何度でも言いたい。冷戦時代も終わった今、イラク戦争は21世紀最悪の国際的犯罪、国家による大虐殺行為だと。
「大量破壊兵器があるから攻撃すべき。これは、スラムダンクほど確実だ」(ブッシュへの、テネット元CIA長官の発言)
「あれがないとは知らなかった」(ブッシュ)
後者は、後にブッシュがテレビで泣き言のように語った言葉だが、これが戦争前この戦争原因に関する全てだったはずだ。
個人でも推定無罪があるのだから、「(アルカイダの大量破壊兵器に)関係あり」で大虐殺のような戦争をやられたら堪らない。立証責任は戦争を仕掛ける側にあるのは自明であろう。
ちなみに、そもそもイラク戦争前年の02年9月に発表された「国家安全保障戦略」における「予防戦争論」、「先制攻撃論」という方針そのものが、私闘による大虐殺の決意を述べたものに他ならない。つまり、理由はどうでも良い、アメリカにとって何か不都合を感じたらすぐ戦争を仕掛けるぞという確信犯なのである。
イラク戦争の最大の嫌疑事実は嘘だった。こういうおそれがあったから、湾岸戦争と違って国連は止めたのだ。その制止を振り切ってやったこともまた、単独行動主義、世界の警察のような顔をした私闘の大暴力を証明している。この戦争に参加した当時の西欧有志国政権は後で皆潰れたが、問題の日米政権は内外に対して何の謝罪もしていない。上に観た「予防戦争論」によって謝罪の必要もないと開き直っているのであろう。これは大変な問題だと思う。以下のような20世紀の戦争の世界史から観るならば、格別の意味を持って。
ここで僕がイラク戦争にこれほど拘るわけを、改めてまとめておきたい。
①他国への戦争について、20世紀以降とその前とでは全く世界の状況が変わった。第一次世界大戦の後に国際連盟という初めての国際組織が出来て、戦争が違法ということになった。第二次大戦後は更にこれを徹底した。
②この動きは、次のような世界史的経過から起こったはずだ。人の命が権利としては平等に大切になって、肌の色とは無関係に民族自決などが認められ始めた。植民地が悪いことだとなったのは、以上のような背景がある。つまり、1人1人の人権、民主主義、国の平等という理念、これらの重みがどんどん増してきて、19世紀とは質的に変わったということである。
他方、20世紀の二つの大戦では、大量破壊兵器の生産など国家総力戦の様相を呈し、何千万という命が失われた。このことに対する人類の反省という意味も、戦争違法化の理念に込められたはずである。
③そして今なぜなのか、冷戦後の超大国アメリカだけが、この流れに真っ向から逆行している。中米で、中東でなどなどの例を挙げて、世界的な大言語学者にして米戦争ウヲッチャー、ノーム・チョムスキーも指摘する所だ。合わせて彼は、①②の流れにある人権・民主主義理念の世界的広がりでもって、この米国の戦争政策に強烈に反対してきた。
④日本人はネトウヨ諸君など、太平洋戦争を考える場合でも、戦争違法化そのものを連合国史観のように語る。これは上記①②の流れに無理解な、独りよがりの19世紀的思考なのだと言いたい。満州事変から始まった数々の日本軍違法行為、それへのリットン調査団の違法判定に対して国際連盟を脱退してみせた、そういう情けない発想の延長二も見える。
さて、こういう米軍と行動を共にするという集団的自衛権など、とんでもないことだ。世界最大の人権侵害問題、国家主権侵害問題をば、経済大国二つがそろって19世紀に戻すに等しい行為である。ましてや、「付いていく」日本は9条の国。集団的自衛権ならぬ集団的侵略権と語るしかないものに、なぜ9条の国が付いていく? 日本国憲法は、20世紀に始まった戦争違法化の流れにこそ沿い、これを歴史的に一国家が先取りしたもののはずである。
「大量破壊兵器があるから攻撃すべき。これは、スラムダンクほど確実だ」(ブッシュへの、テネット元CIA長官の発言)
「あれがないとは知らなかった」(ブッシュ)
後者は、後にブッシュがテレビで泣き言のように語った言葉だが、これが戦争前この戦争原因に関する全てだったはずだ。
個人でも推定無罪があるのだから、「(アルカイダの大量破壊兵器に)関係あり」で大虐殺のような戦争をやられたら堪らない。立証責任は戦争を仕掛ける側にあるのは自明であろう。
ちなみに、そもそもイラク戦争前年の02年9月に発表された「国家安全保障戦略」における「予防戦争論」、「先制攻撃論」という方針そのものが、私闘による大虐殺の決意を述べたものに他ならない。つまり、理由はどうでも良い、アメリカにとって何か不都合を感じたらすぐ戦争を仕掛けるぞという確信犯なのである。
イラク戦争の最大の嫌疑事実は嘘だった。こういうおそれがあったから、湾岸戦争と違って国連は止めたのだ。その制止を振り切ってやったこともまた、単独行動主義、世界の警察のような顔をした私闘の大暴力を証明している。この戦争に参加した当時の西欧有志国政権は後で皆潰れたが、問題の日米政権は内外に対して何の謝罪もしていない。上に観た「予防戦争論」によって謝罪の必要もないと開き直っているのであろう。これは大変な問題だと思う。以下のような20世紀の戦争の世界史から観るならば、格別の意味を持って。
ここで僕がイラク戦争にこれほど拘るわけを、改めてまとめておきたい。
①他国への戦争について、20世紀以降とその前とでは全く世界の状況が変わった。第一次世界大戦の後に国際連盟という初めての国際組織が出来て、戦争が違法ということになった。第二次大戦後は更にこれを徹底した。
②この動きは、次のような世界史的経過から起こったはずだ。人の命が権利としては平等に大切になって、肌の色とは無関係に民族自決などが認められ始めた。植民地が悪いことだとなったのは、以上のような背景がある。つまり、1人1人の人権、民主主義、国の平等という理念、これらの重みがどんどん増してきて、19世紀とは質的に変わったということである。
他方、20世紀の二つの大戦では、大量破壊兵器の生産など国家総力戦の様相を呈し、何千万という命が失われた。このことに対する人類の反省という意味も、戦争違法化の理念に込められたはずである。
③そして今なぜなのか、冷戦後の超大国アメリカだけが、この流れに真っ向から逆行している。中米で、中東でなどなどの例を挙げて、世界的な大言語学者にして米戦争ウヲッチャー、ノーム・チョムスキーも指摘する所だ。合わせて彼は、①②の流れにある人権・民主主義理念の世界的広がりでもって、この米国の戦争政策に強烈に反対してきた。
④日本人はネトウヨ諸君など、太平洋戦争を考える場合でも、戦争違法化そのものを連合国史観のように語る。これは上記①②の流れに無理解な、独りよがりの19世紀的思考なのだと言いたい。満州事変から始まった数々の日本軍違法行為、それへのリットン調査団の違法判定に対して国際連盟を脱退してみせた、そういう情けない発想の延長二も見える。
さて、こういう米軍と行動を共にするという集団的自衛権など、とんでもないことだ。世界最大の人権侵害問題、国家主権侵害問題をば、経済大国二つがそろって19世紀に戻すに等しい行為である。ましてや、「付いていく」日本は9条の国。集団的自衛権ならぬ集団的侵略権と語るしかないものに、なぜ9条の国が付いていく? 日本国憲法は、20世紀に始まった戦争違法化の流れにこそ沿い、これを歴史的に一国家が先取りしたもののはずである。