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人を貧乏のままにしておくために   文科系

2011年10月20日 16時58分30秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 コメントに書いたことを、投稿に格上げします。中身はこういうこと。
①今の世、ダーティーキャンペーンが多すぎる。
②それも煙すらもないことをいっぱいに。あるいは、本来人々に良いことをねじ曲げることも含めて。
③さらに、この主体を行政府が中心に努める事が多くなっているが、これはちょっと大問題だ。
④なお、ここから、知識を得る暇がない貧乏人がますます無主張無権利に、そしてさらに貧乏に、さらにまた貧乏の世襲へと陥っていくのが、現代の悲劇だ。
⑤これすべて、グローバリズム、機関投資家資本主義発展のためにというのが、人類の悲劇である。

 良い投稿と思いました。
 こういう行政宣伝、省庁宣伝、政策宣伝は実に多いと思います。この反対の、ある行政的特徴を口汚く罵るダーティーキャンペーンも。でも、実際にこれらをやるのはマスコミです。よって、マスコミへの批判も多いになければならない。マスコミが行政の太鼓持ちをやるようになっちゃ世も末だとよく言うけど、大マスコミって太平洋戦争下も含めて、本来そんなのばっかりだよね。

 後者のダーティーキャンペーンの例は今世に満ち溢れている。
 まず例えば、ギリシャがそれをされている側面があるのではないか。「腐った政府」とか言われているが、ギリシャにはひょっとして、こんな現実があるのではないだろうか。行政マンが多いのは、やむを得ない職業シェアリングとも考えられる。教員の給料が10万円ほどでもあるというし。失業者をなくすためにシェアするのならどこが悪いか。今の先進国は皆どこも、平気で失業者を出しているではないか。それも、世界的に株主資本主義的施策を優先するからなのだ。どんどん失業者を出して平気な政府と、職業シェアをする政府、自治体と、どっちが腐っているのか。もちろん、国家財政が破綻しても良いと主張するわけではないが、ギリシャの「国家破綻」を促進し、「腐り」なるものを攻撃している主体が、「市場」というのだから、胡散臭く思う。
 このギリシャ、「市場」に攻撃されていると言われる。何が「市場」かと言いたい!? 市場って、見えないもの、あるいは目に見える形では例えば格付け会社などはインチキに等しいものではないか。リーマン破産の時も、エンロン破綻の時も、格付け会社はそれらの破綻寸前まで優良格付けだった。「市場」のインチキの実績は、かくのごとく明々白々。世界の大機関投資家はすべて、格付け会社とツーカーであるのは有名な話だ。

 もう一つ、最近の身近なダーティーキャンペーンとして、「名古屋の待機児童問題」とやらを。これって明らかに、河村市政攻撃だと思う。多分、政府と名古屋市(民政局)役人が結託したそれ。そもそも名古屋って、乳児保育行政は日本でも有数の歴史と広がりがある。よって市民の乳児保育園への信頼がずば抜けて高く、ここから共働き自体が、他都市よりずっと多いはずだ。入所要求も指定都市では間違いなく最も多い。こう言う意味で待機児童が多いという問題と、そもそも0~2歳児がビーホテルに行くのが当たり前で、そこにいる多数の子どもが待機児童に入らないという横浜や東京の問題とを、悪意から意識してごっちゃにしてみせた論議なのだと思う。現に調べてみるが良い。名古屋の0~2歳児入所数は、他都市に比べて随分多いはずだ。
 事ほどさように、官僚のやり方に異を唱える自治体首長は、これからどんどん否定キャンペーンが演出されていくと思う。

 今の世の中、反対派をおとしめるべく、為にするダーティーキャンペーンが多すぎる。デマを見抜くのは知識が要るので難しいが、貧乏人は知識を得る暇がないからますます貧乏になり、ますます反抗もできない。するとますます、株主資本主義にとって良い世の中ができていくのだ。この調子で一般消費者がどんどん貧乏になっていけば、世界の行く末は一体どうなるのだろう。
コメント (2)
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随筆紹介 「ずぼら日和」  文科系

2011年10月20日 10時18分56秒 | 文芸作品
 今日紹介するのは、S・Hさんの作品。前に紹介した「病院の姥たち」とか「自動車学校」とかの作者です。

   ずぼら日和  S・H
 嵐がやんだ。大掃除をしたように空は青さを取り戻した。
 家と地続きの畑で、強風と撃つような雨に掘り返され、土の上に投げ出された青虫、やとう虫が、家と畑の境にあるブロック塀に打ちつけられ、一固まりになり転がっていた。
 コロコロ太ったメタボ虫は、目をまわし気絶、動く気配が全く無い。今、すぐに集め処分しなきゃ。虫が目覚め畑に戻れば、花の新芽が食われてしまう。ポリ袋を取りに家のなかに入った。
 畑に出ようとして外を見た。開けっ放したくぐり戸の側で、ヒヨドリが猛烈な勢いで転がった虫たちを、胃袋に押し込んでいる。やれやれ、私にとってはやっかいな邪魔者がヒヨにとっては大御馳走のようだ。私と目が合っても、全く動じない〔このおばさんは食事の邪魔はしない〕と、勝手に思い込んでいるようだ。
〔腹一杯食べなはれ〕食事が終わるまで待つことにした。それにしても一羽では食い切れないぞ。食べ残しを片づけるのが私の役目なのかと、網戸越しにちらちらヒヨの様子を見ていた。
 満腹になったヒヨは体を起こし〔ふーう〕と、一息ついた。素早い動作で九段積みのプロック塀のてっペんに飛び移ると、〔ちーよ。ちーよ〕と、大声をあげた。
 畑の隅の桜の大木の青葉の中に隠れていた一羽の雛が、親の声に引きづられ、七メートル程の距離を滑空して、ブロック塀のてっペんにたどり着いた。もう一羽も同じように飛び出してきた。尾バネの短い二羽の雛が、横並びに止まり足場を固めた。それを見届けたヒヨは、塀を上下して雛達の口に、すごい速さで溢れるように、獲物を差し込み食べさせている。
 大御馳走は目の前に転がっている。雛を近くに置けば、効率よく獲物が運べる。労せず食べ物にありつける〔らくちん。らくちん〕と、思ったに違いない
 実に豪快な食事風景だ。ヒヨはこんな大胆なこともやるんだ。
 雛が育つまで、飯と住まいは親の責任だもの。ヒヨにとっては、労せず獲物を手に入れることが出来た〔ずぼら日和〕だ。こんな都合のいいことは滅多にない。
 桜の木に雛を隠し、こまめに餌を運び子育てするヒヨドリを、健気な鳥だと思い込んでいたが、雛の安全を確かめながら、数少ない獲物を探し子を養うあの所作は、健気ではなく、苦労して子育てをしている親の姿だった。
 腹一杯の大御馳走にありついたヒヨの親子は、さっさと飛び去っていった。
 両手のひら一杯ぐらいあった。御馳走は一粒も残っていなかった。
 雛はもうすぐ巣立ちのよう。危険から身を守り、自分で獲物を手に入れることも出来るよう育っている。大盤振る舞いの御馳走は、嵐からヒヨへのご褒美だったと、思いたい。】
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