今展開されている「名古屋市立保育園の民営化についての住民投票請求」の署名運動にかかわるブログが立ち上がっています。
この運動にかかわり始めて、公式のブログまたはHPのないのが不思議でしたが、あると聞いて早速読ませてもらいました。
ところがこれがなかなか面白い。公式な宣伝ビラのような内容でなく、問題の核心に平易に迫っていていいのです。
その一つを紹介します。関心のある方はぜひお読みください。
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「真の問題点はなんだ?」
確かに、表面上は、公立保育園の廃園・民営化の問題です。
でも、そこで問われているのは、市のお金の使い方なのです。
公立保育園の廃園・民営化に反対する人たちと話していて、しばしば引き合いに出されるのは、本丸御殿復元事業です。
曰く、保育園に掛ける予算は無いと言いながら、本丸御殿復元には多額の費用がつぎ込まれているじゃないか!!
ま、確かにその通りなんですが、「そうだ、そうだ!!」とは、簡単に同調できないのです。
保育園か、本丸御殿か。
ことは、そんな単純な二者択一ではなかろう、と思うのです。
少なくとも、次の3つの問題が頭に浮かぶのです。
ひとつめの問題は、いつ、何に、いくら使うのか、ということです。
ふたつめは、それがどのように決定されているのか。市民の大多数から、合意を得られているのか。
みっつめは、その説明をきちんとしているのか。市側は、説明責任を果たしているといえるのか。また、裏を返せば、市民の側は、関心を持って注目し、説明を要求しているのか。
という点です。
例えば。(数字には、なんら根拠はありません。単なるたとえです。)
市には、自由に使えるお金が100円しかないとします。
本丸御殿の復元には、80円かかるとします。
保育園の整備拡充にも、80円かかるとします。
両方同時には出来ないので、どうしましょうか?というような場合です。
本丸御殿の復元か、保育園の整備か、どちらか一方を選ぶ、というのではなく。
ましてや、どちらを選ぶにしても、市民の声を全く聞かずに決める、というのではなく。
市民一人一人にとって、また、近い未来の社会にとって。今、何をすべきか。何にいくら使うべきか、という最低限の共通理解・合意が形成されているかどうかが重要だと思うのです。
ところで、本丸御殿復元事業というのは、そんなに意味の無い、無駄なものなんでしょうか?
名古屋城天守閣は、戦災で消失しました。焼失をまぬかれた、本丸御殿にあった襖絵などの調度品類は、文化的、歴史的価値が低いものでしょうか?これらを展示し、一般の観覧が出来るようにするのは、意味の無いことでしょうか?
文化財を保護したところで、すぐに目に見える具体的な効果は実感しにくいものです。
だからといって、文化財の保護をしない、という選択は正しいこととは思えません。
名古屋市だけでなく、日本全体で考えても、決して意義は小さくないと思うのです。
よく考えたいのは、ここからです。
それらが歴史的価値のある文化財だとしてですよ。きちんと保存・管理が出来る状態で一般の観覧に供するのは意味のあることだ、としてですよ。
本丸御殿を復元して展示しなければならない、のでしょうか?
美術館や博物館の収蔵品とすることでは、こと足りないのでしょうか?
復元事業を実施するのは、なぜ「今」なのでしょうか?例えば、5年後、10年後では、市民の生活に、著しい不利益を生じるのでしょうか?
というようなことです。
こういったいろんな可能性が検討され、充分議論が尽くされ、市民に向けて丁寧に説明がなされ、総意として合意が得られた、と言い切れるでしょうか?
問題とすべきは、復元事業そのものではなくて、事業決定に至った経緯とその説明の有無、責任の所在の明確化ではないのか、と思うのです。
となると、行き着くところ、現時点での私の到達点は、こうです。
真に問われているのは、市民が市政に関心を持って注目しているのかどうか?という、市民の姿勢なのだ。自戒を込めて。
★このブログのアドレスは http://nkh.blog.so-net.ne.jp/ です。
この運動にかかわり始めて、公式のブログまたはHPのないのが不思議でしたが、あると聞いて早速読ませてもらいました。
ところがこれがなかなか面白い。公式な宣伝ビラのような内容でなく、問題の核心に平易に迫っていていいのです。
その一つを紹介します。関心のある方はぜひお読みください。
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「真の問題点はなんだ?」
確かに、表面上は、公立保育園の廃園・民営化の問題です。
でも、そこで問われているのは、市のお金の使い方なのです。
公立保育園の廃園・民営化に反対する人たちと話していて、しばしば引き合いに出されるのは、本丸御殿復元事業です。
曰く、保育園に掛ける予算は無いと言いながら、本丸御殿復元には多額の費用がつぎ込まれているじゃないか!!
ま、確かにその通りなんですが、「そうだ、そうだ!!」とは、簡単に同調できないのです。
保育園か、本丸御殿か。
ことは、そんな単純な二者択一ではなかろう、と思うのです。
少なくとも、次の3つの問題が頭に浮かぶのです。
ひとつめの問題は、いつ、何に、いくら使うのか、ということです。
ふたつめは、それがどのように決定されているのか。市民の大多数から、合意を得られているのか。
みっつめは、その説明をきちんとしているのか。市側は、説明責任を果たしているといえるのか。また、裏を返せば、市民の側は、関心を持って注目し、説明を要求しているのか。
という点です。
例えば。(数字には、なんら根拠はありません。単なるたとえです。)
市には、自由に使えるお金が100円しかないとします。
本丸御殿の復元には、80円かかるとします。
保育園の整備拡充にも、80円かかるとします。
両方同時には出来ないので、どうしましょうか?というような場合です。
本丸御殿の復元か、保育園の整備か、どちらか一方を選ぶ、というのではなく。
ましてや、どちらを選ぶにしても、市民の声を全く聞かずに決める、というのではなく。
市民一人一人にとって、また、近い未来の社会にとって。今、何をすべきか。何にいくら使うべきか、という最低限の共通理解・合意が形成されているかどうかが重要だと思うのです。
ところで、本丸御殿復元事業というのは、そんなに意味の無い、無駄なものなんでしょうか?
名古屋城天守閣は、戦災で消失しました。焼失をまぬかれた、本丸御殿にあった襖絵などの調度品類は、文化的、歴史的価値が低いものでしょうか?これらを展示し、一般の観覧が出来るようにするのは、意味の無いことでしょうか?
文化財を保護したところで、すぐに目に見える具体的な効果は実感しにくいものです。
だからといって、文化財の保護をしない、という選択は正しいこととは思えません。
名古屋市だけでなく、日本全体で考えても、決して意義は小さくないと思うのです。
よく考えたいのは、ここからです。
それらが歴史的価値のある文化財だとしてですよ。きちんと保存・管理が出来る状態で一般の観覧に供するのは意味のあることだ、としてですよ。
本丸御殿を復元して展示しなければならない、のでしょうか?
美術館や博物館の収蔵品とすることでは、こと足りないのでしょうか?
復元事業を実施するのは、なぜ「今」なのでしょうか?例えば、5年後、10年後では、市民の生活に、著しい不利益を生じるのでしょうか?
というようなことです。
こういったいろんな可能性が検討され、充分議論が尽くされ、市民に向けて丁寧に説明がなされ、総意として合意が得られた、と言い切れるでしょうか?
問題とすべきは、復元事業そのものではなくて、事業決定に至った経緯とその説明の有無、責任の所在の明確化ではないのか、と思うのです。
となると、行き着くところ、現時点での私の到達点は、こうです。
真に問われているのは、市民が市政に関心を持って注目しているのかどうか?という、市民の姿勢なのだ。自戒を込めて。
★このブログのアドレスは http://nkh.blog.so-net.ne.jp/ です。