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随筆紹介 「老いのバカンス」   文科系

2015年08月08日 20時31分23秒 | 文芸作品
 老いのバカンス  H・Sさんの作品
                                 
 昔のお嬢さん十二人が集まった。御年七十八歳。前かがみの姿勢、顔の皺も目立っている。それぞれの人生を背負って生きてきたことの証しが顔貌に出ている。
 足腰は弱ってきたが、何とか人の手、車いすの世話にはなっていない。透けたパンストの下には何枚も貼り付けられた痛みどめのロキソニンテープが丸見えだ。
 昔のお嬢さんの集団は、毎年、四月七日、八日に集まり、一泊二日の旅を楽しんでいる。
 二年に一度の集まりなら一回欠席すると四年会えなくなるから嫌だと全員が要望したので、年一回という決まりになった。

 この集団の成り立ちは、六十年前、高校を卒業後、三年間、厚生省が養成する看護学校で学び、全寮生活をした仲間たちだ。同じ釜の飯を喰らい、性格や行いも熟知したせいか、実の柿妹と同じくらい親密な他人と言える間柄。二十四人で出発したこの集団の現在の生存者は二十一人。三人はがんで天国へと移動した。

 当日、待ち合わせは北陸本線長浜駅。集合時間は午前十一時。
 須賀谷温泉(滋賀県)で宿泊。翌日は長浜城とアイビースクェアを自由散策の予定だ。
 山梨県から岡山県にまたがる住人たちが到着する。一年の隔たりなど吹っ飛んでしまっていて、昨日も会っておしゃべりを楽しんでいたような空気が漂う。
 出席者十二人は、予約した昼食場所の店主の出迎えを受け、店に案内されて付いてゆくだけなのに、いつの間にか十一人になっている。一人どこかにこぼれてしまっていた。
 昨年までこんなことはなかった。多分トイレだろう。ここ一年の間に、トイレが待ったなしになって来たのは、私だけではないようだ。私以外の十人を先に移動させ、彼女を待つことにした。店のある場所は地図をしっかり覚え込んだので、迷うことはない。
「ごめんなさい。待ってくれたのね」と、恥ずかしげな表情で昔のお嬢さんがトイレから出てきた。

 長年、医療に携わってきた人達。この集まりに、毎回出席することを目標にして、自分の足で歩ける健康年齢を伸ばすため、新しい医学知識を吸収し、取り入れ、皆それぞれ元気で生活できるよう体と心の健康管理を怠ることはない。
 だが、齢、八十歳近くなると、心にも体にも老いは容赦なく押し寄せる。老いに逆らって、日々を過ごす大変さに気づかされることが多くなってきた。頭の回転の速さ、足の衰え方も様々だ。子や孫の事より、気になる話題はやはり自分の体。これが中心になる。
 集まった友、ひとりひとりの一年の間の老いを、私は密かに観察、自分と比較している。当然、十一人の同胞から、私も観察の対象にされていることは納得している。

 温泉で体を癒し、食事を堪能した後、一部屋に集まる。
 今も現役バリバリで、社会活動をしている昔のお嬢さんリーダーが「認知症の気配はないようだね。新しいストレッチを習ってきたから、はい、皆さんもご一緒に」。前に出て、仕入れてきた体の鍛え方を披露する。十一人がそれに続き、体を動かし始めた。
「明日の散策、どん尻は私が歩くから、先頭はS子がやってね」と、リーダーの一言。帰りの電車の時間に全員が間に合うよう気遣っているのだ。十八歳の時から現在に至るまで、級友をまとめる仕事は、この人と決まっている。雀百まで踊り忘れずだと、笑えた。
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朝鮮日報より   らくせき

2015年08月08日 09時13分41秒 | Weblog

太平洋戦争に強制徴集され犠牲になった朝鮮人の遺族が、韓国政府に対し、国外強制動員被害補償金の返還を要求した。


 「日帝強制動員犠牲者遺家族協同組合」は7日午後、光復(日本の植民地支配からの解放)70周年および日韓会談50周年に合わせ、光化門広場で「日帝強制動員国外犠牲者補償法通過汎(はん)遺族総決起大会」を開いた。


 遺族らは7日、1965年の日韓条約に伴い当時韓国政府が日本から「国外戦死者慰労金」の名目で受け取った3億ドル(当時、韓国ウォンで約800億ウォン、日本円で約1080億円に相当)を、遺族に返すよう韓国政府に求めた。


 日帝強制動員犠牲者遺家族協同組合のイ・ジュソン代表は「朴正煕(パク・チョンヒ)大統領は、われわれの父親の命で手にした金を、遺族と一度も相談することなく経済開発の種銭として使った。当時韓国は最貧国だったが、国民所得が300万ドル(約3億7260万円)になった今も、韓国政府は何も言ってこない」と糾弾した。


 イ代表は「参与政府(盧武鉉〈ノ・ムヒョン〉政権のこと)で初めて植民地時代の国外強制動員被害者に関する特別法を制定し、遺族1世帯あたり1億ウォン(現在のレートで約1070万円、以下同じ)ずつ賠償すると決めた。ところが政権が変わると、李明博(イ・ミョンバク)政権は『慰労金』名目で2000万ウォン(約214万円)支払っただけだ。これも、月30万ウォン(約3万2100円)ずつ支給していた生活支援金をやめて支給した」と指摘した。


 続いて遺族らは「2012年、当時大統領候補だった朴槿恵(パク・クンヘ)大統領は、韓国政府が乗り出して補償する方法を検討したいと公約したが、韓国政府や国会はまだ遺族の補償金3億ドルも返還していない」と批判した。

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