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「立憲主義憲法の神髄」を揺るがせる動き  文科系

2013年01月20日 15時17分20秒 | 国内政治・経済・社会問題
 表題のカッコ付きの表現は、本日の中日新聞に載った名古屋大学教授・愛敬浩二氏のものである(7面の「中日新聞を読んで」)。改憲問題のおそらく最大のポイントだと思うから、改めて力説したい。
 近代憲法とはそもそもその根本的内容から言っても、成立の歴史から言っても、単純な「国、国民のお約束」といった曖昧なものではない。単にそれだけのものならば、原始時代の一部族にさえ存在したであろう。近代憲法は封建的国家から近代市民が主権者に座るべく大変な血を流して勝ち取ってきたものであって、国民が、暴走すると害が大きい為政者に基本的人権などを守らせるために負わせた約束なのであった。日本も例外ではなく、明治憲法成立まででさえ多くの血が流れたのであって、現憲法も明治憲法ゆえに流れたとも言える何千万という人々の血から生まれた、その果ての産物だとも言える。愛敬氏が現憲法99条を「立憲主義憲法の神髄」と述べるのもそういうことだ。
 彼は、こう書いている。
『日本国憲法が憲法尊重擁護義務を負わせているのは「天皇又は摂政および国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」である(99条)。国民が含まれていないことに重大な意味がある。国民は憲法を尊重・擁護する「義務」を負わない。しかし、政府、議会、公務員に対して「憲法を尊重し、擁護せよ」と要求する「権利」を持つ。憲法99条はこの考え方を自覚的に表明しているのであり、この考え方こそ「権力への懐疑」を根本精神とする立憲主義憲法の神髄であると私は考える』

 憲法とは単なる国民のお約束なのか、「権力への懐疑」を歴史の痛苦として学んだ庶民が権力にさせた誓いの制度なのか。大変な違いではないか。国の主権者が誰なのか、そして、「公僕」がその強大な権力を乱用するとどういう悲劇が起こったか。そういう経験、教訓が詰まった人類の大英知だと思うのだが、どうだろう。フクシマでさえ、そういう教訓を教えてくれる。国会事故調が「規制する側が、規制される側の虜になったところから起こったもの」と断言したのは、権力の乱用そのものと言えるだろう。フクシマの後の日本に肝要と分かったのは、「国民のお約束」なのではなくって「権力が国民にした約束」だろう。

 さて、愛敬氏は、自民党憲法改正草案102条の1項はこうなっていると教えてくれる。
『全て国民は、この憲法を尊重しなければならない』
 そして最後にこんな結びも教えてくれている。
『安倍政権の下で改憲問題を論ずるのであれば、「9条」の大切さだけではなく、「99条」の意義もあらためて確認しておく必要がある』
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ザックジャパン(66) 香川、日本スポーツマスコミの偏り  文科系

2013年01月20日 07時45分34秒 | スポーツ
 日本のスポーツマスコミはゆがんでいると、力説したい。でなければ、香川への世界的注目、評価と日本におけるその扱いの小ささとのギャップが説明できないのである。

 香川は、一競技だけでオリンピックに匹敵できる世界的人気を持つフットボールの世界第2位の国で、リーグMVPを取った選手だ。その選手が今、世界5大チームの世界一決定戦の顔になるか否かという局面を迎えている。言ってみれば、メッシかクリスティアーノロナウド並の選手になり得るかどうかの峠にさしかかっているのだ。香川がユナイテッドの顔になるかどうかとは、そういうことを意味する。それにしては、日本でのこの扱いの小ささはどういうことだろうか。これは、ヨーロッパだけでなく、中心選手がヨーロッパで活躍している南米、アフリカの庶民にとっても大ニュースになっているはずなのに。

 その背景は多分こういうことだ。日本の新聞マスコミと、そのテレビ系列が、野球界の利益関係者である事。そこと一定の距離を置く男子フットボールのニュースは、マスコミの関心事から意識的に外しているという事。彼らにとってはむしろ、アメリカスポーツ文化との接点の方が多いという事などなどであろう。意識して、フットボール情報を野球界の商売敵と扱うところがあるのだと確信している。アメリカ系のネット運営でも、同じ事があるとやはり感じている。
 ただし、フットサルと女子サッカーには、かれらも親近感を示しているらしい。読売ベレーザが結構強く、フットサルでカズを売り出している等々を見ると。昔のベルディを中心にサッカー界の読売人脈だけは「売り」なのである。いつも言うように、カズがゴンより大きい扱いであるのがその証拠である。フットボール選手としての数字実績は、ゴンの方が遙かに大きいのに。
 
 以上の事の実感的証明は省略するが、テレビやネットを見ていて、そう思う事がとても多いとだけは申し上げておく。

 以上につき、このことは言っておきたい。数十年単位で見るとアメリカスポーツ文化は廃れていくと。通貨危機などであの国はもう世界から嫌われている。つまり、あの国の独特な主要スポーツをあえてこれから取り入れていくという国は少ないだろう。逆に、あの国で人気のないフットボールは、世界戦などとの関係であの国でもどんどん人気が出て行くだろう。それは日本も同じであろう。世界の(スポーツ)民主主義にあらがっても勝てぬということである。日本の青少年も、周囲がちょっと賢ければ、将来性のあるスポーツにどんどん流れていくはずだ。スポーツの国際化ということである。
コメント (2)
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