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              「忌々しいジャップ野郎どもめ」について         只今

2013年01月04日 10時52分46秒 | Weblog
  文科系さんの「従米か愛国か」に付するコメントに、にんじん氏が「ジャップ」発言を紹介していましたが、
  これはテレビ朝日の「モーニングバード・玉川総研」(大晦日)にあった発言と承知し、横入りする失礼をお許し下さい。

  日米間の問題を、孫崎享氏と宮家邦彦氏(日米安全保障条約課長等をへて安倍内閣の官邸連絡調整官)に玉川が聞くという内容でした。

【玉川】このメモは日中国交正常化の一ヶ月前の1972年8月31日、キッシンジャーが喋った「極秘会話覚書」と名付けられたメモです。
    この中に「忌々しいジャップ野郎どもめ。対中国国交正常化でおいしいところを持っていきゃがって」とあります。
 
【玉川】宮家さん、首傾げておられますが… 
【宮家】あれは30枚ある電報のうち最初の1ページにあるもので、あの部分だけ取りだして問題にするのは間違ってます。

【玉川】孫崎さん、キッシンジャーはジャップというほど怒ったわけですが、これは何に繋がりましたか?
【孫崎】ロッキード事件です。
【玉川】あぁ、ロッキード事件は、石油の権益をめぐってのことと言われていましたが‥
【孫崎】キッシンジャー、ニクソンにとって米中国交回復はものすごく重要だった。
    だから田中角栄に対して相当、圧力をかけたんですね、止めろと。しかし意に介せず国交回復をしてしまった。
    米中国交回復は1978年まで待たなきゃならなかったんですね。
【玉川】これが今も、ヘリテージ財団リポートの9つの提言という形で続いている。
    「日本及び同盟国の安全保障に必要なだけの防衛費の増額を求める」
    「安倍氏に対して歴史修正主義を強硬に推進しないことを、個人的に相談する」等々。
【宮家】ヘリポート財団は共和党寄りですよ、今は民主党政権です。
        

 ☆以上がジャツプ発言の部分ですが、宮家氏は終始、嘲笑いの表情も、それは余裕のなさを示していたともいえ、
  「敗北主義」とか「自虐史観」との発語は何を意味しているか、判る人には判るといった討議でした。
コメント (8)
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「従米か愛国か」(2) 文科系

2013年01月04日 03時17分27秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
3 冷戦直後、日本こそアメリカの最大脅威だった

 このことについて孫崎は以下のような象徴的例などを挙げていく。今から見れば、当時の日本経済力は恐ろしく強かったということであろう。
 一つは、ニューヨークのロックフェラーセンタービルが89年に三菱地所に買収されたこと。そして、コロンビア・ピクチャーズがソニーに買収されたこと。当時のコロンビアは米国文化の華である映画会社において、ロックフェラーセンターと同様に名門中の名門であった。また米国産業の中心である自動車と鉄工業も日本に追い抜かれていたのだと、孫崎は解説を加えていく。

 併せて、孫崎のこの書にはこんな1991年の世論調査結果が記載されている。シカゴ外交評議会の「米国にとっての死活的脅威は何か」という以下四項目の選択調査である。「日本の経済力」、「中国の大国化」、「ソ連の軍事力」、「欧州の経済力」。この四つの順位が、一般人では多い方からこの通りで、60,40,33,30%となっているが、指導者層はちょっと違って、こうである。63,16,20,42%。つまり指導者層内部では、こんな結論になったと言えるのだ。これからのアメリカ、怖いのは他国の軍事力などではなく、その経済力の方がよほど怖い、と。軍事スパイ機関のはずのCIAが、以降経済スパイ機関の様相を強めていく背景はこんな所に求められると、孫崎は述べている。
 さて、こういう情勢認識からこそ、冷戦後の本音の方針が出てくるのである。

4 アメリカの本音シフトと陽動作戦

こうして、冷戦後のアメリカには、軍事力を半減したその力を経済に回し日本に対抗せよという意見も多かったということだ。が、結局は軍事力を維持増強し、世界の覇者となる道を選んだと、孫崎は述べていく。ちなみに孫崎は、当時検討されていたもう一方の別の道として、マクナマラ元国防長官のこんな上院予算委員会発言を紹介している。
『ソ連の脅威が減少したいま、3000億ドルの国防予算は半分に減らせる。この資金は経済の再構築に回せる』

 さて、軍事力維持強化の道を選んだとすると、経済的脅威・日本にはどう対していったのか。アメリカの片棒を担がせ、そこに金も使わせることによって日本経済を発展させないようにするという道なのである。「ならず者国家」と呼ばれたイラク、イラン、北朝鮮などと戦うべく、応分の負担をせよということなのであった。最初の例がこれ、91年に始まった湾岸戦争で日本が130億ドル負担してもなお「あまりにも遅すぎ、少なすぎ。人も血も、出せ」というようなものだ。この道は次いで、イラク戦争への協力、参戦へと繋がっていく。
 この後の20年、日本が先進国では唯一名目経済成長率がゼロとなった原因がここにあったのかと、僕などは改めて振り返っていた次第だ。

 なお、90年当時の日本の経済力をアメリカにとってこれほどの脅威と捉えていれば、今の中国はアメリカにとってもう怖くて堪らないはずだ。軍事増強の根拠として最大限に利用しつつあるのだろう。そしてその論理が、日本にも押しつけられることになる。日中間に波風が立つわけだ。アジア友好外交を進めた民主党政権や、新政権発足直後の小沢訪中団が憎まれたわけもここにあったのだろう。膨大な相対的貧困家庭数を抱えて、何とも不条理なアメリカだななどと、腹立ちを伴って思わざるを得ないのである。(続く)
コメント (4)
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