僕なりにとても大事なことと考えてきた昨日のエントリー「政治論以外も書く訳」への「なんやかや」さんのコメントに、エントリーで答えます。
『 公的?私的? (なんやかんや) 2017-06-20 14:44:39
政治的な事柄を書くのが「公的」で、随筆などを載せるのが「私的」で、両者を並列に載せればトータルになると言うのはいささか違うのでは。
政治的なことを書いてもそれがかたくなで現実性や一般性をもち得ず、相互のディベイトの対象にならない場合には、私的なつぶやきにしか過ぎません。
一見、私的な随想でも、それらが現実を撃つ内容を備えていればじゅうぶん公的なわけです。
まあ、一般論はともかく、問題は、文科系氏のお載せになる、随筆類がまったく読まれていなくて、その意味ではここのメンバーに全く共有されていないということにあります。
ここがまったく私的なブログならばそれでもいいのですが、IDもパスワードも公表されていて、誰もがトビ主になることができる公共の場であるとしたら、随筆類やお孫さんのご自慢はとても場違いな気がするのです。
もちろん、それらをお書きになりたいお気持ちは分かりますし、お書きになることは自由です。
そこでいかがでしょう、文科系氏の個人のブログをお持ちになって、そうした随筆類はそちらへお書きになり、その都度、「ブログ更新しました」ということでそのブログのアドレスのみをこちらへお載せになるというのは。
そうなされば、文科系氏の個人のブログも充実し、それに興味をもつ方はこことそちらを自由に往還できるわけです。
正直いって現状のベネズエラ論議と、ハーちゃんの話の並列は、文科系氏の「これがトータルな自分だ」との言明にかかわらず、なにか木と竹を継ぎ合わせたようで、ひどくブキッチョな自己顕示を押し付けられているな気がしてならないのです。』
① 「なんやかや」さんのご批判は、題名も内容も終始「公的、私的」ということを論点にされています。ところで、批判対象である拙稿はこれが主モチーフになっていないと、何よりもこのことを申し上げたい。「公的、私的」を論じているのは僕の文章の最後4分の1程度です。
②、①に関連して言えることですが、こういう構えで始められた「公的」の中心に、こんな表現、言葉も据えられました。
「一見、私的な随想でも、それらが現実を撃つ内容を備えていればじゅうぶん公的なわけです」
ここに言う「現実を撃つ内容」という意味での「公的」が、拙稿の中心概念なのでもありません。Nさんが大事にするアクチュアルもここから出てくるのでしょうが。
③ 拙稿の主モチーフはむしろこんなところだと考えています。「公的、私的」は、こういう論議の一部にしか過ぎません。
『だとしたら政治論だけやっていても何か広く本質的なことを語っているなんてことはないだろう』
『生活も語って欲しい。その人の最も生活らしい生活と言える、好きなこと、文化活動なんかも知りたい』
つまり、この「9条バトル」の副題『憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!』ということ通りを、ぼくはエントリーしている訳です。
④ Nさんの反論はこうして、反論としては誤読によるのかどうか的外れでもあり、このブログ主旨からしたら無い物ねだりということになります。ちなみに「現実を撃つ内容」って、何ですか。「こういう」ブログをやる万人に要求するものとしては、固くって狭すぎる言葉、つまり生硬な観点、人間を感じてしまいました。ここの副題「人間的なテーマ」をこのように解釈されたら、ただ困惑するだけです。
⑤ ちなみに、僕の何かがここで読まれていないからやめよ言われましたが、僕はこれらに貴方とは全く違う意図を持っています。大好きなサッカーの随筆は他のどの記事よりも好きな人がいることをよく知っています。同人誌で随筆を書きあっている人々、大切なギターの友人達、ランニングの友達などは、たとえ少数でも「読む意気込み」が違います。ここに僕という人間が存在するというのも、政治と同様にリアリティーのある、アクチュアルなことです。政治や職業のことだけがアクチュアルで後は趣味と言われるならば、そういう政治自身がリアリティーのないものとしてこのブログの立ち位置とは違うものだろうと拝察させていただきました。
『 公的?私的? (なんやかんや) 2017-06-20 14:44:39
政治的な事柄を書くのが「公的」で、随筆などを載せるのが「私的」で、両者を並列に載せればトータルになると言うのはいささか違うのでは。
政治的なことを書いてもそれがかたくなで現実性や一般性をもち得ず、相互のディベイトの対象にならない場合には、私的なつぶやきにしか過ぎません。
一見、私的な随想でも、それらが現実を撃つ内容を備えていればじゅうぶん公的なわけです。
まあ、一般論はともかく、問題は、文科系氏のお載せになる、随筆類がまったく読まれていなくて、その意味ではここのメンバーに全く共有されていないということにあります。
ここがまったく私的なブログならばそれでもいいのですが、IDもパスワードも公表されていて、誰もがトビ主になることができる公共の場であるとしたら、随筆類やお孫さんのご自慢はとても場違いな気がするのです。
もちろん、それらをお書きになりたいお気持ちは分かりますし、お書きになることは自由です。
そこでいかがでしょう、文科系氏の個人のブログをお持ちになって、そうした随筆類はそちらへお書きになり、その都度、「ブログ更新しました」ということでそのブログのアドレスのみをこちらへお載せになるというのは。
そうなされば、文科系氏の個人のブログも充実し、それに興味をもつ方はこことそちらを自由に往還できるわけです。
正直いって現状のベネズエラ論議と、ハーちゃんの話の並列は、文科系氏の「これがトータルな自分だ」との言明にかかわらず、なにか木と竹を継ぎ合わせたようで、ひどくブキッチョな自己顕示を押し付けられているな気がしてならないのです。』
① 「なんやかや」さんのご批判は、題名も内容も終始「公的、私的」ということを論点にされています。ところで、批判対象である拙稿はこれが主モチーフになっていないと、何よりもこのことを申し上げたい。「公的、私的」を論じているのは僕の文章の最後4分の1程度です。
②、①に関連して言えることですが、こういう構えで始められた「公的」の中心に、こんな表現、言葉も据えられました。
「一見、私的な随想でも、それらが現実を撃つ内容を備えていればじゅうぶん公的なわけです」
ここに言う「現実を撃つ内容」という意味での「公的」が、拙稿の中心概念なのでもありません。Nさんが大事にするアクチュアルもここから出てくるのでしょうが。
③ 拙稿の主モチーフはむしろこんなところだと考えています。「公的、私的」は、こういう論議の一部にしか過ぎません。
『だとしたら政治論だけやっていても何か広く本質的なことを語っているなんてことはないだろう』
『生活も語って欲しい。その人の最も生活らしい生活と言える、好きなこと、文化活動なんかも知りたい』
つまり、この「9条バトル」の副題『憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!』ということ通りを、ぼくはエントリーしている訳です。
④ Nさんの反論はこうして、反論としては誤読によるのかどうか的外れでもあり、このブログ主旨からしたら無い物ねだりということになります。ちなみに「現実を撃つ内容」って、何ですか。「こういう」ブログをやる万人に要求するものとしては、固くって狭すぎる言葉、つまり生硬な観点、人間を感じてしまいました。ここの副題「人間的なテーマ」をこのように解釈されたら、ただ困惑するだけです。
⑤ ちなみに、僕の何かがここで読まれていないからやめよ言われましたが、僕はこれらに貴方とは全く違う意図を持っています。大好きなサッカーの随筆は他のどの記事よりも好きな人がいることをよく知っています。同人誌で随筆を書きあっている人々、大切なギターの友人達、ランニングの友達などは、たとえ少数でも「読む意気込み」が違います。ここに僕という人間が存在するというのも、政治と同様にリアリティーのある、アクチュアルなことです。政治や職業のことだけがアクチュアルで後は趣味と言われるならば、そういう政治自身がリアリティーのないものとしてこのブログの立ち位置とは違うものだろうと拝察させていただきました。