自嘲してしまったです、はい。

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これでプログレだったアース&ファイアー

2011-10-08 16:09:23 | Rock

アムステルダムの少年兵 / Earth & Fire (Polydor / 日本グラモフォン)

ジャズやブルースやR&Rはアメリカが本場ですが、これがロックになるとそうでもありません。

今更述べるまでも無く、ビートルズ以降はイギリスが先進地となり、欧州各国にもアメリカでは望むべくもない汎用的なロックが続々と世に出たのも、ひとつの歴史の流れであろうと思います。

そして中でも印象的だったのが、1970年代初頭の「ダッチロック」のブームで、これはショッキング・ブルーの「Venus」が世界的に大ヒットした事がきっかけではありますが、そこにはキャッチーなパワーポップからプログレまで、実に雑多な音楽性を持ったグループが少なくありませんでした。

で、本日ご紹介のアース&ファイアーという5人組は女性ボーカルが目立つというポイントにおいて、明らかにショッキング・ブルーを意識せずに聴くのは困難であり、確かに我国での初ヒットとなった「Seasons」は、なかなか耳を奪われるパワーポップでした。

ところが続けて発売されていくアース&ファイアーのレコードを聴いていくと、これが何時の間にかプログレどっぷりになっているんですねぇ~。

例えば1971年に発売された本日ご紹介のシングル曲「アムステルダムの少年兵 / Song Of The Marching Children」は、セカンドアルバム(?)に入っているバージョンとは異なるテイクで、もしかすると編集バージョンかもしれませんが、とにかく本篇が20分ほどだった事を思えば、このグループの狙っていた音楽性が知れようというものです。

メンバーはJerney Kaagman(vo)、Chris Koerts(g,vo)、Gerard Koerts(key)、Hans Ziech(b)、Ton van der Kley(Dr) がこの時点のレギュラーだったと言われていますが、あえてクレジットどおりに表記したのは、オランダ語が日本語には書き表わせないほど発音が日本人に向いていないからです。

しかし一座のスタアだった女性ボーカリストが如何にもイケイケのセクシー美女だった事から、アース&ファイアーが我国でそれなりに注目されていた昭和46(1971)年前後には、ジャーネイ・カーフマンと紹介されていましたですねぇ。

それは掲載したジャケ写でも一目瞭然、当時としても衝撃的な本人のオールヌードが強烈なウリですし、しかも周囲のバンドメンバーがダッセ~~!?

典型的な美女と野獣のコントラストが、このグループの全てを表わしていると理解されても、それはそれで正解と言う他はありません。

ただし前述したように、この頃のアース&ファイアーはキーボードを上手く使ったプログレ街道を邁進中で、「アムステルダムの少年兵 / Song Of The Marching Children」にしても、キラキラしたイントロには当時のキーボードプレイの定番的な使い方が顕著であり、幾分オールドテイストなギターが逆に新鮮というあたりは侮れません。

もちろん幻想的なコーラスとキーボードを併用した豊かな曲メロへの彩り、そして虚無的でありながら力強いリードボーカルは、これがジャーネイ・カーフマンの得意とする表現でした。

ところが、このジャケットですからねぇ~~。

狙っていたのはわかりますが、どこかしら暴投気味だったことは否めませんし、ネタバレがあるんで詳らかには出来ませんが、実はこのショットの逆説的なオチのあるカットも残されていますから、どうか皆様には各自で探索されん事をお願いする次第です。

ちなみに似たようなコンセプトのジャケットデザインは、我国のフラワーズが昭和44(1969)年に唯一残したアルバム「チャレンジ!」にも見られますので、これもぜひっ!

しかしアース&ファイアーの名誉のために書き添えておきますが、この当時に作られていたアルバムはプログレファンには定番的な人気作品であり、1970年代のロック喫茶でもプログレ多用の店では常備されていましたですねぇ。

実はサイケおやじも、そこでアース&ファイアーの真実に触れたようなところがあるのです。極言すれば、ムーディ・ブルースやキング・クリムゾンに近い味わいまで感じられるんですよ♪♪~♪ 残念ながらライプステージには接した事がありませんが、歌と演奏の実力も決して下手では無かったと思います。

ということで、今となっては単なるエロジャケットのひとつとしてしか話題になる事もありませんが、ロックが一番ロックらしかった1970年代には世界中で様々なミュージシャンが売れるための意欲を燃やしていたという、その証のような1枚が、これじゃないでしょうか。

もちろんオリジナル盤が掲載したようなピクチャースリーヴだったか否かは、知る由もありませんが、少なくとも日本のレコード会社は全力を尽くしたに違いありません。

そんなところにも好感が持てる1枚になっています。

最後になりましたが、本日は三連休の初っ端ということで、掲載画像も成人指定の大サービスと相成りました。

そういう部分も拙プログは大切にしたく思いますので、今後ともよろしくお願い致します。

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英国産ポップスに恋をして

2011-10-07 16:12:20 | Pops

恋に恋して / White Plains (Deram / キング)

日頃から節操の無いサイケおじやは、昨日のようにキング・クリムゾンの怖~い五連発なんかを聴いた後には、必ずウキウキする洋楽ポップスを欲してしまいます。

中でもイギリス産のバブルガム系ヒット曲あたりは、もう、これしか無いというジャストミートのジャンルであって、例えば本日ご紹介のホワイト・プレインズは1970年代前半に活躍していたグループなんですが、とにかく喜びも哀しみも幾年月というポップス王道のボーカル&コーラスで歌われる素敵なメロディを十八番にしていました。

しかし今日では明らかになっておりますが、ホワイト・プレインズは所謂「実態の無いグループ」であり、プロデューサーとソングライター、そしてスタジオミュージャンがプロの仕事をやり遂げた成果として幾つかのヒットを飛ばし、その代表曲が「恋に恋して / My Baby Loves Lovin'」なのです。

こうした背景には、もちろんラジオによってヒット曲が生まれるという当時の流行歌事情があり、それゆえにまずはリスナーの「耳」に訴える力を持ったメロディと歌詞が求められていたのですから、業界の資本投入もその道に優れたスタッフが優先されていました。

つまり実際に出来上がったレコードに記載されるクレジットは異なっていても、演じている側は同じという事が少なくありません。

そこでホワイト・プレインズを考察すると、まずソングライターが英国ポップス界では良心的メロディ主義の雄だったロジャー・クック&ロジャー・グリーナウェイという事は、必然的にフラワー・ポットメンという、これまたイギリス産ポップスの世界では決して忘れられないグループに遭遇します。

もちろんフラワー・ポットメンも最初は実態の無い、スタジオで作り出された楽曲優先のグループであり、ジョン・カーター&ケン・ルイスというソングライターコンビが自作自演のレコードを出すにあたっての大義名分だったんですが、しかし1967年に制作した「Let's Go To San Francisco (Deram)」が大ヒットしてしまえば、それは実体化を迫られて……。

ところが件の「Let's Go To San Francisco」を歌っていたジョン・カーター&ケン・ルイスは、その時点でアイビー・リーグというビートバンドのメンバーでありましたから、契約の関係もあって自らが顔を晒す事も出来ず、そこで起用されたのがトニー・バロウズというセッションボーカリストでした。

というか、トニー・バロウズ本人が既に前述したアイビー・リーグのサブメンバーだったという説もあり、また以前に組んでいたケストレルズというバンドのメンバーとしてプロデビューした時の仲間がロジャー・クック&ロジャー・グリーナウェイでしたから、このあたりの人脈は後付けで探るほどに錯綜しています。

しかし、だからこそと言うべきなんでしょうが、ヒットポップスの生産現場では、そうしたものの使い勝手の良さが求められていたのでしょう。

とにかく当時のイギリスでは、似たようなメンツで作られたポップス系のレコードが玉石混合で夥しく発売され、パッと覚えて、サッと忘れられるものこそが優良とされていたようです。

もちろんそうした傾向は広く欧米でも、そして日本でも同様であって、それを深く詮索するような不粋は、よほどのポップスマニアだけの宿業!?

ですから、一般の洋楽好きは、とにかくラジオから流れてくる素敵なメロディや心地良いボーカル&コーラスに魅せられていれば良かったんですねぇ~~♪

この「恋に恋して / My Baby Loves Lovin'」にしても、イントロからしてモータウン調のウキウキビートに気持良くノセられ、次いでキャッチーなメロディが解放感いっぱいに歌われ、しかもサビと中メロに仕込まれた絶妙の「泣き」が、実にたまりません♪♪~♪

サウンド作りも分厚い演奏パートとグッと迫って来るトニー・バロウズの楽しいボーカルが、まさにヒットポップスのお手本とも言うべき、秀逸の極み!

ちなみに、ここで簡単にトニー・バロウズ云々と書いてしまいましたが、掲載したジャケ写がイメージイラストであるとおり、あくまでもホワイト・プレインズは「実態の無いグループ」でしたから、誰が演じていたかなんて事は後々で追々に分かったことです。

ただしリアルタイムの情報ではトニー・バロウズの他にピート・ネルソン、ロビン・ショウ、ロジャー・グリーナウェイ等々が歌っていると言われていましたし、当時の洋楽雑誌には5~6人組でライプをやっているホワイト・プレインズの写真が掲載されていました。

で、ここからはサイケおやじの妄想ではありますが、ホワイト・プレインズは前述したフラワー・ポットメンの実体化バンドが継承されて出来上がったグループじゃないでしょうか?

そして実は「恋に恋して / My Baby Loves Lovin'」が首尾良く大ヒットしていた頃、トニー・バロウズは既にそこには在籍しておらず、ご存じのとおり、やはりイギリスの敏腕ヒットプロデューサーとして曲作りも上手いトニー・マコウレイに誘われ、あのメガヒット「恋の炎 / Love Grows」を歌うためにエジソン・ライトハウスという、これまた「実態の無いグループ」のプロジェクトに参加しているのです。

ということで、これが1970年の洋楽ポップス最前線の動きのひとつでした。

しかしサイケおやじはリアルタイムで楽しんでいた事に反し、ここまでに書いた裏事情は知る由も無く、ただ同じ声をした歌手がイギリスには大勢いるんだなぁ~~、というミステリーにもあまり関心はありませんでした。

と言うよりも、その頃は楽曲の魅力に自分のポップス心が優先されていたんですねぇ。

極言すれば、ホワイト・プレインズもエジソン・ライトハウスも、またフラワー・ポットメンにしても、ビートルズやストーンズのような強い存在感のバンドではないという認識が、その頃から当たらずも遠からじ!

しかし図らずも、この「恋に恋して / My Baby Loves Lovin'」が、そうした奥の細道を辿るきっかけとなり、同時にサイケおやじには最高の道標となりました。

ですから知るほどにイギリス音楽業界の裏面は、尚更に興味深く、アメリカ以上に面白いのですが、もちろん当時はそのあたりの研究書もネットでの情報収集もありませんでしたから、全てはゲットしたレコードに詰め込まれたデータだけが経験則として刷り込まれていったのです。

機会があれば、そのあたりも何れ纏めて書きたいと思っています。

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クリムゾン・スキッツォイドな恐怖の五連発

2011-10-06 16:55:12 | Rock Jazz

Schizoid Man / King Crimson (Virgin = CD)

自分の好きな歌や演奏だけを集めたテープやCDを作った経験は、音楽愛好者ならば必ずやあるはずです。

それは様々なミュージャンや歌手のオムニバスである場合と同じく、楽曲単位というか、ひとつの歌や演奏を様々なバージョン&テイクで集めて聴くという行為にも繋がるわけですから、本日ご紹介は、なんとっ!?!

今に至るもキング・クリムゾンの代名詞となっている「21st Century Schizoid Man / 21世紀の精神異常者」だけを集めた偏執者向けのCDで、もちろん1969年のオリジナルバージョンから1974年のライプ音源までという、キング・クリムゾンが最も「キング・クリムゾンらしかった」時期の5トラックを収録しています。

 01 1969年オリジナルバージョンの短縮編集版
 02 1969年オリジナルバージョン (「クリムゾン・キングの宮殿」より)
 03 1969年5月6日のBBC音源 (発掘編集盤「エピタフ」より)
 04 1972年2月11日のライプ音源 (「アースバウンド」より)
 05 1974年6月28日のライプ音源

まずトラック「01」~「03」まではイアン・マクドナルド(sax,fl,key,vo,vib,etc.)、ロバート・フリップ(g,key)、グレッグ・レイク(el-b,vo)、マイケル・ジャイルズ(ds,per)、そして曲作りやステージの演出を担当する詩人のピート・シンフィールドによる公式デビュー時の音源です。

ただしトラック「01」は「02」のスタジオバージョンを短く編集したもので、おそらくは1976年頃に何故かイギリスで発売されていたシングル盤に収録のものでしょうか? 残念ながらサイケおやじは件のシングル盤を未聴なので、確かは事は言えませんが、「02」を存分に堪能した自分にとっては、物足りないことが否めません。

ですからキング・クリムゾン名義としては、現存する公式ライプソースの中で最も古いとされるトラック「03」が興味深いのは当然でしょう。

そして期待に違わず、激しく混濁しながら狂気と妄想の世界を強烈に構築していくバンドの演奏が唯一無二!

もはやサイケおやじの稚拙な筆など不要であり、まさに聴かずに死ねるかですよ。

気になる音質も、流石はBBCでのスタジオセッションですから、ブートで流出していた頃からの優良保証が、ここでは更なるリマスターで迫力が増していますし、メンバー各々担当パートの分離も素晴らしく、そこから噴出される強烈なアドリブとバンドアンサンブルのスリルはオリジナルバージョンを凌ぐ瞬間さえあると思います。

ですから公式ライプ音源としては「アースバウンド」でお馴染みの「04」が、ロバート・フリップ(g)、メル・コリンズ(sax,key)、ボズ・バレル(b,vo)、イアン・ウォーレス(ds,per) という暴力的なメンバーで演じられた事が賛否両論であったとしても、例によって終盤での緊張感あふれるキメのリフの意思統一作業があるかぎり、それぞれにバラバラだった演奏者が収斂していく様は痛快!

ちなみにこの「04」はアナログ盤時代は些かモコモコした音でしたが、ここに収められたリマスターバージョンはスッキリして聴き易く、それゆえに失われてしまった重量感との引き換え差異は十人十色のお好みでしょうか……。

個人的にはアナログ盤を支持したくなりますが、これはこれで楽しめる事は言うまでもありません。

さて、そこでオーラスのトラック「05」は、記載データを信ずれば、おそらくは一般流通として、このCDが発売された1996年夏の時点では、ここでしか聴けないというライプ音源でした。

メンバーはロバート・フリップ(g,key)、ジョン・ウェットン(b,vo)、ビル・ブラッフォード(ds,vo)、デイヴィッド・クロス(vln,key,vo) という4人組で、ファンの間ではメタル期と称されるほどの硬質な演奏が繰り広げられ、中でもドラムスとベースの突出した大暴れは、それまでのキング・クリムゾンというバンドイメージを壊しかねないほどのアンバランス感!?!?

そして反逆を許さずに抵抗するロバート・フリップとデイヴィッド・クロスの思惑違いが露呈したアドリブの応酬も、これまた大白熱!?!?

ですからグループの歴史の中のライプ音源としては、この時期が最も多くのファンに求められているものとして貴重極まりないのですが、現在では他にも様々なルートで出回っているようです。

ということで、やはり曲そのものの構成が凄いというしかありませんし、実演すれば緊張感が必須の怖さ満点! そんなものばかりを五連発で満喫出来るのは、自虐的幸福感の極みといって過言ではありません。

ただし、車の運転中には絶対に禁物ですよ。

思わず耳を集中させてしまう後には、軽い目眩さえ覚えますからねぇ~。

好きなものは本当は危険という、この世の倣いを痛感させられるのでした。

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ミミというスタアの証明

2011-10-05 15:55:56 | 歌謡曲

おしゃれな土曜日 / ミミ (日本コロムビア)

ミミ萩原を忘れ難く思っているのは、きっとサイケおやじと同世代の皆様でしょう。

今となっては伝説の女子プロレスラーであり、それ以前はキュートなアイドルとして、今もコアなファンが存続し続けている現実を無視するわけにはいきません。

で、サイケおやじが最初に彼女を認識したのは昭和48(1973)年のちょうど今の時期、某所でおそらくはレコード発売のキャンペーンだったのでしょうか、なかなかコケティッシュで華奢な雰囲気と愛くるしい面立ちが強い印象となって残りました。

ただし残念だったのは、その時のサイケおやじはバイト中だったので、肝心の歌は聴けなかったんですが、そういえば同時期には男性週刊誌や芸能誌のグラビア、あるいはテレビ等々に登場する回数も増えていたように思います。

そして以降、「ミミ」という芸名の彼女は急速にアイドル人気が沸騰し、キュートなルックスとナチュラルなエロキューションで忽ちスタアになって、数枚のレコードを発売し、ドラマでもお色気アクションの決定版「プレイガールQ」にレギュラー出演する等々、華やかな活動を展開しています。

しかし仰天させられたのは、その人気が未だ継続中の昭和53(1978)年に女子プロレスラーに転向したことです!

ちなみに入団先は全日本女子プロレスで、当時はほとんど業界独占の会社でしたし、マッハ文朱からジャッキー佐藤&マキ上田のビューティペアと続く大ブレイクが社会現象にもなっていた頃とあって、芸能界の「ミミ」からリングネーム「ミミ萩原」となった彼女は大きな話題を呼んだのですが、元来がショウ的要素の強い女子プロレスをとにかくも本格的な格闘技路線に導いたマッハ文朱~ビューティペアの次のスタアというポイントにおいては如何にも非力でしたし、それゆえにキワモノ扱いは当然のムードが強くありましたですねぇ。

実は後に明らかになったところでは、ミミは芸能界では相当なイジメにあっていたらしく、おそらくはフランス系と言われる出自とか、外国語に堪能な帰国子女というあたりが嫉妬されていたんでしょうか……。

歌手としても率直に言えば「ターヘ」ですからねぇ。それに反比例する人気が妬まれたとしても、それはどんな世界にもある現実のひとつだったと思われます。

しかし、だからといって女子プロレスの世界は決して甘くはありません。

これもひとつの伝説になっているのですが、デビューからの前座試合では連敗記録も樹立しているらしく、なによりも一般人から見ても華奢な彼女が、ガッツリ鍛えられている女丈夫の中でやっていくには決死的な覚悟があったはずです。

ただし救い(?)だったのは彼女自身がプロレス好きだった事、さらにはビューティペアが去って以降、客足も中高生の女の子が激減し、スケベ心を隠しきれない男達にファン層が戻っていた事もあり、そっち向けのベビーフェイスを必要としていた会社の思惑も大きく働いていた事は言うまでもありません。

そこで女子プロレス界の常識(?)としてベビーフェイス=善玉には白い水着という「お約束」がミミ萩原に与えられ、ヒール=悪役にメチャメチャにやられた後に一発逆転という予定調和が大成功!

当然ながら彼女の苦悶の表情、身体を捩りながらのやられっぷりの良さが人気を呼び、加えてストロングスタイルのジャガー横田やデビル雅美といった悪役スタアも台頭する等々、以前よりは沈静したものの、それなりに熱いブームが後の長与千草&ライオネル飛鳥のクラッシュギャルズ登場に繋がったんじゃないでしょうか。

実は皆様もご推察のとおり、サイケおやじはプロレスも好きですが、女子プロレスも大好きで、まあ、このあたりは所謂キャットファイトマニアの本性もあるんですが、生観戦にもかなり行っています。

そして女子レスラーというのは単にリングで試合を見せることばかりが仕事では無く、そこへの行き帰りの通路では観客に尻を撫でられたり、胸タッチや、時には抱きつきなんかも、特にノーテレビの会場では日常茶飯事でした。

そのあたりが女子プロレスのもうひとつの存在意義であって、それゆえに「見世物興業」と紙一重の扱いでもありますから、バリバリのアイドルから転向してきたミミ萩原には絶大な商品価値があったのです。

実際、セクシーパンサーとして売り出された全盛期、つまり昭和55(1980)年頃からの彼女は激ヤバのハイレグ水着で露出度も高く、尻のワレメもギリギリに大きく開いた背中とか、どう考察しても剃毛だろうという「Yゾーン」が眩しいばかり♪♪~♪ もちろん試合中のアクション&リアクションも芝居がかって大袈裟になっていきましたから、本当にたまりませんでしたねぇ~~♪

もちろん件の通路での観客の行為もエスカレートしていたわけですが、流石は芸能界で仕込まれてきたミミ萩原は、そのあたりの対応も実に上手く、矢鱈に怖いニラミを効かす某レスラーよりも人気が高まるのは必然だったのです。

ちなみに当時は全女に所属の女子レスラーもビューティペア以降のブーム凋落には相当な危機感を持っていたらしく、会社側がミミ萩原を「顔」として売り出す事には協力的だったと言われています。

また噂というか、今は定説になっていますが、その頃の女子レスラーは会社の命令(?)でアンダー無しのコスチューム直履きという大サービス♪♪~♪

ご存じのとおり、彼女達の水着は下の部分に「紐」が入っていて、太モモとヒップの間を締めつけているわけですが、それでも激しい試合の最中にはズレが生じる事も間々あり、あるいは乳首のポロリも頻発という中で凝視される試合が熱くならないと言えば嘘になるでしょう。

実際、サイケおやじはクイコミや半マン出し、乳首浮き出し等々の美味しい場面は、たっぷりと生で見ているんですよっ!

特にノーテレビの地方興業なんか、実にアブナイ場面が多かったですねぇ~♪

羨ましいでしょう~~♪

まあ、それは対象の女子レスラーにもよりますが……。

ですから、そういう世界に飛び込んで芸能界と同じくスタアになったミミ萩原が、今もって忘れられないのは当然なのです。

そしてスタア女子レスラーの常として、自ら歌うレコードを発売し、試合前のリングで歌って踊るという部分に関してもトップを取り続け、それゆえに芸能界時代に出していたレコードが中古市場で人気を集めるという、なにか本末転倒のブームもありました。

さて、そこで肝心なのが本日ご紹介のデビューシングル「おしゃれな土曜日」で、安井かずみ作詞&葵まさひこ作編曲というだけで、楽曲の素晴らしさは保証付きなんですが、そのオールディズ調の歌謡ポップスを歌うミミの不安定なボーカルは……。

しかし、そのあたりが所謂「守ってあげたい」症候群を誘発し、女子プロレスのリングで苦悶する彼女に感情移入する起点となった! なぁ~んて言うのは、サイケおやじの全くの独断と偏見にすぎません。

それでも女子レスラーとして人気絶頂時に出した何曲かの自信に満ちた名唱(?)よりは、ずぅ~~っと好感が持てるんですけどねぇ。

ということで、今でこそアイドル系の女子レスラーは大勢存在していますが、少なくとも芸能界の人気アイドルが女子プロレスに転向し、大いなる成功を勝ち得たのはミミ萩原だけでしょう。

それが肉体的にボロボロとなっての引退から芸能界への一時復帰、そして結婚や新興宗教への入信等々、以降も常に世間を騒がせる存在感は、やはりスタアの証明だと思います。

願わくば女子レスラー時代の試合映像、そして芸能界デビュー時の映像も併せて、決定版の復刻ヒストリー集成を出して欲しいものです。

あぁ~、そういう仕事が出来たらなぁ~~~。

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水沢夕子の純情ズベ公歌謡

2011-10-04 15:16:10 | 歌謡曲

私は好奇心の強い女 / 水沢夕子 (日本ビクター)

芸能界一般においてコアなファンの存在は確固たるジャンルになっていると思いますが、とりわけ我国では「廃盤アワー」とか「お色気歌謡」等々、昭和50年代後半からの執拗なブーム称揚によって、それは深化するばかり……。

例えば本日ご紹介の水沢夕子は、ちょいと儚げな面立ちとキュートなルックスのアンバランス感が絶妙ですし、数枚出したシングル盤も、それなりに楽曲に恵まれていたんですが、昭和40年代後半から昭和50年代初め頃のリアルタイムでの活動期間中にはブレイクすることなく、残念ながらフェードアウトしています。

ところが近年、前述したようなマニアック症候群の頻発により、その世界では注目度も高くなったんですから、時の流れは偉大です。

中でも掲載したシングル盤A面曲「私は好奇心の強い女」は、昭和48(1973)年6月に発売されたファンキーロックな歌謡曲の隠れ名演として、密かに好事家を喜ばせていたものです。

尤も、ここでサイケおやじは「ファンキーロック」と書いてしまいましたが、そのあたりは実際に曖昧で、ワウワウなリズムギターに呼応するパーカッション、ビシバシのドラムスに蠢くエレキベースというリズム隊に炸裂するホーンセクションが最高に熱いという演奏パートの特徴は、これが当時は最新流行のスタイルでした。

それはブラスロックでもあり、またニューソウルでもありますから、葵まさひこの作編曲が十八番の展開で冴えわたり、とくれば、片桐和子が書いた、なかなか「あばずれ」な歌詞を熱唱する水沢夕子のボーカルもクールにノッています。

 いえ いえ あなたはいい人よ
 私と暮らすと ダメになる

いゃ~~ぁ、愛した男に好き放題に抱かれ、自分の都合で去っていく女の狡い言い訳が、こんなふうにサビで歌われてしまわれては、たまりませんねぇ~♪

ハスッパなスベ公の純情をしぶとく滲ませた、これぞっ! 歌謡曲保守本流の曲メロも最高だと思います。

ちなみに同時期に発売されていた梶芽衣子の「はぐれ節」は昨日ご紹介致しましたが、似たようなファンキー&フュージョンのビートを用いながら、あまりに隔たった両曲の完成イメージは、この「私は好奇心の強い女」が如何に泥臭い部分を狙ったかにあるような気が致します。

つまり昭和歌謡曲に特有の「下世話さ」が、新しい洋楽ビートで彩られる時、そこには「好きな人には好きとしか言えない」世界が現出し、まさに筆舌に尽くし難い快楽が提供されるのです。

平たく言えば、歌謡曲って、こんなにE~~♪ もんだったのかっ!?!

そこに集約されるんじゃないでしょうか。

既に述べたように、リアルタイムでは売れなかった水沢夕子は何故か、名前だけは今も記憶されている事が多く、当時はかなりマスメディアでの露出も多かったのかもしれません。

実はサイケおやじが彼女を知っている一番の事例が、杉本美樹と池玲子が共演したスケバン人気映画「恐怖女子高・暴行リンチ教室(昭和48年3月・東映・鈴木則文監督)」への出演で、劇中では「美人局のノブエ」として登場し、一緒に悪辣な学校側と対決する姿勢を見せてくれますよ。

特に学校の屋上で杉本美樹の仲間になる場面では、彼女のアップも拝めますし、現在はDVD化されていますので、ご覧くださいませ。

ということで、当時は所謂「ズベ公歌謡」もひとつの流行でありました。

例えば大信田礼子は、その中でも特級にヒット曲も多いわけですし、他にも同系の女優さんとして賀川雪絵や杉本美樹、そして池玲子や須藤リカ等々が強い印象を残すレコードを発売しています。

そして一方、歌手でありながら映画出演もしていた太田美鈴や西来路ひろみ等々が、それに合わせたスベ公節を聞かせてくれたのも、また時代の要請だったように思います。

もちろん水沢夕子が出した、この「私は好奇心の強い女」にしても、前述の「恐怖女子高・暴行リンチ教室」への出演と無関係の企画ではないと思われます。

なによりも、他人事のストーリーを語るような彼女の歌いっぷりが素敵ですよ♪♪~♪

今となっては全てが懐かしく、ちょいと気恥かしい感じも否定出来ないわけですが、時には独り、車を運転する時等々、こうした歌を流しては自分が若かった頃の「昭和」を思い出し、せつない気分になっているのでした。

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梶芽衣子 vs 大野雄二

2011-10-03 15:48:59 | 歌謡曲

はぐれ節 c/w 牙のパラード / 梶芽衣子 (テイチク)

さて、昨日に引き続き、本日も大野雄二関連の楽曲であります!

ご存じ、梶芽衣子が人気沸騰期の昭和48(1973)年に主演したテレビドラマ「戦国ロック・はぐれ牙」の主題歌&挿入歌をカップリングしたシングル盤なんですが、今となっては大野雄二と梶芽衣子のコラポレーション……??? なぁ~んて、ちょいとしたミスマッチの先入観を感じてしまわれる皆様も大勢いらっしゃるかもしれませんねぇ。

なにしろ当時の梶芽衣子と言えば、あの日本映画史に輝く「女囚さそり(東映)」シリーズをメガヒットさせ、その主題歌「怨み節」もヒットパレードを席巻していたのですから、発売されるレコードは、ど~しても歌謡曲系怨歌というイメージが抱かれて当然でしょう。

一方、大野雄二は今日、フュージョンサウンドを駆使した「ルパン三世」諸作のサントラ音源、あるいは松田優作主演の劇場用本篇「遊戯シリーズ(東映)」等々で堪能出来るサスペンス風味のジャズフュージョン、そしてCMやテレビ関連音源でのハートウォームな世界が一般に定着していますから、歌謡曲の仕事にしても、昨日ご紹介した、しばたはつみの「シンガー・レディ」あたりが真っ先に思い浮かんでしまう中で、梶芽衣子とのレコード制作は、う~ん……。

そういう気分が優先されても、それはサイケおやじにも納得出来る部分があります。

しかし同時に、このシングル盤はテレビドラマとはいえ、当時の梶芽衣子の女優としてのイメージを活かしたアクション&ハードボイルドな本質が実に熱い、まさに局地的人気作品の劇伴ですから、とにかく聴けばシビれるのは必至ですよ!

ちなみに件のドラマを「局地的人気作品」と書いたのは、フジ系列で昭和48(1973)年8~9月、僅か9本だけが放送されたという実績が全てを物語るように、結局は視聴率争いに敗北したのが幻化の要因だと言われています。

それでもサイケおやじは相当に夢中になったのは言わずもがな、速攻で掲載したシングル盤をゲットさせられたほどっ!

それはA面の「はぐれ節」からして、いきなり炸裂する16ビートにテンションの高いホーンリフ、さらに哀愁&サスペンスフルなイントロが、もう完全に「ルパン三世」しているんですねぇ~~♪

もちろん梶芽衣子のボーカルは所謂ドスの効いた歌い出しから、十八番の幾分細い高音で伸びのある節回しを披露するサビの気持良さが痛快! また独得のコブシも冴えまくりですよ♪♪~♪

そして、もうひとつ耳を奪われるのがリズム隊のヘヴィ&シャープなグルーヴの凄さで、これを昭和48(1973)年当時の我国で実践していた大野雄二の感性は流石というところでしょう。

粘っこいストリングの調べやチャカポコのリズムギターも良い感じ♪♪~♪

アルトフルート(?)による尺八調の間奏も、これが「ルパン三世」へと転用される雛型かもしません。

ところがB面の「牙のパラード」では、タイトルどおりにグッとテンポを抑制したジャジーなリズム隊と哀愁たっぷりのハーモニカで醸し出されるイントロのメロデイからして、新しい歌謡曲の誕生という事でしょうか。

細いけれども芯のしっかりした高い声でストレートに歌う梶芽衣子が、そのあたりをじっくりと把握した魂のボーカルを聞かせてくれるのは言わずもがな、なにやら時代を味方につけたが如き雰囲気の良さも特筆物だと思います。

それが両面2曲共、大谷実:作詞&大野雄二:作編曲というソングライターコンビにも逆伝染したのでしょうか?

とにかく、ここでの退廃的で鋭いムードこそが、日活時代のヒットシリーズ「野良猫ロック」等のニューアクション路線から継承される梶芽衣子そのものと言っては、以降にまだまだ秀作&傑作を残した彼女には失礼だとは重々承知しています。しかし、そうした魅力を堂々と表出可能なのは、未だ梶芽衣子以外には存在していないのです。

あぁ~、何度聴いてもシビれがとまりません!

現在ではCD化もされておりますので、ぜひとも皆様にもお楽しみいただきとうございます。

そしてすっかり幻化している「戦国ロック・はぐれ牙」の復刻パッケージ化も、ぜひっ!

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しばたはつみはシンガーレディ

2011-10-02 15:16:08 | 歌謡曲

帰らざる日々 c/w シンガー・レディ / しばたはつみ (日本コロムビア)

歌謡曲を保守本流とする我国芸能界において、本格的な洋楽テイストでブレイクした朱里エイコがきっかけとなり、昭和50年代には所謂ショウビズ系の実力派女性シンガーが続々と表舞台に登場しています。

その中でも、しばたはつみはプロのミュージシャンだった両親に英才教育を施されたのでしょう、幼少期からジャズやポピュラーミュージックを歌っていたそうですから、既に十代の頃には様々なバンドの専属歌手としてステージで活動していた履歴がありました。

そして昭和43(1968)年には、「はつみかんな」の芸名で本格的なレコードデビューを果たし、同時にCMソングの世界でも、例えば小川ローザの人気に火がつけられた某ガソリン会社のテレビコマーシャル「オー!モーレツ」は社会現象にもなったのですが、そこで実際に歌っていた彼女には注目が集まる事は無く……。

ですから、「はつみかんな」名義で出した数枚のシングル盤、および昭和46(1971)年の「麻まにか」名義の再デビュー盤も、全くヒットしていません。

しかし、その実力は業界では高く評価され、また渡米しての芸能修行も経た後、昭和49(1974)年に「しばたはつみ」となって、再々デビューに至るのですが、現実的には当時の歌謡界で彼女の居場所は極端に限られており、結果的にTBSの深夜音楽番組として密かな人気を集めていた「サウンド・イン・S」にレギュラー出演した事が良かったんじゃないでしょうか。

実はサイケおやじも、しばたはつみを初めて見たのが件の番組で、そこにはジャズピアニストの世良譲を音楽監督(?)にした大人のエンタテイメントが毎週繰り広げられていましたから、彼女の持ち味であるジャジーでソウルフルな世界が、それに留まらない実力と共に日本中の音楽ファンを瞠目させたのです。

彫の深いフィリピーナ系の面立ちとスレンダーでバランスの良い肢体も非常に良い雰囲気でしたねぇ~~♪

こうしてジワジワと人気を高めていった彼女が、ついにブレイクのきっかけを掴んだのが本日ご紹介のシングル盤とはいえ、告白するとサイケおやじは決して自ら買ったものではなく、これが発売された昭和50(1975)年晩秋に知り合いからプレゼントされたというのが真相です。

と言うのも、ちょいと脇道に外れますが、当時のサイケおやじは度々述べてきたように、ロマンポルノを中心とする成人映画の世界にもどっぷりと浸かり込んでいたんですが、そういう作品を上映する劇場に集う面々が自然と友人関係になるのも世の中の常であり、学生も社会人も立場の相違に関係無く、共通の趣味嗜好を持つわけですから、エロ映画以外にも話が合うという中で、何故かあまり音楽には興味が無いと思われていた初老の紳士からの頂き物が、これでした。

ちなみにそういう交友関係はサイケおやじ周辺の場合、相手の氏素性は特に詮索しないのがひとつの「掟」みたいになっていたんですが、この時は後で感想等々を聞かせてほしいとの事……。

そこで早速、帰宅してレコードに針を落した瞬間、全身の血液が煮え滾るが如き興奮を覚えましたですねぇ~~♪

なにしろそれは、当時の日本では最先端のファンキー歌謡でしたからっ!!

なんとっ! 結論から言うと、サイケおやじはB面の「シンガー・レディ」を先に聴いてしまったんですねぇ~~♪

しかし、これが大正解!!!

アップテンポでビシバシに弾ける16ビートのシンコペイションにノリまくったソウルフルなボーカルは実に爽快ですし、サビでスローダウンさせる展開での余裕と感情表現の豊かさは、本当に絶品ですよ♪♪~♪

また演奏パートの凄さは、参加メンバーに杉本喜代志(g)、松木恒秀(g)、岡沢章(b)、村上秀一(ds) 等々の名手が揃っていますし、なによりも大野雄二(key,arr) が実質的なバンマスというだけでホーンやストリングスの使い方もツボを外す事なく、それは証明済みと納得される皆様も大勢いらっしゃるはずです。

もちろんそこにはご存じ、「ルパン三世」のサントラ音源と同質のグルーヴ&メロディがテンコ盛り♪♪~♪ この「シンガー・レディ」にしても、そのまんま同作品に使われたとて、全く違和感は無いでしょう。当然ながら作編曲が大野雄二本人である事は言わずもがな、武田全弘の作詞も「シンガー・レディ=しばたはつみ」を表現せんとする確信犯(?)的な良さがありますよ。

一方、A面の「帰らざる日々」は作詞:橋本淳、作曲:宮本光雄のコンビによるポピュラー系の歌謡パラードなんですが、大野雄二のアレンジは如何にもスマートなフュージョン感覚の中にも下世話な味わいが流石!

これを所謂ニューミュージックと定義するのは十人十色の感性でしょうが、しばたはつみも、そのあたりを上手く解釈した、良い意味でのダサいフィーリングは逆説的に素晴らしいと思いますねぇ~♪

ですから、これがリアルタイムではパチンコ屋とか炉端焼きの店で流れる有線放送でも、なかなかヒットしていましたし、「しばたはつみ」という素晴らしくお洒落な歌手を世間一般に知らしめるには最高の1曲だったはずで、この頃から普通の歌謡番組にもテレビ出演が増えていったと記憶しています。

ちなみに同時期に発売されたアルバム「シンガーレディ」は、もちろんこのシングル盤両面2曲を含め、全篇が大野雄二のアレンジで纏められた大名盤! サイケおやじも速攻でゲットさせられ、聴き狂った勢いは、今も継続中なんですよっ!

ということで、しばたはつみは日本において、洋楽しか聴かない偏向した音楽ファンをも虜にする魅力的な歌手のひとりでした。

そうした立場は朱里エイコも同じでしたが、朱里エイコが十八番のダンスも含めたエンターテイナーとしての存在感を強めていったところを、しばたはつみはセクシーな露出はそこそこでも、歌手としての柔軟な器用さを前面に出していたように思います。

あぁ、まさしくシンガー・レディ!

昭和52(1977)年の大ヒット「マイ・ラグジュアリー・ナイト」は、その最高の成果でありましたが、極言すれば残された音源は全てが最高であり、時にはジャジーに、また、ある時にはソウルフルに歌謡曲を演じてくれた歌声は、決して忘れられるものではありません。

ご存じのとおり、彼女の昨年春の突然の訃報は記憶に新しいわけですが、ここらでひとつ、朱里エイコ同様に素晴らしいボックスセットの復刻を熱望しています。

そして最後になりましたが、このシングル盤をプレゼントしてくれた件の紳士は、後に知ったところによると、しばたはつみを子供時代から注目していたというファンと言うよりも後援者だったようですね。おそらくはレコードが出る度に自腹で大量買いしていたというエピソードもあったらしく、羨ましいほど心が温まります。

しかしサイケおやじは、バチアタリにもジャケットを破損させたまま今日に至り、ネットで同じ画像を探そうと思いましたが、これも帰らざる日々と思っているのでした。

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