最近の所属同人誌月例冊子の後書きに付けた拙文を転載させていただきます。これが今の「世界」に対する僕の実感。なお、今の(日本)国家のことも、「世界」のことを論じられなければ正しい答えは出て来ないと考えています。つまり、世界の平和、繁栄が国家の平和、繁栄の大前提になるような時代なのだと。そういうグローバリズムはもう、後戻りできない世界史だと考えてきました。昨日の例会で、この後書きを「全く同感」と評された方が何人かいらっしゃったことに意を強くした転載です。
『 私的な事で申し訳ないが、今号も社会評論の部類を書いてしまった。最近なかなか文芸文にならないのは、世の中、世界にいろいろ腹が立って仕方ないから。それも、子や孫のこれからを思えば居ても立ってもいられないようで、色々学んだ結果がほとんど病気。政治、経済の劣化の背後に、人間の劣化が感じられてならない。特に権力者たちから、公共の感じ方そのものが消えてしまったような。
孔子には「思いやりの心」が、西洋にも「ノーブレス・オブリージ」、「権力者の道徳的義務」という、それぞれ大事な思想があったはずだ。が、それらの義務、徳目がなにか別世界のことになってしまったようだ。よく言われる人間の「裏表」で言えば、裏がほとんど丸見えの「表」だけで恥じない人間が大道を闊歩しているような世界に見える。こんな見方は確かに、いつの時代にもよくある年寄りの僻みの一種かも知れないのだが、今の世界を見つめるほどに、自分の生きてきた基準自身が馬鹿にされているとさえ感じるのである。』