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原発事故は理科系の責任なのか?    らくせき

2015年08月11日 15時38分47秒 | Weblog
なぜ科学が豊かさにつながらないのか?(矢野誠・中沢正彦・編)
という本を読んでいます。
自由な質の高い市場があるか、どうかがポイントである、という問題意識の本です。
そのなかの一節に、原発事故の責任は理科系にあるのか?文科系にあるのか?
という面白い分析がありました。

事故の後、理科系の学者からは事故を防げなかった責任を感ずるという声がありました。
しかし社会学者からは自らの責任を云々する声が一切ありませんでした。
これはオカシイというのが著者の主張です。

その理由はこうです。
モノづくりの際には、対応する費用が高すぎる事故の原因は
想定外とするべきであるというのが経済学の教えるところ。
つまり、経済学的にみれば、事故の原因をつくったのは、
津波でも原発をつくった技術者ではない。

では誰に責任があるのか?それは使い手側にある。
使い手側とは文科系。経済学や政治学・法学の社会科学です。
社会科学が社会に浸透しておらず、大きな危険を伴う
科学技術を有効に利用できる社会がつくれていなかった。
それは文科系の、社会学者の責任である、と。

どうも今ひとつピンときませんが、面白い論点なので紹介しました。



コメント (17)
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チョムスキーが説く「イラク戦争」   文科系

2015年08月11日 12時03分24秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 ノーム・チョムスキーをご存じの方も多いだろう。偉大な言語学者にして、現代世界の全ての学者たちの論文で聖書、プラトンに次いで引用される著作が多い現存の人物である。現在87才のアメリカ人だが、米国政府の戦争政策の長年の研究者、告発者でもある。彼の著作に「覇権か生存か」という隠れた世界のベストセラーがあって、そこで問題にされているイラク戦争部分を抜粋してみる。2004年9月発行の集英社新書による全9章(新書版337ページ)のうち、主として『第5章 イラク・コネクション』50ページ余の部分から。なお、同書にはこんな壮大な副題が付いている。『アメリカの世界戦略と人類の未来』。

(1)イラク戦争の経過
 1990年までは、アメリカはフセインをずーっと支え続けてきた。イラン・イラク戦争(80~88年)の時以降ずーっとイランこそがアメリカの標的だったし、89年10月にもフセイン政権に食糧、化学薬品、科学技術など多大な支援をしている。中東安保の柱として彼を活用して、その「巨悪」にも目をつぶってきた。大量破壊兵器もどんど支援してきた。ところが・・・。
1990何8月 フセインがクゥエート侵攻
1991年1月 湾岸戦争開始
1991年3月 全国で反フセイン暴動発生。アメリカは、フセインによるこれの鎮圧・大虐殺行動を黙認  
2001年9月 9/11テロ事件
2001年10月 アフガニスタン戦争
2002年1月 ブッシュ大統領「悪の枢軸」発言。イラク、イラン、北朝鮮を名指す。
2002年9月 アメリカ、国家安全保障戦略発表。予防戦争(先制攻撃)概念を世界に表明
2002年10月 米議会、対イラク武力行使容認を決議
2002年11月 国連が4年ぶりに、イラク大量破壊兵器を査察
2003年3月 イラク戦争始まる

(2)その「台本」
①国際版
『1980年代における「対テロ戦争」の二大中心地は、中米と、中東及び地中海地域だった』が、その中東を観ると、
『ワシントンにいる現職者が取り組んだ活動の一つは、よく知られるようになった。1980年代にCIAとその関係組織がイスラム過激派を募り、正規軍及びテロリスト部隊としての組織化に成功した事実だ。カーターの国家安全保障担当補佐官だったズビグニュー・ブレジンスキーによれば、その目的は「ロシア人をアフガンの罠におびき寄せること」であり、初めは秘密工作によってソ連をそそのかし、アフガニスタンを侵略させることだった』
『その直後の結果として起こった戦争のためにアフガニスタンは荒廃し、ソ連軍が撤退しレーガンのイスラム聖戦士に取って代わられると、更に悲惨な状況になった。それがもたらした長期的な結果は、20年に及ぶ恐怖政治と内戦だった』
『ソ連軍の撤退後、アメリカとその同盟者(その中にアルカイダを始めとするイスラム聖戦士が含まれる)によって徴募され、武装及び訓練されたテロ組織は矛先を他国に向け・・・・・(1993年には)関連グループが「CIAのマニュアルで教えられた手法」に従い、世界貿易センタービルを破壊する一歩手前までいった。計画を立てたのは、シェイク・オマル・アブドル・ラーマンの支持者だったことが判明している。ラーマンはCIAからアメリカ入国の便宜を図ってもらい、国内でも保護されていた人物だ』

 とまーこんな経過で、イスラム戦士が育成され、911からイラク戦争へと繋がっていったと、チョムスキーは説いている。
 
②国内版
『(2000年に大統領になった)ジョージ・ブッシュ二世のために、広報活動の専門家とスピーチライターは、天国へまっしぐらの実直な男というイメージを作り出した。「理屈抜きの本能」を信じ、自らの「展望」と「夢」を思い描きながら、「世界から悪人を追放」するために前進する男、要するに古代の叙事詩や子供のお伽噺に、カウボーイ小説を混ぜ合わせたごとき滑稽な人物像である』
『(ブッシュらが言うところの)テロとは何を指すのか?・・・・適切な答えが出れば意義あるものにもなろうが、こうした疑問は公開討論の場には決して持ち込まれない。代わりに、都合のいい定義が採用された。テロとは、我々の指導者がそう宣言するものなのだ』

 00年大統領選挙で、ブッシュは民主党候補ゴアと争って、有名な「疑惑の辛勝」を勝ち得た。選挙への無力感が過去最高レベルの50%以上に達した。04年の選挙を控えて、さらに落ちた人気への新戦略が必要だった。軍事費増、富裕層減税から社会保障費削減がさらに進んだからだ。
 そこから『先制攻撃による新しい過激な軍事戦略の提出』に国民の目を向けさせる事に励んでいった。この「冒険主義」には多くのリスクがあったが、以下の狙いに邁進したわけである。『米国社会の徹底的な改造に着手し、それによって1世紀にわたる進歩的な改革を押し返すことと、世界を恒久支配するための帝国の壮大な戦略を確立させることである。そうした目的に比べれば、それに伴うリスクは、些細なことと思えるのかも知れないのだ』(P183)

(3)イラク戦争で問われているもの
『02年9月には、国家安全保障戦略が発表された。でっち上げられた恐怖によって、イラク侵攻に向けて国民の間に充分な支持基盤ができ、意のままに侵略戦争を始める新たな規範が設けられた』
『イラクとの戦争は、それを実行すれば大量破壊兵器とテロが拡大するかもしれないという認識のもとに実行された。だが、それに伴うリスクは、イラクに対する支配権を強化し、予防戦争の規範をしっかりと築き、国内における政治力も高められるという見込みと比べれば些細なことと考えられた』

 こうして著者は「覇権か生存か」で前者を歴史的大局的に描きながらも、後者に希望を託するのである。その下りは、このようなものだ。
『現代史を通じて、人権状況は著しく改善され、生活の一部の面では民主的な管理が行き届くようになった。こうした展開が、啓発された指導者の贈り物であることは滅多にない。ほとんどの場合、一般の人々が戦い、国家やそれ以外の権力中枢に課してきた展開なのである』
『今日の歴史の中に、人は二本の軌道を見出すはずだ。一本は覇権に向かい、狂気の理論の枠内で合理的に行動し、生存を脅かす。もう一本は「世界は変えられる」ーー世界社会フォーラムを駆り立てる言葉ーーという信念に捧げられ、イデオロギー的な支配システムに異議を唱え、思考と行動と制度という建設的な代案を追求する。どちらの軌道が支配するかは、誰にもわからない。こうしたパターンは歴史全体によく見られるが、今日の決定的な違いは、懸けられているのが遙かに重大なものだということである』
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琉球新報より   らくせき

2015年08月11日 08時32分11秒 | Weblog
日米両政府は10日、日米合同委員会を開き、米軍普天間飛行場の辺野古移設計画をめぐり、県が岩礁破砕許可違反の可能性を調査するためとして求めてきたキャンプ・シュワブ沿岸域の「臨時制限区域」内への立ち入りを認めることで合意した。県が立ち入り調査できるのは10日間。今後、県と沖縄防衛局、米軍で調査の詳細日程について協議し、県が米軍に実施計画を提出する。
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