わが明日の命なりけりみどり児に
頬おしあてて憂きは思はず 東京 今井田清子
たらちねの母のひとみを見るたびに
いばらの道に光さしそふ 東京 橋本 薫
☆昭和25年(1950)
■NHKのラジオ歌謡が2つの名作を生んだ。『白い花の咲く頃』(作詞/寺尾智沙・作曲/田村しげる)は、コロムビア専属だったが、なかなか目が出なかった岡本敦郎を一気に売り出すきっかけとなった。また、『あざみの唄』(作詞/横井弘・作曲/矢州秀章)は、『高原の旅愁』や『山のけむり』などを歌っていた伊藤久男を抒情派歌手として完成させた。それから二十年後、フォーク歌手あがた森魚が何となく大正ロマンを反映させた『赤色エレジー』を歌ったが、その歌いだしの部分が『あざみの歌』に酷似していると、音楽関係者の間で話題になった。
なお、この25年当時は、映画主題化がレコード化されて、すぐにヒットする時代で、『東京キッド』(美空ひばり)『山のかなたに』(藤山一郎)『母紅梅の唄』(菊池章子)など日本映画の中に『ボタンとリボン』(アメリカ映画『腰抜け2丁拳銃』池真理子)『赤い靴のタンゴ』(イギリス映画『赤い靴』にあやかって奈良光枝)など、外国映画にちなむ歌も多かった・
★戦後歌謡史より http://www5a.biglobe.ne.jp/~ko-w/sub35.htm.htm
頬おしあてて憂きは思はず 東京 今井田清子
たらちねの母のひとみを見るたびに
いばらの道に光さしそふ 東京 橋本 薫
☆昭和25年(1950)
■NHKのラジオ歌謡が2つの名作を生んだ。『白い花の咲く頃』(作詞/寺尾智沙・作曲/田村しげる)は、コロムビア専属だったが、なかなか目が出なかった岡本敦郎を一気に売り出すきっかけとなった。また、『あざみの唄』(作詞/横井弘・作曲/矢州秀章)は、『高原の旅愁』や『山のけむり』などを歌っていた伊藤久男を抒情派歌手として完成させた。それから二十年後、フォーク歌手あがた森魚が何となく大正ロマンを反映させた『赤色エレジー』を歌ったが、その歌いだしの部分が『あざみの歌』に酷似していると、音楽関係者の間で話題になった。
なお、この25年当時は、映画主題化がレコード化されて、すぐにヒットする時代で、『東京キッド』(美空ひばり)『山のかなたに』(藤山一郎)『母紅梅の唄』(菊池章子)など日本映画の中に『ボタンとリボン』(アメリカ映画『腰抜け2丁拳銃』池真理子)『赤い靴のタンゴ』(イギリス映画『赤い靴』にあやかって奈良光枝)など、外国映画にちなむ歌も多かった・
★戦後歌謡史より http://www5a.biglobe.ne.jp/~ko-w/sub35.htm.htm