九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

高校生の心配    落石

2009年05月16日 09時00分28秒 | Weblog
新型インフルエンザに罹っていないことが
分かった高校生たちが、家に帰りました。

NHKによると高校生のなかに
「私達は菌でない」というものがありました。
これから学校に帰って差別されたり
虐められたりすることに対する恐れです。

はじめの大阪府の知事がマスクについて
コメントしているのを見て
???でしたが、誹謗中傷に対するコメントだったとは。

直感的に思うのは、これって寛容の精神を
失った戦中の「銃後」の世界ににているのでは?
というものです。
私はまだ幼児だったのでワカリマセンが。

敵をつくって自分たちの陣営を固めようという
防衛本能が今のニホンにも蔓延し、
過剰な反応を引き起こしているかな?
という直感ですが・・・

簡単に敵をつくる空気コワイですね。
  


コメント (3)
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小沢代表辞任後の混乱と真の政界再編        天木ブログより

2009年05月16日 08時52分49秒 | Weblog
★私の愛読する天木ブログhttp://www.amakiblog.com/blog/で小沢辞任以降の日本の政治的展望について書いている。天木氏は「小沢一郎は機を見て民主革命新党を立ち上げるべきだ」の持論を展開している。教えられるところも多いので紹介したい。 (ネット虫)

小沢代表辞任表明のインパクト
         ―政界大混乱と真の政界再編の予感


・・・・ 国家権力を甘く見てはいけない、権力に群がる者たちの卑劣さを軽視してはいけない、果たしてそれで闘いきれるのか、という疑念は私の中に常に底流としてあった。それが、官僚として国家権力を内側から見てきた私の考えであった。
 果たせるかな、権力側の必死の小沢つぶしと、その使い走りである官僚とメディアの小沢攻撃は執拗かつ強固なものだった。それが奏功して小沢辞任の世論は強まりこそすれ、おさまることはなかった。

 しかし、それを見ているうちに、私の小沢支持はますます強まって行った。
小沢問題は私の中で、より大きな政治問題に発展して行ったのである。
 小沢事件はもはや政治家小沢一郎だけの問題ではない。民主党による政権交代の話でもない。この国の将来を左右する一大権力闘争であり、国民を分断し、国民の支持を手中にしようとする権力者の卑劣さと、それに抗う闘いとなった。
 この国に生きる以上、誰もが小沢問題から逃げるわけにはいかなくなった。
それはもはや自分自身の問題でもある。すべての国民の問題である。

 小沢民主党が敗れても、もちろん日本と言う国は存続し続ける。それどころか権力の近くにいる者たちは、ますます結束を固め、そうでない国民を踏み台にしてうまみのある生活を送るようになる。彼らにとって、日本はますますいい国になる。
 しかし、その一方で、おびただしい数の国民が踏みつけられて生きる国になる。
格差社会がさらに進み、弱者が決して浮かばれない国になる。

 そんな日本にしていいのか。いいはずはない。ならば誰かがそれを国民に気づかせなければならない。そんな日本になることを阻止しなければならない。

 小沢にその資格があるのか。小沢はそんな政治家か。
 過去の小沢は知らない。しかしいまの小沢は過去の小沢ではない。その役割を託す事ができる政治家は、いまや小沢一郎しかいない、だから私は小沢一郎にエールを送るのだ。

 小沢一郎は民主党代表を辞任した。そしてその事によって舞台は一変した。
しかもその舞台はまさにこれからめまぐるしく回る。回り続ける。
 その認識に立って、小沢一郎には最後に桧舞台に立ち、喝采の中で舞を踊ってもらいたい。
 これから起こりうる政治ドラマを想定しながら、あらためて私は小沢一郎にエールを送りたい。
 最初に指摘したい事は、小沢の辞任は早晩不可避であったということだ。それは
小沢自身が一番知っていたに違いない。そうである以上、ベストのタイミングを選ぶ事こそ小沢一郎の唯一、最大の仕事だったという事だ。
 そして結果的に小沢一郎はベストのタイミングを選んだ。その事は与党やメディアの狼狽ぶりが如実に示している。

 辞めろ、辞めろ、の大合唱の中で、突然辞めらたわけだから、批判のしようがない。しゃらくさい。そして、今度は世論の矛先は彼らに牙を向けることになる。
 それをおそれているからこそ、与党もメディアも、小沢攻撃を続けようとしている。小沢辞任は遅すぎたとか、辞めてもまだ説明責任を果たしていないとか、離党や議員辞職をしなければ不十分だ、などというのがそれである。
 辞任記者会見における記者の質問や、NHKの7時のニュースで流された小沢批判一辺倒の市民の声などを見ていると、このまま小沢に生き残られ、反撃されてはたまらない、息の根を止めなければ不安だ、という彼らの危機感がありありと感じられる。
 小沢辞任で追い込まれたのは、間違いなく自公政権であり、それを支持してきたメディアなのだ。
 しかし、民主党もまた追い込まれることになる。民主党の対応如何では、民主党は壊滅的に追い詰められる。
 なぜならば、小沢一郎の後を継ぐ党首が誰になるか、またその党首の下で結束を図れるか、という大問題が間違いなく表面化するからである。
 そしてまさしく自公政権とメディアはそこをついてくるに違いない。次なる自公政権の標的はそれしかない。そこを攻めない限り、自公政権は窮地に立たされるからだ。
 私が残念に思ったのは、小沢一郎がこの大問題を放置したまま代表を辞任したと思われる事だ。辞任の記者会見であれほど政権交代を訴え、そのための党内結束を訴えたにもかかわらず、その事を担保しないで代表を辞めたとすれば、大きな誤りだ。
 もしそうであればこれが小沢一郎の限界なのかもしれない。民主党にとって致命的になるおそれがある。そしてその懸念は十分すぎるぐらいある。

 しかし、繰り返して言う。もはや小沢一郎だけの問題ではない。小沢一郎信奉者だけの話ではない。日本の将来がかかっている問題である。民主革命を願う国民すべてにとっての、生き残りをかけた問題である。
 その思いを同じくする読者に向けて私は以下の事を書く。ピンチはチャンスでもある。小沢辞任をチャンスにする大胆な発想がいまこそ求められる。

 重要な事は政権交代を実現することだ。そしてその政権交代は、民主革命的なものでなくてはならない。この二つの課題を達成するためにはどうすればいいか。どう情勢が展開していけばいいか。

 政権交替は早いほどいい。しかし急ぐあまり不完全なものであってはむしろ禍根を残す。小沢民主党による政権交代はもちろん望ましい。しかし、民主革命はなにも民主党でなければ出来ない訳ではない。今度の選挙ですぐに実現しなければならないものでもない。
 結論から言おう。小沢一郎は、状況如何では民主党を離党し、民主革命新党を立ち上げて、政権とりをめざすべきだ。
 私がそう提案する根拠はもちろんある。

 ひとつには今の自公政権ではもはやどうあがいてもこの国を救う事は出来ないということだ。たとえ今度の選挙で自公政権が勝ったとしても、政権を担い続ける事はできない。国民はかならず自公政権を見放す時がくる。
 だからこそ、小沢民主党の動向とは関係なく、自民党内部で麻生おろし、政界再編の動きが出てくる可能性がある。
 ふたつには、小沢なき民主党は、もはや政権政党になれない、たとえなったとしても長続きしない、という現実がある。小沢辞任会見の言葉とは裏腹に、民主党は解体される運命にあるかもしれない。

 今度の小沢辞任は、実は麻生自公政権に向かって放たれた矢であると同時に、前原、仙石などの内なる敵に放たれた矢でもある。もはや民主党は一体になれないのだ。仙石、前原一派は、小沢辞任によってますます民主党に居場所がなくなるのだ。小沢一郎の後任者をめぐって大混乱が生じるだろう。それを見て国民は民主党支持をさらに低めるであろう。いまのままでの民主党による政権交代はない。あっても長続きしない。長続きしても本当の政権交代にはなりえない。

 三つ目には、今度の小沢事件であぶりだされた左翼、護憲政党の限界である。
小沢辞任発表直後の各党代表のインタビューでわかった事は、日本共産党も社民党も国民の期待に沿えない政党であるという事だ。
 日本共産党が自公政権の補完政党であるという事は今度の小沢事件で浮き彫りになった。そして社民党もまた、今度の小沢代表辞任後の福島党首の発言によってその限界を露呈した。この期に及んで政治資金疑惑を追及し、小沢一郎に説明責任を求める福島社民党にはつくづく失望させられた。日本共産党以下である。社民党に
未来はない。
 そう考えた時、小沢一郎は機を見て民主革命新党を立ち上げるべきだ、という私の提案が現実的である事がわかるだろう。
 小沢一郎は、亀井静香の国民新党、田中康夫の新党日本、鈴木宗男の新党大地などを糾合し、官僚支配の打破、天下り廃止、地方分権、情報公開などを掲げた国民の為の民主革命政党を宣言すべきである。
 その公約に、対米自立と平和外交を加える事ができればなお好ましい。
対米自立とは、必ずしもただちに日米同盟を破棄すると言うことではない。
平和外交と言っても、未来永劫憲法9条を変えるべきではないという必要はない。
 戦争国家米国の言いなりになる必要はない、いまは憲法9条を変える時ではない、そういうだけで十分だ。そしてそれは大多数の国民がまさしく思っている事である。
 民主革命新党は大きな数の政党でなくてもいい。民主革命を強烈に願う結束ある集団であればいい。必ず一定数の熱狂な国民の支持が得られるであろう。
そして新しい政界再編の中で、大きな影響力を持つ政党になるであろう。
 結果として政権を左右する政党になれるに違いない。

 小沢一郎よ。本当の闘いはこれからである。すべての国民の共感を得ようとする必要はない。民主革命を望む国民とともに歩め。その国民の期待を裏切らずに歩め。必ず道は開ける。
 なぜならば、それこそが正しい政治の方向であるからだ。日本の歴史の大きな流れであるからだ。人知を超えたものがそこにはある。
    
      





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