すでに新聞で報道されたように、私たち昭和区九条の会の呼びかけ人でもあり、名古屋市長を1973年から連続3期務めた本山政雄(もとやま・まさお)氏が11日午前9時6分、急性心不全のため、名古屋市内の病院で亡くなられました。98歳でした。
名古屋大学の教授の職をなげうち、73年、社会党(当時)、共産党の支援を受ける革新候補として市長選に出馬。保守系で4選を目指した現職の杉戸清氏を破って初当選されました。
当時の美濃部亮吉・東京都知事ら他の革新首長と同様、高度経済成長までの都市開発を見直し、福祉政策に力を入れました。
65歳以上のお年寄りが無料で地下鉄や市バスに乗ることができる「敬老パス」制度を73年に導入。乳幼児や高齢者らの医療費助成の拡充、保育園の増設などに力を注がれました。
退任後も平和・護憲の立場から様々な活躍をされました。
全国的な革新のうねりのなかで、多くの市民を勇気づけ平和、福祉社会への希望を体験させてもらった方でもあります。
私たちの昭和区九条の会では発足の呼びかけ人として、最初に名前があがりお願いに行った方でもあります。そして当時九十五歳の高齢にもかかわらず。積極的にお引き受けいただきました。
そして「昭和区平和平和美術展」には毎回メッセージを寄せていただきました。
また、昨年八月の「平和の集い」に車いすで参加いただき、マイクを握って「これからも憲法九条を守るために生きていきたい、百歳になってもこの会場であいさつしたい。ともに頑張りましょう。」と元気に挨拶されました。
そして会場の参加者はその元気さに励まされるとともに、自分たちが革新のうねりの中で市長選に未来を信じ、情熱を託した熱気と感激を思い起こし熱い拍手を送りました。
病気がちで入退院を繰り返された昨年暮からも、「九条の会ニュース」をお届けするたびに、百歳を超えてもがんばりたいと、会の事を気にかけてくださいました。
私たち会員も「会の呼びかけ人」に「本山さん」の名をお載せすることに誇りを感じてきました。先生の志を受け継いで「平和・護憲・福祉」に会員一同力を尽くしていきたいと思っております。
心からのご冥福をお祈りいたします。
★写真は昨年八月平和の集いで元気に挨拶される本山氏です。
名古屋大学の教授の職をなげうち、73年、社会党(当時)、共産党の支援を受ける革新候補として市長選に出馬。保守系で4選を目指した現職の杉戸清氏を破って初当選されました。
当時の美濃部亮吉・東京都知事ら他の革新首長と同様、高度経済成長までの都市開発を見直し、福祉政策に力を入れました。
65歳以上のお年寄りが無料で地下鉄や市バスに乗ることができる「敬老パス」制度を73年に導入。乳幼児や高齢者らの医療費助成の拡充、保育園の増設などに力を注がれました。
退任後も平和・護憲の立場から様々な活躍をされました。
全国的な革新のうねりのなかで、多くの市民を勇気づけ平和、福祉社会への希望を体験させてもらった方でもあります。
私たちの昭和区九条の会では発足の呼びかけ人として、最初に名前があがりお願いに行った方でもあります。そして当時九十五歳の高齢にもかかわらず。積極的にお引き受けいただきました。
そして「昭和区平和平和美術展」には毎回メッセージを寄せていただきました。
また、昨年八月の「平和の集い」に車いすで参加いただき、マイクを握って「これからも憲法九条を守るために生きていきたい、百歳になってもこの会場であいさつしたい。ともに頑張りましょう。」と元気に挨拶されました。
そして会場の参加者はその元気さに励まされるとともに、自分たちが革新のうねりの中で市長選に未来を信じ、情熱を託した熱気と感激を思い起こし熱い拍手を送りました。
病気がちで入退院を繰り返された昨年暮からも、「九条の会ニュース」をお届けするたびに、百歳を超えてもがんばりたいと、会の事を気にかけてくださいました。
私たち会員も「会の呼びかけ人」に「本山さん」の名をお載せすることに誇りを感じてきました。先生の志を受け継いで「平和・護憲・福祉」に会員一同力を尽くしていきたいと思っております。
心からのご冥福をお祈りいたします。
★写真は昨年八月平和の集いで元気に挨拶される本山氏です。