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ガザからのメール        ネット虫

2009年02月02日 20時41分21秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
☆暫く休止していましたガザのアブデルワーヘド教授のメールを再び紹介します。
 このメールは京都の岡さんが教授から送られたものを訳し、寺尾氏を介してグループメールへ届いたものです。今回は最新のメール39・40を紹介します。

******************************************************************* 【メールその39】
日時:2009年1月21日(水)14:14
件名:ガザ侵攻時間 第25日(2009年1月21日水曜)

皮肉なことだ;侵攻が終わったのだという。イスラエルの戦車が
その場から引き揚げていく。だが、私は言おう、侵攻は終わって
などいない。侵略者たちは今なおガザ地区の中にいるのだから。
再配備は撤退を意味するものではない!三首脳会談が続いて
開かれたが何を決めるというのだ? 政治的文脈で言っている
のではない、人道的文脈の話をしているのだ!私の主たる関心は、
市民が負傷したことであり、人間の命が失われたことだ!不幸な
ことに、どの国王も、大統領も、首長も、スルタンも、国家の代表団も、
誰一人として、イスラエルが人権を侵害したとは敢えて口にしよう
ともしないのだ;市民に対し、住宅に対し、白燐弾を無差別に
用いたことも「見えなかった」のだ!

最大の損害のひとつが農業生活の破壊だ! イスラエルは実に
広大な農業地帯を破壊した;ガザ地区全域に比して、それは
広大だ。軍事用ブルドーザーで木々を根こそぎにし、温室を
破壊し、植物を、穀物を、井戸を、灌漑システムを、電線を、
そして畑にあるほかのありとあらゆるものを破壊した。文字通り、
その周りにあるありとあらゆるものだ! 彼らは家畜を殺し、
食肉用の動物を殺し、鶏まで殺した! 土地の姿が変わって
しまった!小さな土地を仕切る垣根さえ、壊された! 農民たちの
家さえも破壊された! 農地は、私の掌のようにまっさらになって
しまった! イスラエルはガザ地区で生きているパレスチナ人
ことごとくを罰したのだ! 損害のおよそ50%が、農地における
ものだと算定されている。

ありていに言えば、イスラエルの対ガザ戦争は、ガザ地区の
ありとあらゆる者たちに対する無差別懲罰であったことが分かる!
それは、来るべき世代を殺害するプロセスだった;何百人もの幼児、
子どもたちが瓦礫の下で殺された。また、何百人もの女性たちが
民間人の住まいに対する狂気の爆撃で殺された! イスラエルによる
正当化や言い訳はまったくもって愚かしい。国連総長がガザを
訪れた;彼は、UNRWAの学校で罪もない市民がいかに非人道的な
生活をしているか視察した;彼は、ジャバリーヤ〔難民キャンプ〕にある
アル=ファフーラの学校へも足を運んだ。そこでは、イスラエルの戦車
からの砲撃によって、避難していたパレスチナ人67名が殺され、
何十人もが負傷したのだった! 事務総長は、彼自身の言葉で
イスラエルを非難したか? だから何だ? そう私は言いたい、
だから何だ、国連事務総長の訪問が何だというのだ! 3つの首脳会談が
中東地域で開かれたが、イスラエルによる人権侵害、戦争犯罪を
非難する言葉は一言も口にされなかったではないか!

ガザでは、人々は今なお、彼らの死者たちを見つけようと努力している。
停戦になって最初の日だけで103体もの遺体が瓦礫の下から発見された。
その翌日にはさらに26体。捜索はなお続いている。全家族が、人間性の
地図から一掃されてしまったのだ! 今や私たちは、いかにしてか怪我を
免れた者たち、生き残った者たちについて語るなら、世話してもらわねば
ならない何十人もの孤児たちのことを語ることになるだろう! いったい
これらの子どもたちを誰が面倒をみるのか? 何の設備もなく、孤児の
ための正式な社会プログラムも何一つないというのに? ガザ地区には
孤児院が一つだけあるが、寄付と善良な施し主に依存する脆弱な組織だ。

侵攻25日目、敵対行為が停止され停戦になったというのに、
イスラエルの戦車がガザ地区中部地域に進攻し、2名を殺害した!
一方、昨日と今朝、イスラエルの軍艦から砲撃があった!
言うまでもないことだが、イスラエルの偵察機が複数、依然、
頭上でいらだたしい唸り声を上げている。そしてイスラエルの
戦車も依然、ガザ地区の境界内に展開しているのだ!

----- Original Message -----
Sent: Wednesday, January 21, 2009 9:14 PM
Subject: Al-Quds hospital in Gaza burnt by Israeli army

(京都の岡さんのコメント)

ガザのアブデルワーヘド教授のメール(40)を、拙訳をつけて転送します。
ガザ市内の学校が再開されました。
学校再開は子どもたちにとって、喜びよりも、むしろ、級友たちを見舞った
新たな悲しい物語に触れる機会になってしまいました。

2002年4月、イスラエル軍の一大侵攻を受け、徹底的に破壊されたジェ
ニン難民キャンプで、数日前に再開されたばかりの国連の学校を訪れました。
多くの子どもたちが、家を破壊され、肉親や友人や隣人が殺されるのをその
目で見てしまっていました。
教科書はまだ、瓦礫の下です。

ジェニンの街の青年たちの有志のグループが、学校再開初日に、子どもたち
にお芝居を見せに学校に行ったという話をそこで聞きました。
「今、子どもたちにいちばん必要なのは、笑いだと思ったから」と青年団の
団長のサーミーは言いました。

いま、ガザの子どもたちが必要としているのも、傷ついた心を癒す「笑い」
なのかもしれません。

ガザの子どもたちが笑顔を取り戻せるようにすることこそ、私たちの責務な
のかもしれません。

【メールその40】
日時:2009年1月24日18:38
件名:学校再開初日


ガザ市内の学校が再開された初日、精神的外傷を負った生徒たちのさまざま
な物語が新たに分かった! たとえば私の末の息子は学校に行きたがらな
い。イスラエルが新たに攻撃を仕掛けてくるかもしれないと言って恐がって
いるのだ。息子は、もと治安警察の複合ビルに対するF16による奇襲攻撃
に遭遇していた。その場で5人の市民が――通りがかりの者たちだった――即死
した。うち3人は、息子がスクールバスを待って立っていた場所からほんの
数メートルのところで亡くなったのだった! 大丈夫だからと、学校当局は
今日一日まるまる、子どもたちを楽しく遊ばせようと心を砕いているから
と、息子に納得させるのは至難の業だった。

ところで、12歳になる息子のカリームは、クラスの優秀者名簿の筆頭で、学
校や先生たちのことが大好きだ! その息子が学校から帰って、侵攻によっ
て傷ついた他の者たちの話をいろいろ聞かせてくれた。どの生徒にも新たな
恐怖の物語がある;誰もが心に傷を負っている!

長男のハルドゥーン(16歳)は、アメリカのパスポートを持っているのだ
が、彼から聞いたのは、一人の生徒が空襲で殺されたこと、また、ほかの生
徒が手を負傷して病院に担ぎ込まれたことなどだった。その生徒は、病院に
着くやいなや、手を切断された。学校もぞっとするような話で満ち、悲しみ
に沈んでいた。

17歳になる娘ソムード、彼女もアメリカのパスポートを持っている。彼女は
私と長時間にわたる話し合いの末、学校に行った。学校が再開された初日の
ようすを見てくるようにと、私は娘を説得した;それは問題なかった。学校
で、彼女は、イスラエル兵による拷問について微にいり細を穿った話を聞い
てしまったのだった! 娘が学校を出て歩いていると、彼女の同級生が地面
を強く蹴った。砂が燃え上がった。爆弾の破片があったのだ:イスラエル軍
が撤退して8日たっても、白燐弾が残っていて、ある状況のもとで発火する
のだ。

昨夜はゆっくりと眠った。この30日以上ものあいだで初めてのことだ。だ
が、子どもたちのことがなおも心配だ。子どもたちのうち2人は依然、自分
のベッドで眠ることができない。 子どもたちがふつうの生活に戻れるよ
う、ケアし続けなければ。


コメント (1)
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「きっと戦争だって克服できる」  益川氏のインタビューから

2009年02月02日 01時11分42秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英教授の朝日新聞でのインタビューを読んだ。「平和の日々を願う」という表題の記事に感銘したので紹介したい。
(まもる)

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 受賞講演で「自国が引き起こした無謀な戦争」という表現で太平洋戦争に言及した益川氏は1940年生まれ。五才の時名古屋空襲のを受け家族とともに逃げ惑う経験をした。
 終戦直後に小学校に入学、戦時中も祖父母が朝鮮で豊かな暮らしをしていたという母の話を妹がうれしそうに聞いていた時、「そんなのは侵略じゃないか!!」と怒鳴った事もあり、戦争につながるもので利益を得ることは許せなかったという。
 大学時代、恩師の坂田氏の「科学は平和に貢献するべきもので、原水爆には科学者として反対を貫くべきだ。」の主張に賛同し反核の声明発表の手伝いをしたり、ベトナム戦争の反戦デモでは市民集会の講師などもしたことがある。
 自分の仕事は研究者であるが、少なくとも同時に一市民として平和運動の末端に身を置きたいと考えている。
 そして、「九条の会」のアピールに賛同して05年3月「アピールを広める科学者・研究者の会」の呼びかけ人になった。日本を「戦争のできる国」に戻したい人たちが改憲の動きを強めているのにほってはおけないでしょう。
 いろいろ理屈をつけて自衛隊をイラクに派遣しが、海外協力は自衛隊でなくてもできるはず。
 いますぐ、お尻に火がついている事態だとは思わないが、本当に九条が危ないという政治状況になれば、軸足を研究から運動に移すつもりだ。

 僕は物理屋でいる時は悲観論者だが、人類の歴史については楽観的だ。人間はとんでもない過ち犯してきたが、最近は理性的で百年単位で進歩してきたと信じている。黒人差別が当然とされていた百年前、誰が米国の黒人大統領の誕生を信じただろう。
 能天気と言われるかも知れないが、今起きていることの不都合や悪について、みんなで認識しあえばきっと戦争だって克服できる時が来ると思う。
 
 
 
コメント (4)
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