老いのバカンス H・Sさんの作品
昔のお嬢さん十二人が集まった。御年七十八歳。前かがみの姿勢、顔の皺も目立っている。それぞれの人生を背負って生きてきたことの証しが顔貌に出ている。
足腰は弱ってきたが、何とか人の手、車いすの世話にはなっていない。透けたパンストの下には何枚も貼り付けられた痛みどめのロキソニンテープが丸見えだ。
昔のお嬢さんの集団は、毎年、四月七日、八日に集まり、一泊二日の旅を楽しんでいる。
二年に一度の集まりなら一回欠席すると四年会えなくなるから嫌だと全員が要望したので、年一回という決まりになった。
この集団の成り立ちは、六十年前、高校を卒業後、三年間、厚生省が養成する看護学校で学び、全寮生活をした仲間たちだ。同じ釜の飯を喰らい、性格や行いも熟知したせいか、実の柿妹と同じくらい親密な他人と言える間柄。二十四人で出発したこの集団の現在の生存者は二十一人。三人はがんで天国へと移動した。
当日、待ち合わせは北陸本線長浜駅。集合時間は午前十一時。
須賀谷温泉(滋賀県)で宿泊。翌日は長浜城とアイビースクェアを自由散策の予定だ。
山梨県から岡山県にまたがる住人たちが到着する。一年の隔たりなど吹っ飛んでしまっていて、昨日も会っておしゃべりを楽しんでいたような空気が漂う。
出席者十二人は、予約した昼食場所の店主の出迎えを受け、店に案内されて付いてゆくだけなのに、いつの間にか十一人になっている。一人どこかにこぼれてしまっていた。
昨年までこんなことはなかった。多分トイレだろう。ここ一年の間に、トイレが待ったなしになって来たのは、私だけではないようだ。私以外の十人を先に移動させ、彼女を待つことにした。店のある場所は地図をしっかり覚え込んだので、迷うことはない。
「ごめんなさい。待ってくれたのね」と、恥ずかしげな表情で昔のお嬢さんがトイレから出てきた。
長年、医療に携わってきた人達。この集まりに、毎回出席することを目標にして、自分の足で歩ける健康年齢を伸ばすため、新しい医学知識を吸収し、取り入れ、皆それぞれ元気で生活できるよう体と心の健康管理を怠ることはない。
だが、齢、八十歳近くなると、心にも体にも老いは容赦なく押し寄せる。老いに逆らって、日々を過ごす大変さに気づかされることが多くなってきた。頭の回転の速さ、足の衰え方も様々だ。子や孫の事より、気になる話題はやはり自分の体。これが中心になる。
集まった友、ひとりひとりの一年の間の老いを、私は密かに観察、自分と比較している。当然、十一人の同胞から、私も観察の対象にされていることは納得している。
温泉で体を癒し、食事を堪能した後、一部屋に集まる。
今も現役バリバリで、社会活動をしている昔のお嬢さんリーダーが「認知症の気配はないようだね。新しいストレッチを習ってきたから、はい、皆さんもご一緒に」。前に出て、仕入れてきた体の鍛え方を披露する。十一人がそれに続き、体を動かし始めた。
「明日の散策、どん尻は私が歩くから、先頭はS子がやってね」と、リーダーの一言。帰りの電車の時間に全員が間に合うよう気遣っているのだ。十八歳の時から現在に至るまで、級友をまとめる仕事は、この人と決まっている。雀百まで踊り忘れずだと、笑えた。
昔のお嬢さん十二人が集まった。御年七十八歳。前かがみの姿勢、顔の皺も目立っている。それぞれの人生を背負って生きてきたことの証しが顔貌に出ている。
足腰は弱ってきたが、何とか人の手、車いすの世話にはなっていない。透けたパンストの下には何枚も貼り付けられた痛みどめのロキソニンテープが丸見えだ。
昔のお嬢さんの集団は、毎年、四月七日、八日に集まり、一泊二日の旅を楽しんでいる。
二年に一度の集まりなら一回欠席すると四年会えなくなるから嫌だと全員が要望したので、年一回という決まりになった。
この集団の成り立ちは、六十年前、高校を卒業後、三年間、厚生省が養成する看護学校で学び、全寮生活をした仲間たちだ。同じ釜の飯を喰らい、性格や行いも熟知したせいか、実の柿妹と同じくらい親密な他人と言える間柄。二十四人で出発したこの集団の現在の生存者は二十一人。三人はがんで天国へと移動した。
当日、待ち合わせは北陸本線長浜駅。集合時間は午前十一時。
須賀谷温泉(滋賀県)で宿泊。翌日は長浜城とアイビースクェアを自由散策の予定だ。
山梨県から岡山県にまたがる住人たちが到着する。一年の隔たりなど吹っ飛んでしまっていて、昨日も会っておしゃべりを楽しんでいたような空気が漂う。
出席者十二人は、予約した昼食場所の店主の出迎えを受け、店に案内されて付いてゆくだけなのに、いつの間にか十一人になっている。一人どこかにこぼれてしまっていた。
昨年までこんなことはなかった。多分トイレだろう。ここ一年の間に、トイレが待ったなしになって来たのは、私だけではないようだ。私以外の十人を先に移動させ、彼女を待つことにした。店のある場所は地図をしっかり覚え込んだので、迷うことはない。
「ごめんなさい。待ってくれたのね」と、恥ずかしげな表情で昔のお嬢さんがトイレから出てきた。
長年、医療に携わってきた人達。この集まりに、毎回出席することを目標にして、自分の足で歩ける健康年齢を伸ばすため、新しい医学知識を吸収し、取り入れ、皆それぞれ元気で生活できるよう体と心の健康管理を怠ることはない。
だが、齢、八十歳近くなると、心にも体にも老いは容赦なく押し寄せる。老いに逆らって、日々を過ごす大変さに気づかされることが多くなってきた。頭の回転の速さ、足の衰え方も様々だ。子や孫の事より、気になる話題はやはり自分の体。これが中心になる。
集まった友、ひとりひとりの一年の間の老いを、私は密かに観察、自分と比較している。当然、十一人の同胞から、私も観察の対象にされていることは納得している。
温泉で体を癒し、食事を堪能した後、一部屋に集まる。
今も現役バリバリで、社会活動をしている昔のお嬢さんリーダーが「認知症の気配はないようだね。新しいストレッチを習ってきたから、はい、皆さんもご一緒に」。前に出て、仕入れてきた体の鍛え方を披露する。十一人がそれに続き、体を動かし始めた。
「明日の散策、どん尻は私が歩くから、先頭はS子がやってね」と、リーダーの一言。帰りの電車の時間に全員が間に合うよう気遣っているのだ。十八歳の時から現在に至るまで、級友をまとめる仕事は、この人と決まっている。雀百まで踊り忘れずだと、笑えた。