九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

このブログは何をするところ?             あんころもち

2013年01月30日 23時18分54秒 | Weblog
 最近のこのブログにはいささか白けるようなところがあって、しばらくROMのみしていました。
 孫の自慢話やサッカー談義も一応ご本人のお書きになったものとして我慢して来ました。
 ところが最近、急に、どんな関連があるのかよくわからない人様のエッセイなどが説明抜きで登場してきて、この場所の性格そのものがよくわからなくなってきています。
 果たせるかな、それらには一切コメントが付きません。

 つい先日、奥様族の「自己中」を批判するエッセイに、らくせきさんがコメントをお付けになっているのを見て、はじめて、そうした一般化はあまり感心しないというコメントを付けさせて頂きました。
 それに対して、文科系さんから、私の論議の仕方が間違っているという高見からの批判をいただきました。それにお答えする形で、なぜこうしたエッセイをこに載せるのかとお尋ねしたところ、お前の読解は違うのだからそれを説明する必要はないという木で鼻をくくったようなご返事です。

 私としては、なんの説明もなく、いきなり人様のエッセイが載って、それについて批判的なことを書いた途端、高飛車な物言いをされて戸惑っています。
 今なお、「なぜこのエッセイを私たちに読ませようとされたのですかと」いう極めて当たり前の質問に何も答えていただけません。
 これに関してのやり取りは以下のコメント欄にあります。

http://blog.goo.ne.jp/9vs9qvsq/e/d3b507e7760092608e04897ff1fb9716

 そういえば前に、文科系さんが同級生の飲み会で、いきなりギターの演奏を始めたり、エッセイの朗読を始めたのをほかの同級生たちに無視されて、ちゃぶ台をひっくり返してお帰りになったというエピソードを思い出しました。
 今回もそのたぐいでしょうか。

 ここは多かれ少なかれ、それぞれがご自分の見聞をもとに書かれ、それについて意見を交換するところだと了解しています。
 ですから、いきなり人様のエッセイをなんの説明もなくお載せになり、それに疑義を挟んだ途端、お前の読みは間違っているからなぜこれを載せたかなど説明する必要はないというのはどうしても了解できません。

 複数の人達が集う場所というこの場の性格と、まったく個人的なブログとの境界が曖昧になっているのではないでしょうか。そして、それへの批判や然るべき説明への要請を黙殺したり封じ込めるといった極めて独善的なことが行われているような気がしてなりません。

 以上申し上げましたように、この間の経緯がどうしても釈然としませんのであえて皆様にお尋ねする次第です。
 あわせて、なぜここで、どういうひとのかも良くわからないひとのエッセイ(?)が披露されねばならないのかについてもご意見を伺いたいと思います。
コメント (5)
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新聞の片隅に載ったニュースから(73)    大西五郎

2013年01月30日 16時17分50秒 | Weblog
新聞の片隅に載ったニュースから(73)

   独仏友好条約50年 和解と努力の成果だ(2013.1.28 毎日新聞 社説)

 ドイツとフランスが、第二次世界大戦までの領土争いと敵対の歴史を克服し、首脳間の定期交流など未来志向の協力関係を築く礎となった独仏友好条約の調印から50年を迎えた。
 それまで100年近く流血の争いを繰り返した両国は、今では欧州連合(EU)の中核として欧州統合をけん引する原動力となった。独仏和解の50年は、隣国同士がいがみ合いをやめ、相互理解と協調への努力を重ねることの成果と重要性を改めて世界に訴えかけている。
 条約は1963年1月22日、当時のドゴール仏大統領とアデナウアー西独首相がパリのエリゼ宮(仏大統領官邸)で調印した。和平条約ではない。年2回の首脳会談や青少年交流強化機関の設置など、具体的な2国間の取り決めを定めた全19条の短いものだ。両国はこれにのっとって首脳や青少年の交流を積み重ね、相互理解と信頼関係を築いてきた。
 その成果の一つが、両国の学生の提案から実現した歴史教科書だ。両国の戦争責任の受け止め方や視点の違いも盛り込んで、06年に独仏両国語で刊行され、現在も両国の高校教育の一部で使われ、相互理解に役立ったと評価されている。
 今月22日、ベルリンで開かれた記念式典でメルケル独首相は「変革への勇気があれば難題を克服できることを両国はこの50年で学んだ」と条約の意義をたたえた。
 独仏間の争いでは、鉱物資源に恵まれた国境のアルザス・ロレーヌ地方(現フランス領)が知られる。19世紀後半の普仏戦争でドイツがフランスから奪い、小説「最後の授業」の舞台となった。第一次世界大戦でフランスが奪還し、第二次世界大戦中は一時、再びナチス・ドイツの支配下に置かれた。
 だが、戦後、資源を争奪するのではなく共同で管理するため、独仏を含む「欧州石炭鉄鋼共同体」が発足。これを足がかりに欧州は統合への道を歩み、平和と安定を築いてきた。アルザス地方のストラスブールでは、EU予算などを審議する欧州議会の本会議が毎月、開かれている。
 翻って日本を取り巻く北東アジアでは、中韓と日本が領土をめぐる問題や歴史認識での対立を抱え、北朝鮮の核・ミサイル開発問題など緊張の種が尽きない。
 独仏和解の例をアジアにそのまま当てはめることはむろんできない。今の独仏間に領土問題はないし、ドイツと日本では戦争責任と謝罪をめぐる周辺国の受け止め方も違う。ただ、旧敵の隣国同士が首脳の定期協議や市民交流を通じて和解への努力を粘り強く重ねてきた歴史から、くみ取るべきことはあるはずだ。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□□

私はかねてから、日本国憲法、就中第9条は、19世紀末のカントの永久平和論、第一次世界大戦後のパリ不戦条約、国際連盟、国際連合、それに欧州石炭鉄鋼共同体からECC→EUへと続いてきた「どうしたら戦争をなくすことができるか」という人類の叡智を結集したものだと主張してきました。安倍首相に言いたい。独仏の歴史に学ぶべきです。教科書の「周辺国への配慮」を廃止したり、村山談話・河野談話の見直しという主張は世界の趨勢に反することです。
                                       大西 五郎
コメント (2)
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アベノミクッス、世界経済の未来に関わって   文科系

2013年01月30日 15時06分12秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 昨日のエントリーに、そのコメントでこう追加した。一部を加筆するが。
『07年以降には、サブプライムバブル弾けでアイスランド、ギリシャ、スペイン、イタリアなどが、その前90年代からは南米、ロシア、アジアなどが通貨危機によって、金融資本の食い物にされた。それは、こういうことであろう。そこの中産階級が没落し、失業者が増え、社会資本も奪われて、その分そういう国から未来の購買力、有効需要までが減っていったと。その分、そういう国々に輸出していた国も不況で困り抜くことになり、中産階級は没落し、経済再編を迫られることになる。それで世界の景気を考え、改善するって、一体そもそもどういうことなんだろう? ケインズの感覚からしたらおそらく、呆れてしまって大笑いするのではないか。
 世界がすっかり悪循環に陥ってしまった時には、物事の核心は非常に見えにくくなっているし、問題解決も、長期間を要するという意味で大変難しくなっている。せめて、グローバリズム悪循環が開始された70年代程度から振り返り、それ以前の世界的識者の知恵を拝借すると、そういう分析によるのでなければ核心部分が見えるわけがない。そういう論調がなぜ無いのだろうか。一昨日のNHKBS「ウイズダム 激論」?を観ていて、つくづくそう考え込んでしまった。(以下略)』

 根本的な解決を長期間を要しても、世界のどこかから提起して欲しいと願うばかりである。このままではまた新たなマネーゲーム、そのバブルが起こり、弾けて、金融資本への理不尽な「社会主義的」国家救済が繰り返される。多くのマクロ経済の学者がそう言っているのだ。その際の結末はまた、世界から中産階級がさらに少なくなっているにちがいないのである。こういう道を断って、世界から失業者をなくしかつ中産階級を増やすというような道は、恐ろしく難しくなっている。
 物作りで負けていく先進国は金融で外貨を稼ぐ道しか無くなっていて、物作りに努めてこそ職場を増やせるという道などには進めないように見える。それは日本の大銀行でさえも認めているところだ。中進国は発展途上国の追い上げを恐れて賃金などなかなか増やせないだろう。なによりもそれぞれの国の政治家たちには、10年もかかるような解決の道を探っていく余裕などほとんど与えられてはいないように見える。さらには、そういう問題提起をする学者にはポストが得にくいという意味で日は当たらず、同じくそんなマスコミもほとんど無い。対するに基本的解決方向というのは、途上国、中進国、先進国それぞれが協調しあって世界に職を増やしあい、有効需要を増やしあうという遠大な道なのだ。世界金融資本は、そんな道は歯牙にもかけないように見える。八方ふさがりではないか。

 せめて現在の低い利子率を保った上で、金転がしに過ぎぬ場合のレバレッジなどを規制して、金融が昔のように物作り・職場作りと長期的に共存共栄を図っていく道を開いていかざるをえないようにしてほしい。世界的投資家ジョージ・ソロスでさえがこう言っている。「詐欺同然だった住宅ローン」「規制は必要だ」「金融業界と金融当局の関係を正常に戻せ」。こうした方向への相談は国連機関などで行うしかないはずだと思う。
コメント (2)
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