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昭和区九条の会の催し紹介          まもる

2010年08月04日 15時20分51秒 | Weblog
★私の参加する昭和区九条の会では、今後の催しとして下記のようなものを開催することになりました。
 読者の皆様にも是非参加していただきたくて投稿しました。

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① 平和の鐘つき

   (と き) 8月9日(月) 11時~11時30分 ※10時50分には鐘楼前集合

   (ところ) 名古屋東別院の鐘楼

② 街頭宣伝(シール投票・・・沖縄米軍基地の移転先について)

   (と き) 8月13日(金) 10時~11時 ※興正寺正門から東へ100Mに集合
                       ※暑さ対策を
   (ところ) 恒例の八事興正寺の縁日宣伝

③ 市内戦跡めぐり (撮影会カメラをお忘れなく)

    (と き) 8月15日(日) 9時30分~14時30分

               ※ 9時30分に地下鉄大曽根駅改札口に集合
               ※ 暑さ対策を
   
   (ところ) 東区、中区、北区 の戦跡地を地下鉄で回ります。


      ☆ 来年の美術展に愛知の戦跡写真展を企画しています。是非カメラを
        お持参ください

④ 5周年記念「昭和区平和の集い」

   (と き) 9月18日(土) 午後

   (ところ) 柳城短大の体育館 地下鉄御器所駅 南西200M

   (記念講演) 反貧困ネットワーク事務局長  湯浅 誠 氏

           ※ 参加費 500円

⑤ 第5回平和のともしびウオーク

    ☆ 冬の平和運動として定着してきた行事です。日米開戦の日 12月8日の18時から御器所から千種駅まで灯を掲げて平和を市民にアピールしながら行進します。

⑥ 「第5回昭和区平和美術展」

    ★今年は800人近い方に来ていただいた恒例の「平和美術展」

     来年も四月に、市博物館で開催する予定で準備をしています。

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付け焼き刃、「韓国併合の前史」  文科系

2010年08月04日 02時21分45秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 昨日らくせきさんが「日韓併合」の質問的記事を書かれました。呼応して、良い機会とばかりにオットリ刀に、それも付け焼き刃の勉強をしてみた次第。以下は、その成果?です。勉強の機会を下さって、ありがとう。

 併合は1910年ですが、それまでの歴史の積み重ねだけでも見てみようと、考えた次第。関連する歴史的事実だけを振り返ってみても、その始まりだけでこれだけありました。善悪は後にして、長い歴史的経過がありますね。

 征韓論とその政変 
 政府首脳が西欧派遣で不在中の71~3年にこの論が起こり、73年に帰国した大久保、岩倉によって、西郷、板垣、副島らが退けられた政変。このころ、台湾にも出兵し、清国とも争い始めています。

 江華島事件 75年に日本の雲揚号のソウル方面河川侵入によって起こされたこの事件は、小さな戦争と断定しても良いようです。不法に侵入し、陸戦隊が上陸して、砲台を焼き払い、数十名を殺害していますから。開国、不平等条約狙いが働いていました。76年に結ばれました。この日朝修好条規は、無関税、日本人往来自由、日本貨幣の流通など、一部が7年後に改訂されましたが、恐ろしく不平等な条約でした。
 
 壬午事件
 82年。軍隊と民衆の反乱であって、前記の日朝修好条規など開化政策諸結果への反発が原因だったとも言われています。日本人が、軍事教官ら十数人、殺されました。清国軍派兵で日本も含めて、静められました。以降は、日本軍常時駐留を認めさせています。
 
 甲申政変
 84年末。急進開化派による、政権と清国に対するクーデーターであり、背後に日本もいたようです。混乱に乗じて、日本人が軍人、外務職員、民間人など数十人殺されました。翌年に清国との間、および、朝鮮との間でそれぞれ条約を結び、事後処理と当面の約束事を決めましたが、日本と組んだ急進開化派は弱まり、反日感情は高まって、朝鮮への影響力が急減したようです。

 このように、維新直後からもう、朝鮮半島、台湾・中国、そして樺太を睨んでいたようですね。幕末からの背景としてそれぞれ、こんな国と合従連衡を繰り広げていきます。清国を巡るイギリスやフランス、そして北方のロシア。これらの中にあって日本が、小帝国主義の側面を強めていったということでしょう。主体的な側面と強いられた側面との整合的理解はやはり難しいようです。
コメント (6)
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