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歴史に逆行するアメリカと「組む」?  文科系

2015年08月17日 15時11分24秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
  何度でも言いたい。冷戦時代も終わった今、イラク戦争は21世紀最悪の国際的犯罪、国家による大虐殺行為だと。

「大量破壊兵器があるから攻撃すべき。これは、スラムダンクほど確実だ」(ブッシュへの、テネット元CIA長官の発言)
「あれがないとは知らなかった」(ブッシュ)
 後者は、後にブッシュがテレビで泣き言のように語った言葉だが、これが戦争前この戦争原因に関する全てだったはずだ。
 個人でも推定無罪があるのだから、「(アルカイダの大量破壊兵器に)関係あり」で大虐殺のような戦争をやられたら堪らない。立証責任は戦争を仕掛ける側にあるのは自明であろう。

 ちなみに、そもそもイラク戦争前年の02年9月に発表された「国家安全保障戦略」における「予防戦争論」、「先制攻撃論」という方針そのものが、私闘による大虐殺の決意を述べたものに他ならない。つまり、理由はどうでも良い、アメリカにとって何か不都合を感じたらすぐ戦争を仕掛けるぞという確信犯なのである。
 イラク戦争の最大の嫌疑事実は嘘だった。こういうおそれがあったから、湾岸戦争と違って国連は止めたのだ。その制止を振り切ってやったこともまた、単独行動主義、世界の警察のような顔をした私闘の大暴力を証明している。この戦争に参加した当時の西欧有志国政権は後で皆潰れたが、問題の日米政権は内外に対して何の謝罪もしていない。上に観た「予防戦争論」によって謝罪の必要もないと開き直っているのであろう。これは大変な問題だと思う。以下のような20世紀の戦争の世界史から観るならば、格別の意味を持って。
  
 ここで僕がイラク戦争にこれほど拘るわけを、改めてまとめておきたい。
①他国への戦争について、20世紀以降とその前とでは全く世界の状況が変わった。第一次世界大戦の後に国際連盟という初めての国際組織が出来て、戦争が違法ということになった。第二次大戦後は更にこれを徹底した。

②この動きは、次のような世界史的経過から起こったはずだ。人の命が権利としては平等に大切になって、肌の色とは無関係に民族自決などが認められ始めた。植民地が悪いことだとなったのは、以上のような背景がある。つまり、1人1人の人権、民主主義、国の平等という理念、これらの重みがどんどん増してきて、19世紀とは質的に変わったということである。
他方、20世紀の二つの大戦では、大量破壊兵器の生産など国家総力戦の様相を呈し、何千万という命が失われた。このことに対する人類の反省という意味も、戦争違法化の理念に込められたはずである。

③そして今なぜなのか、冷戦後の超大国アメリカだけが、この流れに真っ向から逆行している。中米で、中東でなどなどの例を挙げて、世界的な大言語学者にして米戦争ウヲッチャー、ノーム・チョムスキーも指摘する所だ。合わせて彼は、①②の流れにある人権・民主主義理念の世界的広がりでもって、この米国の戦争政策に強烈に反対してきた。

④日本人はネトウヨ諸君など、太平洋戦争を考える場合でも、戦争違法化そのものを連合国史観のように語る。これは上記①②の流れに無理解な、独りよがりの19世紀的思考なのだと言いたい。満州事変から始まった数々の日本軍違法行為、それへのリットン調査団の違法判定に対して国際連盟を脱退してみせた、そういう情けない発想の延長二も見える。


 さて、こういう米軍と行動を共にするという集団的自衛権など、とんでもないことだ。世界最大の人権侵害問題、国家主権侵害問題をば、経済大国二つがそろって19世紀に戻すに等しい行為である。ましてや、「付いていく」日本は9条の国。集団的自衛権ならぬ集団的侵略権と語るしかないものに、なぜ9条の国が付いていく? 日本国憲法は、20世紀に始まった戦争違法化の流れにこそ沿い、これを歴史的に一国家が先取りしたもののはずである。
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朝鮮日報より   らくせき

2015年08月17日 09時27分26秒 | Weblog

極右一色でも、高齢者一色でもなかった。15日、東京・千代田区の靖国神社本殿前に並んだ人々は普通の日本人たちが多かった。


 異様な人ももちろんいた。暴力団員風のヘアスタイルで旧日本軍の軍旗を振り回す人、軍帽をかぶりゲートルを巻いた1940年代の軍服で完全装備した人…。しかし、息子を肩車した40代課長、暑い中で手をギュッとつないだ20代カップル、中高生の子どもを連れて来た30代主婦、静かに手であおぐ50代男女の方が多かった。どこでもいる普通の日本人たちが猛暑の中、神社入口から本殿まで約1時間並んだ。靖国神社は同日午前6時から午後7時までの間に19万人が参拝したと発表した。


 最寄りの地下鉄・九段下駅から靖国神社まで850メートルにわたる歩道は「日本の右翼野外博覧会」をほうふつとさせた。従軍慰安婦攻撃団体・右翼教科書普及運動・河野談話撤廃運動・朝日新聞不買署名運動・安重根(アン・ジュングン)記念碑撤去運動の広報パンフレットを配るブースや、3500円の右翼Tシャツを売る露店などがあった。


 そうした中、人込みをかき分け、高級車が続々と到着した。超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」所属議員67人が団体で参拝に来たのだ。安倍晋三首相の側近・稲田朋美自民党政調会長も、自身が率いる会の議員9人と別に参拝した。安倍首相も玉串料を奉納した。私費だったが、それを持ってきた代理人は国から給料を受け取っている人物だった。


 道の向こう側の日本武道館では、終戦70年の全国戦没者追悼式が行われた。午前11時50分、天皇(81)の追悼の辞が靖国神社・遊就館(訳注:原文は戦争博物館)でも生中継された。

 「先の大戦に対する深い反省」という天皇の声が第二次世界大戦時に死んだ兵士たちの顔の上に響き渡った。兵士たちの顔は戦争末期になるほど、若者というよりも「幼い子ども」に近づいているように見えた。遊就館はこの兵士たちの顔に「靖国の軍神たち」という題名を付けた。朝鮮人もいるのだろうか。靖国神社には朝鮮人2万1000人も本人の意思とは関係なく合祀(ごうし)されている。


 正午の黙とう終了後、神社入口に集まっていた1600人近い人々は安倍首相の靖国神社参拝を要求し集会を行った。1945年の昭和天皇による降伏放送も流した。少し前、道の向こう側の日本武道館で「深く反省する」と言った人の父親は70年前、「他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない」と語った。降伏なのか弁明なのか、日本は当時もあいまいな言葉を使ったのだった。


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